壬生に傷を負わせた風魔を見に行った(確かに目は不自由だが、何も視覚に頼るだけが「見る」ことではないだろう)。
そこに、小次郎という忍びのほかに、くノ一がいた。
という名のそのくノ一から、漂ってくる花の匂いに、心を惹かれた。
滅多にないことだった。
あれから数日経った今でも、忘れられなく・・・それどころか、心の中で、花の匂いが声が・・・の存在というものが、どんどん大きくなっている。
だが相手は風魔一族、自分たち夜叉の古くからの宿敵。
想ったところで、どうにもならない。
このことは決して表に出さず、自分の胸のうちだけに秘めておこう。
・・・そう、決めていたのに。
「おい闇鬼、お前、風魔の女のことを考えてんだろ」
なぜか、雷電に、バレた。
花 香
「・・・何のことだ」
動揺を見せぬことには成功したはず。
なのに雷電は、
「隠すな。俺にはお見通しだ」
さりげなく顔を逸らした先に回りこんできて、勝ち誇ったような大声を出す。
こんなところにだけ、鋭い奴だ・・・。
闇鬼は内心で舌打ちをしていた。
顔や態度に出ていたわけはない。おそらく、似たような感情を抱いている雷電の勘が働いたのだろう。
雷電は、誰が見てもあからさまなほど、夜叉姫を恋慕っているのだから。
「何だよ水くさいなー!」
いや、友達でも何でもないのだ、水くさいも何もない。
口には出さずにツッコみながら、しかし闇鬼は、雷電がやけに友好的であることを意外に感じていた。
敵の女に懸想しているなど、そしられて当然のことなのに。雷電は楽しげにすら見える。
「じゃあ、俺が取り持ってやるから、後で俺の方の協力もしろよ!」
「・・・いや、そんな必要は・・・」
闇鬼が重い口をようやっと開いたときには、もう雷電の姿はそこになかった。
せめてこっちの言うことを聞いてから行ってくれ。
闇鬼はため息を吐き、壁にもたれる。
取り持ってやるって・・・一体何をしでかすつもりなのか、風魔と夜叉の全面戦争のただ中に。
それに、後で協力してくれとは・・・とどのつまり、それを目的に恩を売ろうとしているのはよく分かったが・・・。
(協力・・・したくないし、しても無駄な気がする)
果てしない疲労感に襲われ、闇鬼はひとり眉根を寄せた。
数時間後、雷電に呼ばれ地階に出向いてみれば、件のくノ一を攫ってきて閉じ込めていると言う。
闇鬼は倒れそうな気分になった。思わず壁についた手が、ひやりと冷たい。
「・・・こんなときに、お前は何を・・・」
「いいじゃねーか、どうせ風魔とはやり合ってんだ。風魔のくノ一なんて、お前の好きに扱えばいいだろ!」
雷電の大きすぎる声が、地下いっぱいに反響する。
「じゃ、約束の方、頼んだぜ」
「約束なんてしてな・・・」
もう雷電の気配が消えてしまっているので、闇鬼は口をつぐんだ。
騒々しい上に、何て勝手な奴だ。もっとも、今に始まったことではないが・・・。
苛立ちながらも、部屋の中が気になる。
・・・この中に、あのくノ一が・・・花の香りを纏うた娘がいる・・・。
冷たいドア越しにも、彼女の気配や心音を感じることが出来た。ただ吐息はくぐもっている。猿ぐつわでもかまされているのだろう。・・・手足の自由も奪われているようだ・・・。敵方とはいえ、手荒なことを。
放ってはおけない、というのを建前の理由にして、闇鬼はドアノブに手をかけた。
不覚を取った、としか言いようがない。
身体をいましめられ、口まで塞がれ薄暗い部屋に放置されている現状を思うと、は布切れをかまされている歯に、力を加えずにいられなかった。痛いくらいに、ぎりりと。
男と同じように戦いたいと、その能力はあるからと、言い続けていたものがこの体たらく、兄弟たちに会わす顔がない。
それにしても・・・。
無機質なコンクリの壁をねめつけながら、はうめく。
あの夜叉−雷電。
いきなり拉し、こんな場所に監禁するとは。さっき廊下で大声が聞こえていたが、ここに入ってきたら返り討ちに・・・
カチャ・・・
この部屋に唯一の扉が開く音に、思考は中断された。
来た。早速反撃のチャンス。
ドアに目線を固定し、姿が現れるのを待つ。
奇襲すべきか、それともしばらく様子見か・・・。
しかし、静かに足を踏み入れた男を見て、は気勢をそがれてしまう。
服装こそ同じだが、雷電ではなかったのだ。
髪が長くて背も高く、声も発しなければ物音すら最小限しか立てない。
そんな、雷電とは正反対ともいえる夜叉が、一歩、二歩と近付いてくる。
この男も八将軍の一人であることを、は知っている。小次郎が武蔵とやりあったあのときに、彼の姿もあった。男の足音と共に、の心音も高まる。
長髪の男は、閉じた目を一度も開けずにの目前にまで進み出て、その長躯を屈めた。
目の前に膝をついた男が、両手を伸ばしてきたので、はびくりと体をかたくする。
ふと、呼吸が楽になった。
声を封じていた布端が取り去られたのだ。
は強い目線で見上げる。
「・・・あんたは夜叉八将軍・・・」
「・・・闇鬼」
呟かれた名は静かな響きを伴って、なぜかの琴線に触れた。伏せられたままのまぶた、その先のまつ毛にも、何か気持ちをかき立てられる。
(・・・何、考えてるの、私・・・)
奥歯を噛み締め、自分自身を叱る。
この男は敵。そしてここは、敵の本陣だ。油断してはいられない。
八将軍の闇鬼・・・この男に、何をされるものか・・・。
(ならば・・・先手必勝、か)
麗羅のセリフを思い出しつつ、いきなり立ち上がると、隠し持っていた攻撃花を振り上げた。
「繚花陣」
手足のいましめなど、自力でとっくに解いてある。
八将軍の一を下すとまではいかなくても、隙を誘って逃げ出せたなら上々だ。
花びらが部屋いっぱいに広がり、を中心に渦を巻く。
それは目の覚めるような、赤−血の色−。
「・・・花・・・」
闇鬼の光映さぬ目にも、見えるようだ。
芳香を振りまきながら乱舞する、美しい花びらたち。
そしてその花霞に紛れて、動こうとしているくノ一の姿も。
なるほど物音はおろか気配までうまく殺している。それに何と身軽なのだろう。
目の前を流れ舞う花たちに、多少であれ注意を奪われたなら、気取ることは不可能だろうと思わせるほどに。
だが。
「その手のものは、私には通用しない・・・」
忍術にはトリッキーな技も多い。いわゆる「こけおどし」というものも。
なまじ目が見えるだけに、惑わされる部分が多いのだと。
視力を失ってから、よくよく悟ったものだった。
「・・・!」
は息を呑んだ。
いつの間にか後ろを取られている・・・。
あわよくば逃走しようと、唯一の出入口をさして移動したものが、ぴたりとついてくるとは・・・。
「・・・やっぱりその目・・・」
伊達に閉じていたのではない。この男、見えないのだ。
そして、視力を捨てているからこそ、他の四感がよく訓練され、ここまで研ぎ澄まされているのだと、は得心がいった。
ならば次の手を・・・。
仰ぎ見る、赤のかけら。花はまだ活きている。
「・・・」
「!」
出し抜けに名を呼ばれ、一瞬動きが止まる。
体勢を作る前に背後からの拘束を受け、は真に攻撃の機会を失った。
だが不思議なほど、危機感は生まれない。
闇鬼から殺気というもののかけらも発せられてはいないことに、このとき初めて気付いた。
それどころか、触れ合った腕から伝わり来るのは・・・。
(・・・!)
は目をぎゅっとつぶり首を振る。
そんなはずはない。こんなときに、敵という立場の忍びが・・・。
「・・・危害を与えるつもりはない・・・」
信じるべき言葉ではないのに。
は、静かに技を解いていた。
後ろから囁かれる声が、四肢の先まで染み渡り、麻痺させられる。
もしかしてこれこそが、闇鬼の技なのかもしれない。
依然、舞う赤の花びらを視界にぼんやりとらえ、気も遠のく心地に目を細める。
・・・もしそうだったとしても。このまま、命を奪われるのだとしても。
(・・・構わない・・・)
ほとんど朦朧としている中で、確かには、そう思った。
初めて見た(あえて「見た」と言うが)ときに、惹かれた香り。
花の匂いを、今こんなにも近い距離で感じている。
耽溺し、まったく自分を失いかけた。
心酔は、恋に落ちた証拠なのだ−そう思える冷静さを、頭のほんの片隅に残しながら。
まさか他人に興味を持つことがあろうとは・・・それもこれほどまでに激しく、求めてすらいる。
視力を失ってから、初めてのことだった。
「このまま、ここに閉じ込めておこうか・・・」
そうして、自分だけのものにしてやろうか。
−どうせ許されぬ思いならば。
腕の中で、の身体がわずかこわばったのを感じていた。
だがは、消え入りそうな声で、一言答えたのだった。
「・・・いいよ」
吸い寄せられるように交わした、互いにとっての初めての口づけは、この上なく甘く、切ない思いを、忘れられないほど刻みつけた。
「よー闇鬼、うまくやったみたいだな!」
またうるさいのが来た。
闇鬼はそ知らぬふりで、修練を続けようとした。
「それにしても、何で女を風魔に帰したんだ」
やたらに近付いてくるから、仕方なく木刀を下ろす。大方、表情から何かを引き出そうとしているのだろうが・・・、雷電のような単細胞に読み取られるようではおしまいだ。
闇鬼は眉ひとつ動かさず、一言で答えてやった。
「あれは風魔のくノ一だ」
あのとき、より確かなものを求めるを、振りほどくようにして解放した。
キス以上は何も与えず、何も告げず。
ただひとときの幸福を永く心に留めんと、深く深く、花の香りを吸い込んで。
『闇鬼・・・』
が慕ってくれているのは、肌で分かっていたから・・・、同じ気持ちだというだけで、満足だった。
「・・・フン。じゃあ俺の方も協力してくれよ。約束だからな」
いつしたんだそんな約束、と思いつつも、口からは、
「協力、してやらんこともない」
などという言葉がすべり出ている闇鬼だった。
どうせ夜叉姫相手では何をしても空回りに終わるだろうと、予測がついてはいたけれど・・・。
それでも、雷電に協力をしてやってもいい気になっていた。
あのときの思いを引きずっていたせいか、それとも、恋している男を、今までになく身近に感じていたためか。
自分でも分からない。
「じゃあ、頼むぜ!」
無邪気にはしゃぐ雷電を適当にあしらい、ようやく追い返すと、もはや木刀を手にする気にもなれず、壁際にもたれかかった。
(・・・)
声を吐息を、滑らかな肌をありありと思い起こす。
の匂いまでもが、こんなにも鮮烈に思い出されるのは・・・。
(・・・?)
気のせいではない。本当に花の匂いがする。
思わず差し出した手のひらに、風が触れた。
そっと撫で、花弁が載っているのだと知る。
「・・・」
名を声にすれば、あふれ出て、胸をかき乱し苦しくさせる。
闇鬼は見えない目で遠くを望んだ。
(なぜこんなことをする・・・)
そっとしておくのが、互いのため。
一過性の熱はそのうちに冷め、いずれ忘れることだって出来るだろうに。
少しでも触れてくれば、あの地下室でのことを思い出して、辛くなる。
(・・・・・)
こんなにも、苦しくなるから・・・。
立ちのぼる花の香に、まるであのくノ一がすぐそばにいるような錯覚に陥る。
胸が締め付けられ、それでも闇鬼は花びらを風に放つことは出来なかった。
かえってそれを優しく握りこみ、胸にそっと当ててみるのだった。
また風が吹き、長い黒髪をなびかせる。
苦しさの中に熱い血の流れを、確かに感じ取っていた。
(届いたかな・・・)
風は敵の陣地であろうとどこであろうと、運んでくれるだろう。花びらに乗せた、大切な気持ちを。
柳生屋敷の外に出、は愛する人に向けたメッセージを送ったのだった。
(・・・闇鬼・・・)
不意に襲ってくる痛みに、胸を押さえる。
「おーい」
そこに、のんきな顔した弟がやってきた。
「小次郎、屋敷を出たりして・・・」
武蔵に刺し貫かれた左腿に目をやり、顔を軽くしかめて見せる。
だが小次郎はちっともこたえず、自分で包帯をぽんぽん叩いた。
「もう大丈夫だって! それよか、ここで何してんだよ」
「・・・別に・・・」
宙に視線をさまよわせてから、もう一度手負いの兄弟に目をやる。
・・・この子も、恋をしている。
「小次郎・・・」
「ん?」
「姫ちゃんのこと考えてると、苦しくなる?」
姫ちゃん、と聞いたとたん、小次郎の顔はだらしなく緩んだ。
「え、姫子のことを〜? へへ・・・」
・・・どこからどう見ても、苦しくはなさそうだ。
「・・・何でもない」
はそっけなくきびすをめぐらす。
「は? 何だよ、ワケ分かんねーな」
置き去られて、小次郎は口を尖らせた。
(・・・)
苦しいのは、それだけ想っているからだ。
その事実を、闇鬼は静かな驚きの中で受け止めた。
誰かのために、感情が揺すぶられる。
今までこんなことがあったろうか。
夜叉一族の中で、血反吐を吐く思いでのぼりつめた。
仲間に裏切られ、光をなくした。
そんな人生の中で・・・。
そう思うと、苦しさすらいとおしく感じられてくる。
全ては、自分の心が生み出すものだから・・・、許されぬ恋も苦しさも、ありのまま、感じてみてもいいのかも知れない。
そう覚悟をしたら、ある衝動が止められなくなった。
もう体は動いている。
考える前に行動するなど、滅多にないことで、自分ながら闇鬼は驚いていた。
全てが狂わされている。
それでも、顔を上げた表情には、強い意思が表れていた。
(今度は、私がお前を攫いに行くよ・・・)
濃い花の香りを、自分だけのものにするために。
END
・あとがき・
21年の初ドリームとなりました。
大好きな闇鬼を、風連で書いてみたいな、と思ったのがきっかけ。
前は声だったので、今度は匂いを使ってみたいなと。
書き始めたのは去年だったけど、しばらく筆が進まない期間がありまして。
このジャンルでのドリームの、あまりのマイナーさに、ちょっとモチベーション維持が難しくなったというか何というか。
でも、また徐々に書きたい気持ちが起きてきて、完成させることが出来ました。
良かった。途中でダメになるかもって思ってた。
だって、雷電がちゃんを攫ってくるなんて、メチャクチャな話なんだもの・・・!
まあ、このとっぴさも、ドリームだからということで。
闇鬼はこの後、雷電に協力してあげたのかな。
夜叉姫には届きそうもないけれど・・・(笑)。
間が開いちゃったので、話の行き先も私の頭で二転三転してました。
元々、しっかりとしたプロットではなかったのでね。
闇鬼が本当にちゃんを地下室に閉じ込めてしまうとか、二人別れてしまってそれっきりとか考えていたんだけど。
間を取ってこんな感じ。
恋は楽しいけど苦しい。
でもそれもこれも、大切な、自分の想いなんだよね。
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