stop the fate



 黒い渦に何もかもが呑み込まれ、どろどろになって混ざり合い、闇になる。
 こみ上げる吐き気に耐え切れない、という思いが、意識の目覚めるきっかけだった。
「うう……ん……」
 自らの呻き声が、遠くで聞こえる。ひどくだるい。
 重いまぶたをどうにか開くと、目の前にシルクハットを被った色の白い男が見えた……唇だけがやけに赤くて、ドキッとさせられる。記憶にある顔だ。
「目を覚ましましたね。では私はこれで」
 感情を感じさせない丁寧な口調で言い置くと、男はステッキをくるくる回しながら視界から去った。
「お目覚めかァ、眠り姫! ゼハハハハ……!」
 太い男の声、特徴のある笑い声に促されるように、はおもむろに起き上がった。見覚えのない部屋とベッド。船の中ではない、どこかの宿のようだ。
 やけに空気がひやりとすると思えば、何も身に着けていない上半身が露になっていることに気付き、跳ね上がった。
「キャーッ!」
 カン高い悲鳴に、自分でびっくりする。同時にハッキリ目が覚めた。体と意識が狂いなく重なった感じだ。
 は慌てて毛布を手繰り寄せ、体を隠す。上半身だけではない、全身何一つ身に着けていない。文字通りの丸裸にされ、寝かされていたのだ。
「ゼハハハハ……可愛い反応するじゃねェか、え?」
 椅子に座っていた黒髪の男が、のっそり立ち上がって、わざとだろうゆっくりと近付いてくる。ビアダルそっくりの体型がいかにも重そうだ。
 は青ざめた。
「黒ひげ……」
 ティーチだ。捕らわれたのか、この男に。
「寄らないで! 私に何をしたの……!?」
 男の前で裸にされて、しかも眠っていたのだ。何もなかったとは考えにくい。歯がかちかちなる音で、は自分が震えていることを知る。だが弱みは見せたくない。精一杯の強がりで、睨み上げた。
「身体検査さ。イイ体してんなァ、お姉ちゃんよ」
「――!」
 目の前が真っ赤になる感覚に、打ち震える。屈辱と羞恥で言葉も出ない。
 ティーチはベッドの端に腰を下ろした。マットがへこみ、の体もかしぎそうになる。
「よくも……」
 思わず振り上げたこぶしは、簡単に掴まれる。胸元をかばおうとしたもう片方の手も同じように掴み上げられ、手首は二本まとめてティーチの左手に握り込まれた。
「慌てんなよ。お前の持ち物を取り上げただけで、まだ何もしちゃいねェ」
 でかい顔が接近してきたので、は眉をひそめた。できるだけ逸らそうとするが、顎を掴まれそれも叶わない。
「反応のねェ女とヤッたって、面白くねェだろ? ……だからな」
 手を離され解放されたと思ったのも束の間、軽く突き飛ばされて再びベッドに倒れてしまう。それをまたぐように、ティーチはを組み敷いた。
「これから、ヤるんだよ……ゼハハハハ!」
「――!!」
 暴れようにも、体が大きく力も強い男の下で何も出来ない。隠し持っていたナイフや武器も全て取り上げられているのだ、抵抗のしようもなかった。
「お前、って言ったな。エースの女だろ? 写真もあったが、一目見て分かったぜ。エースは酒の席じゃあよく自慢してたからな。赤い髪の別嬪だってな……想像以上の上玉じゃねェか」
 キスされそうになって、必死で逃れようとする。こんな男となんて、断固願い下げだ。
「……エースは……エースはどうしたの!?」
 ティーチは不吉に笑った。唇の間から覗く歯が欠けている。
「エースは、死んだぜ……おれが殺った」
「――死んだ……!?」
 視界が急激に狭くなり、目の前が真っ暗になる。
 エースが、死んだ……!?

 エースはこの男、黒ひげティーチを追っていた。
 元部下のティーチは同じ白ひげの仲間……家族を手にかけ、船から逃げた。その制裁のためだ。
 その話を聞いて心配したのがの父である「赤髪」シャンクスで、二人をぶつけちゃいけないと、最初は白ひげに手紙を送った。
 ロックスターという、赤髪海賊団では新入りながら、それなりに名のある男が使者として手紙を届けに行ったが、白ひげにはまるで相手にされなかったらしい。
 ロックスターからの報告を聞くや、シャンクスは即座に、直接白ひげに会いに行く決断を下した。
 同時に、も決意したのだ。
 エースに会いに行き、直接説得を試みることを。
 敵船の船長という立場の父には無理なことでも、エースの恋人であるなら、問題はないはずだった。逆に言えば、エースへの直接の接触はにしか出来ない。やるしかない。エースに会いに行けるのが嬉しいという気持ちも実はあったが、それはさすがに表には出せなかった。
「そうか。お前にはずっとおれのそばにいて欲しかったが……決めたんなら仕方ねェな。お前の思う通りに動け。だが、死ぬな」
 と、父は、のビブルカードを掲げて、力強く笑ってみせてくれた。
「それからな、エースに、おれの言葉も伝えてくれ」
 耳打ちされた言葉を、大切に胸にしまって、は宝石のブーツで海を駆け、エースのもとへ急いだ。

 結果的に、エースの説得は失敗に終わった。
 も最初から分かっていたのかも知れない……エースが一度決めたことを覆させるなんて、出来やしないこと。
 とりわけ、エースが大切に思っている家族を、親父を、傷付けられて黙っていられるわけはないのだから。
 いくら危険だと言ったところで、私のお願いを聞いて、と懇願してみたところで。エースは怒ったりなだめようとしたり、とにかく頑として聞き入れようとしなかった。
 夜が近付き、も諦めかけたころ、小さな島が見え、二人はそこに上陸した。
 あの夜、二人で火を囲み、寄り添って。
 星の下、月の下、海のすぐそばで、小さくても確かなぬくもりを、決して失いたくないと強く願った。
「ね、エース、私も一緒に連れて行って」
 止められないならせめて共にと、は望む。
 だがエースは即座に足手まといだと言い捨てた。きつすぎたと反省したか、次には軽く笑ってこう言い添えたのだ。
「お前を危険な目に遭わせたりしたら、赤髪の船長におれが殺されちまう」
 もかすかに笑ってみせたが、泣き笑いに近かったかも知れない。
がね、エースに伝えてくれって……。エースの親父さんは白ひげの船長さんだろうけど、『おれもエースのことを息子だと思ってる』って」
 父の言葉をそのまま言うと、エースは無言ののち少し照れたように笑って、礼を言っておいてくれ、と呟いた。

 今、急いで振り返ってみた記憶の画面はオレンジがかっていて、波音もぼんやりと夢のようで、あれから何日経ったのだろうと少し焦る。
 その後の出来事も、まるでスクリーンで見る映画のように頭の中に流れる感覚だ。
 あのとき、火に照らされてエースはこう言った。
「あァ……おれどうしようもねェよ……。お前の言うことはひとつも聞かねェのに、こんなときなのに。今、お前を抱きてェって、思ってる……」
 素直な告白だった。
 ただ愛しくて、はふんわりと笑い返す。
「……私はあなたのものだから」
 エースの頬に手を触れ、自分の方からキスをした。
「好きにしていいのよ、エース……」
 本当は、も嬉しかった。
 本来の目的を果たし得ないのに、という後ろめたさはあったが、二人きりの夜に求め合わない道理もない。
 そのまま星の下、睦み合った。
 エースはやはり、以前のように、最後までをいたわり、やさしくやさしく、抱いてくれた。

「気を付けて帰れよ。おれのことは心配するな」
「……うん」
 物分り良くしたのはフリだけで、はこっそりエースの後をつけることに決めていた。
 以前エースに渡したピアスの片割れ、あれはただのピアスではない。赤い宝石は互いを求めて光り輝く。輝きが強いほど距離も近い証拠だ。
 ビブルカードを併用すれば、容易に居場所が分かるのだった。
 は紙とピアスを頼りに、エースに見つからない距離を保ちながら海を進んで行った。
 そうしてたどり着いたのが、のちに決戦の地と言われることになる、バナロ島だったのだ。

 うかつだった。バナロ島で、黒ひげの仲間に見つかってしまい、こうして囚われの身となるとは。
 いざとなったらエースの助太刀を……いや助太刀に及ばなくともせめて一矢を、と覚悟を抱いていたのに。
 それどころか戦いも始まらぬうちに、さっきもいたシルクハットの男に見つかり、何をされたのか、気が付いたら裸でベッドの上、というこの状況だったわけだ。
 エースは死んだのだろうか。この男ティーチがこうピンピンしているところを見ると、あるいは本当に……。
「――」
 黒ひげの唇が触れてきた瞬間、思い切り噛み付いてやった。
「痛てッ……このッ……!」
 口もとを押さえて弾かれたように離れるティーチを、睨みつける。
「エースが死んだなんて嘘よ! 証拠を見せて。新聞に載ったでしょ、本当に死んだっていうのなら!」
 エースのビブルカードがあればいいが(といっても、本当に死んだならビブルカードも消滅してしまうが)、あいにくのものは全て没収されている。
 ティーチは口から流れ出た血を手の甲で乱暴にぬぐうと、唇を歪めるようにして笑った。
「負けたぜ、お前にゃ……ホラよ」
 と、サイドテーブルに載っていた新聞を取ってよこす。起き上がったが震える手で広げると、『白ひげ海賊団2番隊隊長“火拳のエース”大監獄インペルダウンへ幽閉』の大きな文字と、エースの写真が飛び込んできた。
「……エース……生きてた……」
 深い、深いため息がこぼれる。目頭が熱くなる。は頭を垂れた。
「大監獄だぞ、死んだも同じだ。どっちにしろ、勝者はおれだ」
 乱暴に新聞を取り上げると、さっきのように押し倒してくる。
「さっさとおれのものになれよ。勝った奴がイイ女をモノに出来る。昔っからそう決まってんのさ」
「勝手に決めないでよ! 負けようが大監獄に入れられようが、関係ないわ。私は全部、エースのものよ!」
 エースの命はまだある。それを知って得た力は小さくなかった。は精一杯暴れ、抵抗をした。
 さすがに手を焼き、ティーチはの頬を張る。乾いた音がして、の動きも固まってしまう。その瞬間を逃さず、ティーチはを睨み据え、低い声で脅しの文句を吐いた。
「てめェ……いつまでも優しくしてると思うんじゃねェぞ」
 たかが小娘、これで黙るだろうと思いきや、さにあらず、負けないほどの力を込めて睨み返してくるではないか。
「やればいいわ。エースを負かした力で、私もやればいいんだわ。その方がマシよ……あんたなんかに触れられるくらいなら!」
 しばし間近で睨み合う。空気が張りつめる。
 あげく口を開いたのは、黒ひげだった。
「お前は何者だ……ただの女じゃねェな」
「……ただの女よ……エース以外には許さないって言っているだけだわ」
 硬い声で返しながら、内心はほっとしていた。赤髪の娘ということがバレていないと踏んでの安堵だ。
 それを知られたらどう利用されるか分かったものじゃない。だから普段もシャンクスはを表には出さないようにしていたし、も口外しないようにしていた。エースや元スペード海賊団の面々にも口止め済みだった。
 エースが実父の存在をひた隠しにしているのとはまた別の理由で、もまた、可能な限り秘密にしているのである。
「フン……ただのきれいなだけの女かと思えば、なかなかいい度胸じゃねェか。……それにお前にゃ、何かこう、品の良さってのがあるよな……」
 ニヤつきながら改めてを眺め回し、そして黒ひげは彼女を解放し、ベッドから降りた。
「気に入ったぜ。しばらくは手を出さねえでおいてやるよ。おれも色々忙しいことだし、楽しみは後に取っておくのも悪かねェ。ゼハハハハ!」
 高笑いを残し、ティーチは部屋を出て行った。
 外から、錠を下ろす音が聞こえる。閉じ込めておくつもりなのだ。
 は大きく息を吐き、ベッドの上で崩れ落ちた。裸の胸がドキドキいっている。夢中で手を伸ばし、新聞を取る。写真のエース――表情は帽子に隠れて見えない。血だらけ、埃だらけだ――それをせめてと眺め、胸に抱き寄せた。
 世界一の大監獄、インペルダウンに収容されてしまったなんて……。あそこはひどい拷問をされるとも聞く。この世の地獄とも呼ばれているほどの場所だ。今ごろエースはどんな目に遭わされていることか――。
 それを思うと胸が潰れそうなほど苦しい。とめどなく涙が溢れ、はあえいだ。
「エース……」
 唐突に、もうひとつの懸念に思い至り、雷に打たれたかのようにびくりと痙攣をする。
 は目を見開き、もう一度、新聞を眺めた。
 エースの父親……本当の父親のことが、世界政府にもしも知られていたら。
 大海賊ゴールド・ロジャーの忘れ形見を手に入れたら、政府はどう出るだろう……エースはどうなるのだろう!?
「――エース!!」
 もはや泣いてなどいられない。
 は己の姿も顧みず立ち上がり、開かないドアをこぶしで叩いた。
「開けて、ここから出して!」
 必死で、叫び続けた。

 の心配が的中したのか、その後新聞を賑わしたのは、世界政府がエースの公開処刑を決定したという恐ろしいニュースだった。
 青ざめたは、今、手首を縛られ、黒ひげ海賊団の巨大なイカダに乗せられている。さすがに服は支給された。飾り気のないワンピースだ。
「いよいよエースも処刑だとよ。一仕事の後に見物に行こうじゃねェか」
 丸太の上に仁王立ちの黒ひげは、勝ち誇った顔をしてを見下ろした。
「その後で、おれはお前をモノにするぜ。死んじまったら操を立てる必要もねェんだからな! ゼハハハハ!!」
「……」
 いたたまれずはうつむく。いやというほど歯を食いしばった。
 一体どんな運命の波に巻き込まれているのだろう。止まれと願っても回り続ける。
 エースは海賊。そして自分もまた海賊だ。
 覚悟は最初から持っていたつもりだった。
 今となれば誕生日を一緒に過ごしたあの甘い日も、ずい分と遠くに思えるのだった。
 だが、まだだ。まだ希望は捨てない。エースはまだ生きている。
 公開処刑ということは、衆目の前に姿を現すということだ。
 白ひげの親父さんだって黙ってはいまいし、もしかして隙を見て、助けてあげることが出来るかも知れない。
 そうでなければ、エースと共に死ぬだけだ。
――死ぬな――
 父の言葉が、頭の中ひらめく。
 は大海原の果てを見つめながら、唇を噛んでいた。
(どんな目に遭ったとしても、生きろというの……? 。エースが死んだら、私も殉じちゃいけない……?)
 生き残ったところで、この男――黒ひげの女にさせられるだけなのに。
(ねぇ…………)
 問いかけに答えはない。
 ただ、大きな海が、どこまでもどこまでも広がりうねるだけだった。





                                                             END





  ・あとがき・

一度は書き始めていて挫折。二度目のチャレンジです。続きを読みたいという嬉しいお言葉をいただきましたので! ありがとうございます5/19に拍手コメントくださいました方。貴女のために書きました。

でもどうでしょう……正直、あんまり楽しくなかったんですよね、書いていて。前回までとまるで雰囲気変わっちゃったもんね……。
もう、出来事だけ簡単に並べる感じでざっと書いてしまいました。
単に黒ひげに迫られて嫌がるちゃんを書きたかっただけだったりして。

ジュエリー・ボニーに、女は品がどうとか言っていたので、黒ひげは品のいい女性が好みなのかと。自分には品がないクセにね。
ちゃんに品を感じるのは、母の教えによるという設定。海賊でも女らしく美しくいて欲しいという方針だったのですね。

黒ひげって、初登場のときはいい人っぽかった。見開きで「人の夢は終わらねェ」って。根は悪い人じゃないのかも……海賊らしい海賊ということだし。
でもティーチとチューとかしたくないな……。

次回はいよいよエースが……。エネルギー使うので、まだしばらくは書けないかも。
読みたい方いらしたら、是非拍手等でお知らせください。多分すぐに書く気が起きます(単純)。





続き→ reborn<前編>





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