色のない世界 (1)
冥界三巨頭は、この世界を統べる神ハーデスに直々に召され、その御前に控えていた。そばにはパンドラもいる。
「ハーデス様、三巨頭、揃いましてございます」
パンドラの声に反応するように、玉座の前にかけられた紗に、うっすらと影が揺れた。ハーデス様がおでましになっている。ラダマンティスたちは反射的に身体をこわばらせた。
『ご苦労。おまえたちを呼んだのは他でもない』
確かに、彼ら全員を集めるなんて、よっぽどのことである。火急の事態かと緊張するのも無理はなかった。
空気を察してか、ハーデスはことさら声の調子を柔らかくする。
『そのように身構えることはない。これはいわば余の個人的なことだからな』
「は・・、どのようなことでございましょうか」
まさか音楽会を開くとかいう話ではなかろうな、とラダマンティスは複雑な表情である。アイアコスはもしかして暇つぶしになる話かも知れないと期待に目を輝かせているし、ミーノスは表面上はかしこまったふうにしていながらも、やれやれ面倒なことでなければいいが、などと思っていた。
三者三様の思惑を見抜いたかのように、パンドラがにらみを効かす。皆は頭を垂れた。
『実は・・・』
空白を静寂が彩る。ハーデスはたっぷりためてから、こう言った。
『ペルセフォネを見つけたのだ』
ちょっと嬉しそうに、はにかみすら含んだ声で。
「ペ・・・」
「ペルセフォネ?」
それは、神話における冥王ハーデスが妻の名だ。
「つまり、その、奥方になられる方を決められたと・・・そういうことでしょうか」
一番理解の早かったのはミーノスだった。パンドラすら、予想も出来なかった話の内容に唖然としている。
『その通りだ。この人間なのだが』
冥王と部下たちを隔てる空間が不意に歪み、そこに何かが映し出される。輪郭がはっきりとして、利発そうな若い女性の顔となった。
『近々、この娘を我が妃として迎えることとする。おまえたちは、全冥闘士たちに周知すると共に、準備を進めておくように』
「・・・はっ!」
どんなに唐突なことであろうと、主の命は絶対である。四人は恭しく頭を下げた。
「どう思う?」
部屋を退出し、最初に口を開いたのはアイアコスだ。新しい遊びを見つけたように、その口調は生き生きとしている。対して、ミーノスの返答はやや投げやりだった。
「取り立ててどうということもない、ごく普通の女性のようでしたが」
「でもカワイイ娘だった♪ 俺、お世話係やりたいな」
必要以上に盛り上がっている同僚に、ため息を吐く。
「それにしても、あれほど愛に対して否定的だったハーデス様が、結婚を決意されたとは。さすがに意外でしたよ」
「やっぱり恋愛は理屈じゃないってことだろ」
「・・・そのくらいにしておけ、おまえたち」
いつまでも止まない無駄口にうんざりして、先を歩いていたラダマンティスが振り返った。
「俺たちはハーデス様に従うだけだ」
「ハイハイ分かりましたよ」
こんな面白い話はないのに、いつでもどこでもお堅いヤツだ。と思いながらも、アイアコスはとりあえず口を閉ざした。
「うわー、やっぱり空気が違うね」
「うん、最高!」
はぐーっと伸びをする。今日は、サークルの仲間たちと高原に遊びにやってきた。
「ちょっとあっちに行ってみよーっと」
「、迷子にならないでね」
「大丈夫だって」
友人に手を振り、ちょっとした茂みの中に入ってゆく。草や木から、いい匂いが立ちのぼっていた。
「うわあっ」
見たこともないような美しい花が咲き誇っているのを発見して、思わず声を出す。それは一つの茎にたくさんの大きな花をつけており、一つ一つの花弁は光の下七色に輝いていた。
「すごい、何ていう名前なんだろう」
は吸い寄せられるように近付き、そっと手を伸ばす。手折るつもりはない、たた少しだけ、触れてみたかった。
ゴゴゴゴゴゴ・・・
足元から伝わる、小さな音と振動・・・地面が揺れ轟いている・・・?
「!?」
地震!? どんどん大きくなる地響きに、危険を感じて立ち上がろうとした瞬間、ものすごい音がして、花の咲いている地面が裂けた。
「あ・・・」
声にならない。の目の前が真っ暗に塗りつぶされた。
「・・・気が付いたか?」
「何・・・?」
目を開ける。でも黒い。正確には暗かった。
自分の腰にしっかりと回された腕の感触と、頬に当たる風、流れてゆく暗い景色。
(うっ浮いてる〜!?)
は誰かに抱かれ、宙を飛んでいた。舞台か何かで、俳優さんがロープで吊るされ演技する・・・あれみたいだ。
光の差し込まない、どこもかしこも真っ暗な世界を、浮いたまま移動している。
「なっ何、何なのっ」
「暴れると落ちるぞ。もう少しで着くから、大人しくしていろ」
「ひぇ〜」
の叫びも、深い闇に呑み込まれ消えてゆくのだった。
「ここは死者の国、冥界。余は冥王ハーデスだ」
これまた黒く立派な神殿風の建物に入り、を座らせると、男はそう名乗った。
物語の好きなは、ギリシア神話にも詳しかったので、その単語自体は馴染みのないものではない。
しかし派手に染めた髪を逆立てて、銀のアクセサリーをじゃらじゃらつけ、ルーズな服を身に付けたその姿はどう見ても冥界の王とはかけ離れている。こういう格好の男は、の通う大学にもたくさんいるけれど。
タチの悪い悪戯だろうか、それともこの人がちょっとおかしいのか。
「どうした、何か聞きたいことがあるか」
聞きたいことなら山となって、頭の中に渦巻いている。は胸の前で片手を握り、相手をにらみつけた。隙を見せないようにと。
「私を、どうする気?」
「そう警戒するな・・・と言っても無理か。まぁ安心しろ、危害を与えるつもりはない」
と言いながら、近寄ってくる。黒い椅子から立ち上がろうとしたが、その前につかまった。
ハーデスはの肩を抱き寄せ、顔を近付けると囁く。
「私のペルセフォネ・・・お前は私と結婚し、この冥界の女王となるのだ」
「えっ」
寝耳に水の言葉に、すぐには反応できない。男のセリフを心の中で何度も反芻し、どうにか理解しようと試みた。
「いや私はペルセフォネなんかじゃないし・・・結婚なんて早いし、女王ってガラでもないし」
「ではお前の名は何と言う?」
「・・・」
「良い名だ。」
とても大切に、その名を呼び、ますます強く抱きしめる。
「やめて・・・」
「余を拒むな。余は神なるぞ、人間は神に逆らえないのだ」
普通なら精神を疑うセリフだろう。だがは金縛りのように動けなくなった。命令とも違う、当然のように言い放たれた言葉の厳格さに、心から畏れた。
この人は、神・・・。
頭ではない、意識の深いところで、は畏敬の念と共に感じ取っていた。
本物の、神。
「分かったか?」
「でっでも、結婚なんて」
まだ学生なのに、しかも今会ったばかりの人にいきなり結婚しようと言われても。
「心配するな、準備は全て整えてやる」
「いやそういうことじゃないんだけど」
「急なことで動揺するのも無理はないな。今日はゆっくり休むがいい。この神殿はお前のために作らせたものだ、ここにあるものは何でも遠慮なく使って構わん」
ハーデスはようやく体を離してくれた。
その姿を改めて見て、はやはり違和感を感じてしまう。全くこの神殿にそぐわない。
「あのう」
「なんだ、」
話し掛けられるのが嬉しいのか、ハーデスの声は何となく弾んでいる。ますます冥王らしくない。
「神様って、そんな現代風なものなの?」
今更敬語に直せなくて、ざっくばらんな言葉を使ってしまう。ハーデスも特に咎めはしなかった。
「いや、これは、お前の周りにいた人間を参考にした形だ」
袖口を引っ張るようにして、自分の姿を見下ろしている。
「おかしな姿だとは思うが、皆、こんなふうだったのでな」
「確かに・・・」
見慣れた格好ではある。ただ、この場と冥界の王という立場の神には似合わないというだけで。
ハーデスはそばの瀟洒な家具に軽くもたれるようにして、を見た。
「私は普段、肉体を使ってはおらんのだ。神話の時代からの美しい肉体だ、大事に眠らせておいている」
「はあ」
すごいナルシストじゃないこの人。
とは思ったが、面と向かって口にする勇気まではなかった。
「ゆえに、そうだな、分かりやすく言えば魂のような姿で過ごしている。ただ花嫁と初めて顔を合わすというのにそのままでは都合が悪いと思ってな」
真面目な顔して『花嫁』などと言われると、つい赤面してしまう。はもじもじと目をそらした。
「こうして、人の姿を取ってみたのだ。だからこれも実体ではない。触れることはできても、その感触ははっきりとしないのだ・・・残念だがな」
「そ、そうなの・・・」
とても信じがたい内容だが、辻褄は合っている気がする。
不審そうな表情にすぐに気付き、ハーデスはふっと笑う。
「何なら証拠を見せよう」
即座にハーデスの姿がぼやけだした。輪郭が崩れ、また別の形を作ってゆく。
完成した男の顔を見て、はあっと声を上げた。
「っ!」
そう、それは知っている顔・・・知っているどころか、一応、の彼氏という立場の男だった。
同じ大学で、向こうから言われたから付き合い始めたものの、最近彼のいい加減な人間性が目について、内心、終わりが見えていたところだった。
「どうだ? お前の心にある男の姿にしてみたが」
「もういいからやめてよそれは」
はっきりいって、今見たくない。
「・・・でも心にあるってことは、を気にしてるってこと・・・?」
「どういう意味で心に浮かんだのかは私も知らぬ」
別にハーデスは嫉妬しているふうでもなかった。神の余裕なのかも知れない。
「あのー、もっと普通のにして」
「お前の言う普通とはどんなものだ。思い浮かべてみろ」
言われて、とっさにスーツ姿のちょっとかっこいい人を頭に描いてみる。と、目の前にそのままの男が現れた。
「こうか」
「うん、いい感じ」
「よし、覚えておこう」
いつの間にか和やかな雰囲気になっていることに気付き、は唇を引き締めた。
笑っている場合ではない、このままではこんな見知らぬ土地で実体を持たない相手と結婚しなければいけなくなる。
「待って、だからって私、承知したわけじゃないんだからね!」
「お前は私の花嫁になると決まっているのだ。何を今更」
「私の意思はどうなるのよ、だいたいこれって誘拐よ、犯罪よ!!」
「人間に神は裁けぬ」
ハーデスの涼しい顔に反比例するように、はどんどんヒートアップしてゆく。
「横暴! 合意のない結婚なんて無意味じゃないの」
全てが黒一色で揃えられた部屋を見回し、声を張り上げる。
「死の国なんて・・・不気味で恐ろしいわ。こんな光もない、色のない世界で一生暮らすなんて私はイヤよ!」
ハーデスの、刺すような視線に気付き、は息をのんだ。心臓が凍りついたかのような感覚に、ぞくりとする。
「・・・嫌われたものだな、余が治めるこの冥界も」
ぽつり、抑えた声が、恐ろしい怒りを秘めている。怒鳴られるよりもよほど深く強い・・・。
「何故お前たち人間はそうまで忌み嫌う? 誰もが最後に来る場所ではないか。何故目を逸らし、見ないふりをして、好き勝手に生を貪っているのだ」
「・・・・・」
ハーデスは持て余した怒りをぶつけるかのごとく、踵を床に強く打ち付けるようにして背を向けた。声をかける隙も与えず、スタスタと足早に部屋を出てゆく。
(・・・あ・・・)
たった一人残されたは、目眩を感じ、椅子にもたれる。
ハーデスの黒い瞳。燃えるような怒りの中に、深い哀しみが広がっていったことに、気付いていた。
(でも私、何も悪いことしてない・・・)
いきなりさらわれて結婚しろなんて言われて。冷静でいられる方がおかしいのだ。
(私、悪くない・・・)
目を閉じて頭を振っても、あの声と表情が離れはしなかった。
次の日。
目覚めたらいつの間にか用意されていた朝食にも手をつけず、はとりあえずシャワーを浴びクローゼットにあった服に着替えた。
調度も食事も洋服も、全てが上質のもので揃えられている。これを全て自由に使ってよいと、そうハーデスは言っていた。
それでも、の気持ちは沈んだままだった。
一つには、全て黒色で統一されているせいかも知れない。服まで全て黒なのだ、これで浮かれた気持ちになれと言う方が無理である。
(・・・ハーデス、来ないのかな)
昨日、彼はかなり怒っていた。あんなふうに静かに怒る人ほど、根は深く、恐ろしいものだ。
(神様の怒りに触れるってことは・・・)
の頭の中に、ギリシア神話で神に逆らったがために手ひどい目に遭った人間たちのストーリィが浮かんでは消えてゆく。動物に変えられてしまうとか、石にされるとか、狂わされて最後には殺されるとか・・・。
「やだー!」
思わず声に出し、立ち上がる。体は勝手にドアの方に向かっていた。鍵はかかっていない。ドアを開き、広い神殿内を走り回って出口を探す。
(ま、まるで迷路みたい。まさかこれも罠!?)
再び叫びそうになる直前、
「おい」
まったく唐突に、声をかけられた。
「ひええー、出たあー!」
やみくもに駆け出そうとしたところが、がっしり二の腕をつかまれる。
「少しは落ち着け。逃げようとしたところで無駄だぞ」
「いっ痛い」
抗議するとすぐに力をゆるめられる。そこではようやく相手を見上げた。
すごく背の高い男だ。黒色に輝く不思議なヨロイのようなものを、いかめしく身に付けている。はっきり言ってちょっと怖い。
「ハーデス・・・じゃないよね」
雰囲気が全然違う。に自覚はなかったが、知らぬうちに小宇宙で相手を見分けていたのだった。
「ハーデス様を呼び捨てにするとは。・・・まあ、妃になる身であればそれも許されるか。俺の名は天猛星ワイバーンのラダマンティス」
「ラダマンティス・・・」
謎の枕詞はともかく、ラダマンティスというその名も神話の中で聞いたことがある。それにしてもすごい格好だ。
頭の上から足の先まで見回す不躾な視線に、ラダマンティスは不愉快そうに顔を歪める。
「この建物から勝手に出るな。この冥界は広くて、危険な場所もたくさんある。面倒なことになっては困るからな」
「はあ・・・」
身分は上の方なのだろう。そのため威圧的ではあるが、決して怖いだけの人でもなさそうだ。はとりあえず、肩の力を抜いた。
「ハーデス様は今日は準備でお忙しい。だからお前の見張りを言い付かってきたのだ」
準備で忙しいって、まさか結婚の?
が何か言おうとする前に、別の方向から別の声がした。
「彼女怖がってるじゃないか。あんまり脅かすなよラダマンティス」
振り返るともう一人、男が姿を見せた。黒い髪で、やっぱり黒いヨロイを着込んでいる。
「脅かしているつもりはない」
「おまえの顔自体怖いんだよ。だからモテないんだぜ」
「モテないの? ラダマンティス」
「うっうるさい」
にまで言われ、ますますムッとする。
「それに俺らが命ぜられたのは、見張りじゃなくてお姫様のお相手だろ」
黒髪の男は人好きする笑顔を浮かべて、の顔を覗き込んだ。
「ちゃんっていうんだよね。俺は天雄星ガルーダのアイアコス。コイツと同じ、三巨頭のひとりなんだ。ヨロシク」
「あ、どうも」
また謎の単語が。しかしとりあえず、差し出された手を握る。いい人そうだな、と思った。アイアコスだけではなく、ラダマンティスのことも。
「あの・・・ハーデス、怒ってたでしょ? 私、何かされるのかな・・・」
気になっていたことを聞いてみる。アイアコスとラダマンティスは顔を見合わせた。
「お前が何をしたかは知らんが、別に俺たちは何も聞いていないし、ハーデス様はそう簡単に人を罰したりはしない」
「そうそう。惚れた子のことなら何でも許しちゃうものさ」
「・・・良かった」
心から安堵し、胸をなでおろす。気が緩んだとたん、ぐーっとお腹の虫が鳴いた。
「やだごめんなさい・・・恥ずかしい」
下を向いてお腹をさする。
「あれ、ちゃん朝ご飯食べてないの?」
曖昧に頷く。
「女はすぐにダイエットだ何だと・・・。用意はしてあったろう、ちゃんと食え」
呆れたように言われ、はちょっとムクれた。別にダイエットなどしていない。
「だって、冥界で食べ物を食べると地上に帰れなくなるんでしょ。私、結婚する気ないから、帰れなくなると困るもの」
の言うことにアイアコスはきょとんとしていたが、ラダマンティスは合点がいったらしく頷いた。
「なるほど、確かに神話ではそういうことになっているな」
「・・・ああ、そっか」
アイアコスも思い出した。ハーデスにさらわれたペルセフォネは、最後に冥界の柘榴を数粒口にしてしまい、それがために完全には地上にいられなくなったのだ。
「安心しろ。ここで食事をしたからといって、帰れなくなるわけではない」
「俺たちだって当然飯食ってるけど、自由にどこでも行けるんだよ」
「でも・・・」
まだ納得し切れないらしいの腕を、ラダマンティスはぐいと引いた。
「ちょっと来てみろ」
一緒に神殿の奥へ歩き出す。
「おい、そんな乱暴にするなよ」
アイアコスもついていった。
「ほら、客人も飲み食いしているぞ」
一つの扉を開け放ち、ラダマンティスはを中に入れる。
が使ったのとは違う部屋で、そこは立派な食堂だった。やはり黒で統一されているが、大きなテーブルの上にはさまざまな料理や飲み物が並び、黒いヨロイを身に付けた人たちがかいがいしく立ち働く中、中年の男女がそれは楽しそうに食事をしているではないか。
「・・・げっ」
その人たちを見て、は思わず変な声を上げてしまった。見慣れた顔だったのだ。
「お、お父さん、お母さんっ!?」
その叫びでようやく気付き、両親はこっちを見た。を認めて、にこやかに手など振っている。
「おお、。おまえが行方不明になったと聞いて心配していたけど、良かったよ」
「立派な方に見初められたのねぇ。まさに玉の輿ね。お母さん、羨ましいわ」
「何を言っているんだい、母さん」
「いやだわ冗談じゃないの、お父さん」
「ち、ちょっと待ってよーー!!」
やたらに和やかな二人の前に、思わず駆け寄る。
「何でここにいるの、のん気にご飯なんか食べてるのよ!?」
「いや、お前を嫁に欲しいという人が、ご馳走してくれると言うから」
「嫁って、私は承知してなーい!」
「ちゃんったら照れ屋さんね。ハーデスさんだったっけ、あんなカッコいい人に望まれて、幸せじゃないの、このこのっ」
と母はひじでつつくふりをする。
カッコいい人って、あれはニセの姿なんだよ。と冷静に突っ込んだが、説明が面倒なので言わなかった。
「それにこれ、すごいお料理よ、こんなの食べたことないわ。こんなところに嫁ぐなんて最高! お父さんもお母さんも大賛成なのよ。良かったわね!」
父も母も浮かれている。食べ物につられて丸め込まれている。そこに疑問はないのだろうか。
(こんなので娘を売るのか、私は食べ物以下か〜!?)
きっともう何を言っても通じない。はフラフラしながら、その部屋を出た。
「信じられない・・・私の知らないところで親を呼んで話をして、しかもあんなおもてなしまで」
一晩使った部屋まで戻り、ドサッと椅子に体を預ける。とても疲れた。
「親に結婚の承諾を求めるのは当然のことだろう。ハーデス様は直々に話をされたのだぞ」
「そういうことじゃないでしょ・・・」
頭を抱える。
「ちゃんも食べなよ。腹が減っているとイライラするものさ」
アイアコスがテーブルにトレイを置いてくれた。温め直してくれたのだろうか、湯気が立っている。
「俺たちは行くぞ」
「何かあったらすぐ呼んでくれな。冥界の女王ということは俺たちを顎で使える立場ってことなんだから。俺、ちゃんの命令なら何でも聞いちゃうよ!」
「そのくらいにしておけ」
ラダマンティスに引きずられつつも、アイアコスは最後まで笑顔で手を振っていた。その二人の様子に、つい吹き出してしまう。
「よし、とりあえず食べよう」
昨日の夜から何も食べていない、お腹はとても空いていた。
はフォークを持ち、豪華な朝食に手をつけた。
お腹を満たしてから、神殿の中を探検していると、今度は別の男に出会った。やっぱり黒いヨロイを身に付けている。
「ようやくお会いできました。初めましてさん、天貴星グリフォンのミーノスといいます」
「は、初めまして」
丁寧な口調が、静かな声色と高貴な感じの顔立ちによく似合っている。握手をすると、少し手が冷たかった。
「あなたも、ラダマンティスたちの仲間?」
「ええ、三巨頭のひとりです。・・・良かったら少し外に出ませんか」
は頷いた。ラダマンティスは外に出るなと言ったけれど、どうせ建物の中に飽きたら、黙って抜け出してみるつもりだったのだ。
「わーすごい、こんな花畑が!」
「ここは冥界で唯一、花の咲き乱れる場所です」
ミーノスに冥界の色々なスポットをざっと紹介してもらった。途中、冥闘士や冥衣、三巨頭のことなどについての説明をしてもらいながら。
そして、最後に連れてきてもらったのがここだった。
今までどこに行っても風景は黒一色だったので、その美しさには笑顔を見せた。
かつてはユリティースとその恋人オルフェが留まっていた第二獄のはずれだが、聖戦の後ここにはもう誰もいない。
「きれい! 私、色のない世界だって言って・・・そう、ハーデスをそれで怒らせてしまったんだわ」
心に冷たい風が吹いて。はそうっとその場に座り込んだ。ロングドレスの裾が、大きな黒い花のように広がる。
「ハーデス様はこの冥界をこよなく愛されていますから・・・貴女にそう言われて、哀しかったんだと思いますよ」
「うん・・・」
傷つけてしまった。
そう思うと、の心も、痛くなる。
切なくなる・・・。
「謝らなきゃね」
さーっと、風が吹いて。花が揺れる。
気配に気付いたミーノスが、ひざまづいたとき、の目の前にハーデスが現れた。
「ハーデス」
昨日が思い浮かべた、スーツの男の姿をしている。微妙に昨日とは違う気がするが、ハーデスも細部まで正確には覚えていなかったのかも知れない。
身振りで命ずると、ミーノスはうやうやしく一礼して、立ち去っていった。
座ったままのの傍らに、ハーデスは黙って立つ。
「・・・神出鬼没なのね」
「神だからな」
冗談のつもりでもないだろうがそう言って、小さく付け加える。
「お前が、呼んだから」
は微笑む。確かに今、心の中で思っていた。ハーデスに会いたい、と。
「勝手に私の両親を連れてきたでしょ」
何となく悔しいから、別のことをまず言ってみた。
「お前が行方不明だと騒がれていたようだから、挨拶も兼ねて呼んだのだ。余計なことを言われては困るのでお前には言わなかった」
悪びれもしない。
「やっぱりあなたって、自分勝手」
と言いながらも、昨日のような激しい怒りは湧いてこない。自分でも気付いていた。
「冥界って、こんな場所もあるのね」
「花が咲いているのはここだけだ。あとはお前の言う通り、光と色のない世界だ」
「怒っているの? 昨日のこと」
ハーデスは今度は黙った。
「あなたの大切な世界を否定するようなことを言ったのは謝る。でも、それと人間が『死』を見ないようにしているのとはまた別だと思うの」
昨夜ベッドの中で考えていたことを、は伝えてみようと思った。本で読んだ内容なんだけど、と前置きをしてから話し始める。
「人間は『死』を普段意識しないようにしているんだって。それは自衛本能なんだって。私たちは生まれたときから死に向かって歩いている。タナトスっていって・・・死にたいっていう無意識な衝動もある。だけどそれを毎日考えていたら、とても生きてはいられないもの」
は王を見上げた。
「だから普段は忘れているようにしているんだって。だけど限りある命だって分かっているから。だから一生懸命生きているの」
最後の言葉だけは、本によるものではない、自分の想いだった。
ハーデスは遠くを見ていた視線を戻し、僅かに微笑んだ。
「・・・そう、お前は生命の輝きに溢れている。それが私を惹き付けた」
「え・・・」
さらさら花を揺らす風に、軽く髪を乱しながら。
「地上を覗いたとき、お前が輝いて見えた。私のもとに置いておきたいと思った・・・私だけのものにしたいと」
何て殺し文句。無理矢理連れて来られたことなど忘れてしまいそうになる。
ハーデスの瞳は、綺麗に澄んでいた。体はかりそめのものだけれど、この美しさは、彼本来のものだと、には分かっていた。
じっと見つめていると、吸い込まれそうになるような・・・。
「お前の気持ちを考えないようなことをしたが・・・私は神だから、人間の意志をいちいち慮るようなことをしたことがないのだ。それは良くないことだと、今日、ある者に諭されたのだが」
「わ、分かってくれればいいの」
意外に素直なんだ。ちょっと好感度アップ。
「だが、三つの世界のひとつ、冥界の女王になれるなど普通の人間ではいくら望んでも叶えられぬことだ。ありがたく思うのだな」
「・・・」
前言撤回。この高飛車な態度、やっぱり分かってないのかも。
「結婚のことは、まだOKしてないんだからね」
「ふ・・・もう首を縦に振っているのも同然だ。お前は私の花嫁・・・これは運命なのだから」
神に運命などという単語を出されれば、二の句が継げなくなる。
ハーデスはに不敵な笑みを向けると、その姿をふいと消してしまった。まるで風に紛れるみたいに。
「婚礼の準備に、まだ数日かかるだろう。好きに過ごすがいい」
と、言い残して。
H15.12.2
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