夕菅想


 いつものお稽古が終わった後に、とある相談を持ちかけられたので、琳彪は快くその場に腰を下ろし聞く体勢になった。
 妹のも、はす向かいの位置に少し膝を崩して座る。
「あの後、どうした?」
 相談というのは恋についてだ。実はからそのことについて話をされるのは、初めてのことではない。
 何でも話せる相手だと思われているのは、兄としては嬉しいことだが、男としては残念な気分もある。だがともかくも琳彪は親身になって話を聞いてやり、過日には「気持ちは言葉にしないと伝わらない」と助言もしてやったのだった。
「ちゃんと伝えたのか?」
 好奇心を取り繕い、表情だけは真面目に作って尋ねると、は子供みたいにこくんと頷いた。頬が赤い。
 琳彪は思わず身を乗り出してしまう。
「へえ、本当に言ったのか。で? 奴さん、何だって?」
 もはや面白半分なのを隠そうともしない。
 だが、恋に沈んでいるは、はあ・・・とため息をひとつ。
「それが、何ていうのか・・・ハッキリ答えてくれなくて。改めて聞くのも変だし、何となくそのままになってて・・・」
 ついさっき木刀を振り回していた、男顔負けの気迫はどこへやら。普段だって明るく元気ななのに、こんなふうな影を帯びるとは。
 大人になりかかっている証拠なのかな。
 琳彪は少し、目を細める。
 夏の木漏れ日が風に揺れ、のなめらかな肌を撫でる。その額や首筋、腕の辺りには、先刻の激しい修練の名残りがあって、まだらに光を受けるたびきらりと跳ね返す。
 美しいな、と琳彪は思った。
 このの告白に、即答しない男がいるとは。
「しょうがねえ奴だな。じゃあ、奥の手だ」
 心もち身を屈めるように近付いて、内緒話の態。は目をぱちくりさせた。
「奥の手?」
 琳彪は、明らかにいたずらを含んだ笑みを見せる。
「古来からな、女が男を落とす手管なんざ、決まりきってんだよ」
 誰もいやしないのに、辺りをきょろきょろ見回してから、の耳もとに口と手を寄せた。
 ぼそぼそぼそ・・・何事かを囁かれると、は赤くなったり叫び出しそうになって身もだえしたり。
 そんな反応を十分楽しんだ後、座り直して琳彪は呟く。
「・・・でもよー、そんな面倒な相手、やめといた方がいいんじゃねーか。あんな唐変木より、何だったら俺が・・・って、もういねえし」
 一人きり残されていた琳彪の周りを、やや涼しい風がひゅーっと吹き渡る。
 苦笑して、木刀を手に立ち上がった。


 障子戸を開けたとき、兜丸は家を間違えたかと焦った。
「・・・すまん」
 ぴしゃりと閉めたものの、いややはりここは俺の寝室だ。そうすると今のは幻・・・? 今目に入った信じがたい光景を、受け入れかねるまま、もう一度戸を開ける。
 そうして兜丸は、間違いでも幻でもなかったことをはっきりと知らしめられた。
 部屋の中には、勝手に布団が敷かれている。そしてそこに横たわっている
 浴衣の裾は乱れ、膝があらわになっている。胸元の開きも不自然に大きい。そんなしどけない格好で、肘を立てるように少し上半身を起こし、心なしかうるんだ瞳でこちらをじっと見て・・・。
 ピンク色の唇が小さく動き、
「兜丸・・・」
 囁きの声で名を呼ばれた。
 その瞬間に、我を取り戻した。
「お前・・・、何バカな真似をしてるんだ、出て行け! 早く!」
 ものすごい勢いで怒鳴られ、は犬猫のようにぽいとつまみ出されてしまった。

「うう・・グスッ・・・」
 いつも寡黙で冷静な兜丸が、あんな大声を出して乱暴に追い出すなんて・・・。
 嫌われているんだ。
 告白は、迷惑でしかなかったんだ・・・。
 哀しみに暮れ、は、浴衣姿のまま宵闇の山中をあてもなく歩き続けていた。
 いつしか大粒の雨が降り出し、地面や木の葉を激しく叩いている。それでも木の下を避けて通った。わざと雨粒に当たるように。
 心はショックで固まってしまったのだ、せめて身体でも雨に打たれ、びしょ濡れになってしまいたかった。
 一瞬間、空に閃光がひらめく。林の奥までもが、強烈な光によってつまびらかに浮かび上がる。
 ゴロゴロゴロ・・・!
 とどろく雷鳴が胸を打つも、の小さな身体を揺るがすまでは至らない。
 まるで分厚いヴェールが、自分の周りにバリアを張っているかのようだ。感覚も感動も何もない。
 ただ、部屋を追い出されたときの、兜丸の困り切った顔と不機嫌な声が、繰り返し繰り返し浮かんでくるのだった。
(あんなに、いやがられるなんて・・・)
 後から溢れる涙も、雨と一緒になってしまえばいい。
 突然、視界の一部を白いものが覆った。頬に柔らかく触れる感触。
 左の二の腕を強く引かれたと思ったら、雨が体に当たらなくなった。頭からタオルを被せられ、大木のもとへ引き込まれたのだと理解する。
「−カゼひくぞ」
 そばに大きな影。見上げることが出来ず、は激しい雨にばたばたと打たれるままの地面に目を落としていた。
「放っといてよ、私のことは」
 兜丸は、大きな手のひらをタオルの上に載せ、の髪をくしゃくしゃさせながら水気を取ってやる。
「・・・放っとけるか・・・せっかく、その、気持ちがお互い通じたのに・・・」
「・・・お互いって・・・何のこと?」
 思わず顔を上げたら、しずくが髪から頬に跳ねた。冷たい。
「兜丸は私のことがいやなんでしょ」
「いやなわけないだろ」
「だってさっき思い切り拒否したじゃない」
 口に出すとまた泣きそうになるので、タオルの端で顔を隠そうとする。そのタイミングで再び空を稲光が裂き、二人の顔を映し出した。
 兜丸の、優しさをたたえつつ何かをためらうような表情に、胸を締め付けられる。その後に響き出した雷鳴が、ますます心音を高めてゆく。
「さっきはあんまり驚いてしまって・・・心臓に悪い冗談はやめてくれよ」
 低く、ぼそぼそとした声、外の音に負けそうな。
「冗談って何よ! 兜丸が返事もくれないから・・・せっかく思い切って言ったのに・・・っ!」
 もう嗚咽が混じろうが涙が流れようが、お構いなしだ。
 こんなに感情が溢れ出るのは、にとって初めてのことだった。それを止めようとしないのも。
 今なら子供のようにしても許されるんじゃなかと、未だ冷静な自分の一部が判断していた。この雷雨の中でなら。彼の前でなら。
 徐々に雨足は弱くなってきているようだ。
 そんな中で、兜丸は少なからず驚きを覚えていた。
 好きだと言ってくれた、あのときのを思い起こす。
 顔を赤くして、いちずな様子の
 それに対して、自分は何と応えただろう。
「・・・・」
 衝き動かされるように、兜丸はに近寄ると、左手を肩に回す形で、ごく優しく抱き寄せた。
「・・・すまん・・・」
「何がすまんよ」
「俺が、ずっと昔からお前を想ってたことを、知ってたのかと・・・」
「・・・・」
 タオルで、ぐしゅぐしゅの顔を拭いた。そうしてからは、背の高い兜丸をぐっと見上げた。
 未だ困ったような、苦笑いのような曖昧な表情を、可愛い上目遣いがにらみつける。
「気持ちは、言葉にしないと伝わらないのよ」
 おうむ返しだ、琳彪のアドバイスの。
 兜丸はひとつまばたきの後、手持ち無沙汰の右手で頭をかいた。
「そうか・・・そうだな、すまん」
 芸もなく「すまん」と繰り返し、手を下ろすと、にわか真面目な表情になる。
「さっき言ったように、俺はお前のことを想ってたよ。だからお前が言ってくれたときは、嬉しかった・・・」
 添えられた左腕に力はこめられず、二人の距離は詰められることもない。兜丸の右手も、所在なくぶらんとしたままだ。
 でもは、互いの気持ちが急速に近付き、結び付いてゆくのを、めくるめくような最上の喜びの中で、はっきりと感じ取っていた。
「俺と、付き合ってください」
 小さめの、だがはっきりとした申し出に、満面の笑みで大きく頷く。
 気が付くと雨は上がっており、葉っぱから水滴がぽとぽと落ちる音だけで、あとは静かな闇に包まれていた。

、どうだ湯加減は」
『うん、ちょうどいいよ』
 弾む声にエコーがかかり、開いたままの浴室の小窓から、外にいる兜丸に届く。
 雨は上がったものの、はすでにずぶ濡れになっていた。本当に風邪をひいては大変だからと、風呂を勧めたのである。
 火のついた薪の正面にしゃがみこんで、竹筒でフーフー吹いていたら、小次郎がやってきた。
「おっ兜丸が風呂やってるなんて珍しいじゃん。俺も入ろっかな」
「・・・今、が入ってる」
「何だよかよ、つまんねー」
 一緒に入れるわけでもなければ、覗いて楽しい相手でもない。
 口を尖らす小次郎めがけて、石鹸箱が飛んでくる。
『つまんないとは何よ、バカ小次郎!』
「怖えー」
 片手でキャッチした石鹸箱を窓から放り投げ返してやり、小次郎はでたらめな鼻歌を歌いながら去っていった。
 何となくハラハラしていた兜丸も、落ちついてフーフーを再開する。
 額の汗をぬぐいつつ目を上げると、窓からもくもくと湧いて出る湯気に気を取られた。夜の大気にうっすらと四散してゆく様子は秘密めいていて、ほんのり色気を感じさせる。おまけに、官能的な花の匂いまでもが広がってゆくのだった。
 ぼうっとしながら、この中にいるのことに思いを巡らすと、自然その姿を想像しかけてしまい、かぶりを振る。
 そのときだ。風呂の中から声をかけられたのは。
『兜丸も一緒に入る? 背中流してあげるよ』
 しっとりとした響きに、心臓がどきりと音を立てる。
「な・・・何言ってるんだ」
 慌てて下向き薪の様子を調べた。真っ赤な顔を見られる心配はないが、動揺は上ずった声で悟られただろう。
 果たして、ふふふ、と湿った笑い声が聞こえてくる。
『照れ屋さんなんだ』
「・・・からかうな・・・俺はそういう冗談は嫌いなんだから・・・」
 口の中で呟くと、それきり兜丸は黙り込んでしまう。

 熱いお湯の中で、はのびのび手足を伸ばした。
 湯船には、淡黄色の花がぱっと一輪浮いている。
 花使いのは、常から風呂にも花の香を用いることを好んでいた。たくさんの萩、むせかえるような金木犀、ときには真紅の薔薇の花びらなど。
 今日ゆらゆらと浮かんでいるのは、夕菅(ゆうすげ)の花だ。さっき兜丸と外を歩いているときに見つけた。
 夕方に咲いて次の朝にはしぼんでしまう可憐な花を、は一輪だけ貰い受けて来たのだった。もちろん、強い雨の直後で、レモン色の花は閉じてしまっていたけれど、が摘むと、嬉しそうにほころんだ。
 ぱしゃ、と手を出し、夕菅をすくい上げる。顔を近付けると、えもいわれぬ芳香が更にも濃くなった。
 上気し、酔いの回る心地で、お湯越しに自身の躯を見下ろした。ほの白くゆらめく、頼りないようでいて締まった身体。
 そうして、たった薄い壁一枚を隔てた向こうに兜丸がいることを思うと、わけもなく気分が高揚し、胸の鼓動がこめかみにまで響くのだった。
「兜丸・・・」
『ん?』
「・・・何でもない」
『・・・そうか?』
 にこり、ひとり笑って目を閉じる。胸いっぱいに、夕菅の香。


 次の日、兜丸は一人で何となく昨夜の夕菅のところに来て、ひょろ長い枝が分かれた先にちょん、ちょんとついている黄色いつぼみを眺めていた。
 そこにやってきたのは、木刀を抱えた琳彪だ。
「おう、とうまくいったんだろ? キューピッドはこの俺なんだからよ、感謝しろよ」
「・・・キューピッドってのはずい分と柄が悪いんだな。に余計なことを吹き込んだのは、お前か」
 浴衣で待ち伏せ色仕掛けなんて、がひとりで考えついたとは思えない。
 実際はそれほど苦々しい気持ちもなかったが、ぶっきらぼうに言ってちょっとにらむようにしてやると、琳彪の方も大げさな仕草で首をすくめ、そのまま行ってしまった。
「兜丸!」
 入れ替わりのようにが駆けてくる。琳彪は気を利かせてくれたのかも知れない。
「夕菅を見ていたの? 夕方じゃないと咲かないのに」
「・・・ああ、いや・・・」
 普段と何も変わりのないの態度に、兜丸はかえってどぎまぎとしてしまう。
 心が結び付いた翌日というのは、居心地が悪いような変な気分だった。
 の方はやはり何のこだわりもないのか、すぐ隣に立ってさり気なく手を繋いでくる。
 だけど、
「昨日の・・・、夢じゃないよね」
 小さな、小さな声で呟くから、たまらなく愛しくなって。
 返事の代わりに、手を強く握り返した。

「何だよ、ガキじゃあるめえし・・・じれってえな、キスくらいしろよ」
 こっそり覗き見なんて、趣味の悪いことをしている琳彪だったが、彼の望むような展開にはならないようだ。
 いつまで見ていても、二人はただ手を繋いで、言葉と微笑みを交わし合うだけだった。
 それだけで満たされている様子に、キスシーンを見せられるよりもアテられてしまった琳彪だった。



      END




 ・あとがき・

ハッキリしない相手に、思い切って色仕掛け。私が好んで使い回すパターンのひとつです。
据え膳食っちゃうような男はいないけどね・・・そもそもそれくらいなら色仕掛けの必要ないし。

真面目で口が重い兜丸は、劉鵬以上におくてのような気がする。ちゃんがねだらないと、キスもしてくれなさそう。
まぁ兄妹のような感じで、穏やかに愛をはぐくむカップルという感じですね。いいねぇ。

色仕掛けと、お風呂に入れてあげるというのを書きたかっただけなんだけど、ちゃんはお風呂にもお花を入れるんだろうな・・・夏に咲く香りの良い花って何かな、と調べたら出てきたのが「夕菅」でした。タイトルにまでなっちゃった。





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