雪樹林の、いっそう奥深まったその場所を、「アメジストの森」という。
巨大な紫水晶が、木々に混じり、無造作な様子で地から生え出しているゆえの呼称だが、範囲はそう広くはない。一角に腰かけぐるり見回すと、全ての紫水晶を数えることが出来るほどだった。
アメジストの結晶は、根元から先に行くほど色味が強くなる。その先端すら透明度を増したのを見て取り、は、一日のうち最も太陽の恵み深い時間帯にさしかかったことを知った。
密な枝葉をくぐり抜け、ようよう差し込む陽光、そして雪の照り返し。微弱ながらそれらの光は、大地の産した貴い鉱物を、ますます雅やかに磨きたてるのだった。
には、それはどこか妖しく、魅惑的な輝きに思える。それでなくとも紫は、にとって何となくよそよそしい、神秘的で大人っぽい色だった。
はこの場所に、考え事があるとき、また、詩を書いたり作曲をしたくなったりしたときなどに、足を運んでいた。日常から切り離されたような空間は、神託にも似たインスピレーションを授けてくれる。
でも、今日、バドとの遠乗りを終えてから出向いたのは、単にクールダウンのためだった。
バドと一緒に馬を駆ることで、普段とは違う自分を見出し、高揚した気分になれた。それは素敵な体験に違いなかったけれど、ワルキューレの気分で城に帰るわけにはいかない。こんな調子のままで、に出くわしたりしたら・・・などと想像すると、一人寄り道をせずにはいられないだった。
紫色は、気持ちを落ち着けてくれる。なるほどアメジストは、酒の酔いを醒まし正気にしてくれるお守りでもあった。
異国の神話では、無色透明の水晶に神がワインをふりかけ、紫水晶に変じたと伝えられている。白い上衣をたっぷりとまとった居丈の高い神が、物憂げな様子で銀杯を傾ける・・・そんな様子を、ぼんやりと思い浮かべていた。
「また来ていたのか」
声の方に首を傾けると、目の焦点が合った。は座したままの会釈で挨拶をする。アメジストにまつわるあれこれに思いをはせるうち、頬までほてらせていた熱もほぼ落ち着いていた。
「お邪魔していて大丈夫? アルベリッヒ」
アメジストの森は、彼のものだ。デルタ星メグレスの神闘士でもあるアルベリッヒは、アスガルドでも一、二を争う名家の御曹司なのである。
由緒正しい家柄といえばシドもそうだが、アルベリッヒはシドとは大違いで、ジークフリートやを最初からあからさまに見下していた。「成り上がり者が」と幾度言われたことだろう。
しかし、は彼のことを憎む気にはなれなかった。それどころか、自ら近付いていき、今では友達になれたと思っている。アルベリッヒが、この森に自由に出入りすることを許してくれているのが、一方的ではない証拠だ。
この上は、兄とも仲良くして欲しいものだけれど、はたから見るにつけ、ジークフリートとアルベリッヒの仲は最悪だった。
ジークフリートは人の悪口を言い募るような人ではないから何も言わないし、実際のところ相手にしていないだろうけれど、ことあるごとに家筋を持ち出しては辱めようとするアルベリッヒのことを、よく思っているはずもない。
「今度の作品こそ、鑑賞にたえうるものなんだろうな、大詩人」
近くの紫水晶にもたれるように立ち、アルベリッヒは口もとに皮肉めいた笑みを浮かべた。ここで詩や曲を作っていると打ち明けたら、少女趣味だと笑われ、それ以来こんなふうにからかってくるのだ。
だけれどそれは、ほんの戯れに過ぎず、にとっても不快なものではない。
「大詩人も、今日は休憩よ」
軽く返し、微笑みかけた。
とても背が高い兄のことを、いつも見上げているけれど、アルベリッヒは自分とそう身長も違わない。親しみを感じるのはそんなところからかもしれない。そして、アメジストに似た色の髪に、はいつも見ほれる。
「今日は割と日差しが強いのね。アルベリッヒの髪、きれい」
「・・・」
真っ直ぐな視線の前で、アルベリッヒはいつも戸惑わずにいられない。戸惑っていることを悟られたくはなくて余計に憎まれ口を重ねてしまうのだが、は全く気にする様子もないのだった。
出会った当初からそうだ。どんな意地悪をしてもなぜか空回りで、こっちの調子が狂ってしまう。
「成り上がり者だと、仲良くできないの?」−そう、きょとんとしたような顔で言われたとき、毒気を抜かれたようになって。
いつの間にか、誰にも立ち入らせたくないこの場所まで、開放している体たらくだ。
(・・・)
今まで自覚はしていたけれど認めたくなかった気持ちが、歪んだ形を取って自分を衝き動かそうとしている。アルベリッヒは止めることができるはずだった。
の表情に不意に影がおり−その影が警戒の色をしていることにも気付いていた−、さり気なく、しかしはっきりと身構えるまでは。
「待てよ」
この場所から逃げ出そうとする前に。
腕を伸ばし、捕まえた。
「・・・っ」
アメジストに押し当てられた背中が痛い。は顔をしかめる。
アルベリッヒの緑がかった瞳を見ていたら、男と二人きりだという事実に、今さらながら気付かされた。
いとまを告げようとしたその瞬間、いきなり乱暴な扱いを受けて、声を出すのも忘れるほど驚いた。
それを怯えと解したアルベリッヒは、心の中に火が熾(おこ)されるのを知りながら、大きく燃え広がってゆくのをただ見守っていた。ひどく残酷な気持ちで。
左手を紫柱につく。空いた右手での左手首をつかみ上げ、自由を奪った。
「どうしたのアルベリッヒ、何をする気」
細い声がわずか震えていることに満足を覚え、知らず笑いを漏らす。近くに、触れるほど近くに口を寄せると、
「お前をキズモノにしたら、ジークフリートの奴、どんな顔するかな」
わざと下卑た言い回しで囁き込んでやった。
「そんなこと・・・」
つかまれた左手が熱い。アルベリッヒの体温を感じ、吐息に触れても、は尚ぼんやりと見続けていた。
吸い込まれそうな、紫の色。
単純な驚きを過ぎると、もう危機感はなかった。こんな場面なのに、自分でも不思議なほど、怖いと思えない。
「あなたは、そんなことをするような人じゃない」
「お前に俺のことが分かるものか」
アルベリッヒから、はっきりと苛立ちを感じ取れる。拘束する手に更に力が加われば、逆にの緊張は緩んだ。
「精霊の声に耳を傾けられるあなたが、ひどいことするわけないもの」
虚をつかれたように目を見張った。そんな顔を見せてしまったことを恥じるかのように、すぐに顔をそらし、眉根を寄せる。
「・・・フン、おめでたい奴め」
邪心や悪意、欺瞞・・・この世界はそんなもので溢れ返っている。ヒルダの祈りがどれほど役に立つものか。
目の前の小娘は、そんなことも知らない。篭の中の鳥のごとくに、あらゆることからしっかり守られ、大事にされているせいだ。
それも、兄・・・あのいまいましいジークフリートによって。そう思うと、尚更腹立たしい。
ならば自分が教えてやりたい。を傷つけてやりたいのだ、めちゃくちゃに。そうしてから、その傷を手ずから癒してやりたい。
純白の翼をへし折り、地面に引き倒してけがし、泥だらけの手で抱きしめたい。
奇妙な衝動は嵐のようにアルベリッヒの中を通り過ぎ、結局、彼は手を離した。を解放し、背を向けかける。
「お前を手篭めにしても、得なことなど一つもない。俺はそれほど馬鹿じゃないからな」
背後で身じろぎする気配を聞いた。もう、ここへは来ないだろう。こんな目に遭わされてまたノコノコやって来る女なんていない。
そう思うと、息苦しくなる。彼の人生で滅多に感じたことのない、それは「後悔」だった。
だから、がもう帰ると告げ、続けてこう言ったとき、思わず振り向いてしまった。
「また来るわ」
「なっ・・・バカかお前は」
「だって、もう変なことしないでしょ」
冗談混じりに釘をさすは、無防備なのか全てを見抜いているのか。アルベリッヒにも判断がつかない。
この笑顔も、意識しているのかそうではないのか・・・。
いちいちかき乱される気持ちが煩わしく、苦しい。こんな思いをさせられるのが、悔しい。
そんなことも知らず、は上を仰いでいる。光と風を見るかのように。
「今度、ここで竪琴を奏でてみたいの」
この森を満たす空気の特殊性を感じていた。きっと宝石の持つ神秘の力によるものだろう。ならば音も、違った響き方をするはず。
おぼつかない腕前でも、試してみたかった。どんなふうに震わし、共鳴するのか。
「そのときは教えろ。ミーメ直伝の腕がどれほどのものか聴いてやる」
尊大な口調は、すっかりいつもの調子だ。も安心したように、変わらぬ笑みを向けた。
「お耳汚しよ」
「期待などするものか。ただ聴きたいだけだ」
ただ聴きたいだけ・・・言葉に滲んだ想いは、伝わりはしないのだろう。
は軽やかに身を返し、去って行った。
静けさを取り戻した森に、一人きり残されて、何とはなしに先ほどのアメジストに手を触れてみる。硬質で冷たい感触が指先に伝わった。
「あんな奴の妹なんかじゃなかったら、良かったのに」
水晶越しの景色は、全てが紫色に見えた。
アルベリッヒは人知れず、ため息をついていた。
・あとがき・
前回の話から間があいてしまいましたが、ちょっと、苦労していたせいです。
ちゃんにとって、アルベリッヒとはどういう相手なのか。どんなふうに関わっているのか。これが難しかった。
なんといってもアルベリッヒとジークフリートの仲の悪さは有名ですから!
アルベリッヒがちゃんを襲いかける、というのはかなり早い段階に思い浮かんでいたのですが、「それじゃドリームじゃないだろう」ということで、いったんはボツになっていました。
でも、色々考えて、いっそアルベリッヒだけは本気でちゃんを好きなことにしようと決め、また、ちゃんもアルベリッヒを悪くは思っていないことにしました。
兄のこととは関係なく、その人の本質を見るということで。
しかし、アルベリッヒには悪いけど、片想いです・・・。
それから、話の流れからアルベリッヒに絶対に言わせておきたい言葉があったんだけれど、考えてみれば今入れなくても差し支えないやということに気付き、それも省いたらようやく話ができました。
でも、じっくり考えて書き始めて良かったと思います。満足満足〜。
冒頭は紫水晶に関するあれこれをうるさく書きましたが、私が宝石好きなもので、つい。
好きといっても、そんなに持っているわけではないですが、興味があります。宝石の本など眺めていると幸せです。ちなみに11月生まれの私、誕生石はトパーズです。シトリンという名前でよく売っていますが、シトリンはトパーズではなくシトリンクォーツ・・・黄水晶なんですよね。私はインペリアルトパーズが大好きです。ロゼワインの色が可愛い。ブルートパーズもいいですね。アルベリッヒは、私大好きなキャラです。リアルタイム時から神闘士の中では文句なく一番、聖闘士星矢全体の中でもかなり上に位置する好きキャラです。だからちゃんに本気になってもらったんだけど(笑)。
元々私はあまり悪役を好きにはなれず、それがゆえにリアルタイム時、サガやカノンもほぼ眼中になかったんですけど。アルベリッヒをどうして好きになったんでしょうね。小悪党だからかな(笑)。中原茂さんがまず好きだし、見た目が好みだったのか、背が低いところが可愛いと思ったのか・・・謎です。
そういえば、アニメスペシャルについている神闘士の身長対比表を見てみたんですが、アルベリッヒほんとに小さいんですよね。星矢やフレアと同じくらい。
そしてびっくりしたけれど、トールを除いてはジークフリートが抜きん出て背が高い! アルベリッヒとは頭一つ分も違いますよ。見上げちゃいますよね。
そのジークフリートの妹、ちゃんは、身長どれくらいですか?
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