は厩にいた。
「どうもありがとうね」
フェンリルのところまで往復してくれた労をねぎらいつつ馬を繋ぎ、外に目を移す。
西に広がる空が、夕に色づいている。赤の濃淡が天と雲とを立体的に彩り、日輪の最後の恵みを柔らかに
広げていた。
微笑んで眺めるうち、ふっと、ひとつのフレーズが心に浮かんだ。自然の作り出す壮大な色彩美への崇拝に似た感嘆が生み出した、新しいメロディだった。は急いで小さなメモ帳を取り出すと、ペンでざっと五線を引いた。流れゆくものを引き止めるように、もう一度思い起こしながら、一つ一つ音符に変換し書き落としてゆく。
ほんのかけらだけれど、短い曲のもとになるかもしれない。そう思うと楽しく満ち足りた気持ちになって、弾む足取りで城へ戻った。
明日の仕事確認をしにヒルダ様のもとへと向かう途中、ハーゲンに会って、足を止める。
「ハーゲン、これからお仕事?」
「ああ」
笑顔を向ける。アスガルドの民には稀な浅黒い肌に、白い歯がよく映えた。
ハーゲンは、ヒルダ様の妹フレア様に仕えている近衛隊員であり、ベータ星メラクの神闘士でもある。
ジークフリートを目標とし、一種憧れのようなまなざしで見ているが、その妹に対しては昔から本当にくだけた、遠慮のない態度で接してくれていた。
例えばシドのことは兄のように見ているだが、ハーゲンはまったく対等の存在だった。にとって、彼は唯一の男友達といえるかもしれない。
「そうだ、ジークフリート、他の隊員とシフト代わってたから、夜勤になったぞ」
「まあ、今日は朝からだったのに」
優しい兄のこと、何かの事情で夜勤が出来なくなった隊員の代わりを進んで引き受けたのだろう。
「じゃあ、今夜はに会えないわね」
聖域行きのことについて相談しようと思っていたのに、今夜は無理だということになる。は拍子抜けの心地で目を伏せたが、ハーゲンは別の解釈をしてニヤニヤしていた。
「何だよ、今日会えないくらいでそんな顔して。相変わらずブラコンだな」
「そ、そんなんじゃないわよ」
「じゃあ何だよ」
「それは・・・」
とっさに何も言えないでいると、「ほらみろ」と背中を叩かれた。
「アイツを振ったのも、その辺が原因なんだろ?」
「アイツ」とは、あのラブレターをくれた近衛隊員のことだ。丁重にお断りの返事を書いて渡したのだが、その人の同僚に当たるハーゲンに冷やかされるのは、気分のいいものではない。
「そんなふうに言うの、やめてよ」
は決してハッキリと拒絶できるタイプではないけれど、ハーゲンだけは別だった。ハーゲンには、いやならいやと、思ったままを言える。愛想笑いをする必要もない。
そんな気持ちの良い存在を、得がたいものとして大切にもしていた。
「ああ、悪い。もう言わないよ」
ハーゲンも、すぐに謝った。
「でもアイツ、相当ショックだったみたいで3日くらい休んでたぞ。最後には隊長に喝入れられてたけど」
それは初耳だ。
「・・・悪かったかしら」
自分のせいで大事なつとめを休ませてしまったと思えば、戸惑いを覚えずにいられない。
「いや、その気がなかったらはっきり断ったほうが本人のためだろ。中途半端にいい人ぶらないほうがいいって。実際、アイツじゃの相手としては釣り合わないし」
「そんなこと」
「だいたい、そんな私的なことで仕事を休むなんて、近衛隊の風上にも置けない奴だ」
「あら、だって」
は笑って言った。
「ハーゲンだってもしフレア様に嫌われたら、3日どころか一週間は寝込んでしまうんじゃない?」
からかうとハーゲンは真っ赤になって怒った。
「っ! そんな縁起の悪いことを言うな、俺がフレア様に嫌われるなんて・・・そんなことありえないっ!!」
「あら、私が何ですって?」
可愛らしい声が、ハーゲンを金縛りにした。ロボットのようにぎくしゃく首を回し、
「フ、フレア様っ!」
シャキーンと直立不動になる。その動作の推移があまりに可笑しくて、は口もとをおさえて笑っていた。
フレアは金のふわふわした髪を揺らし、小走りに二人のもとへとやってくる。物腰静かで落ち着いた姉とは対照的で、まだ子供のように天衣無縫な部分を残しているこの妹姫のことを、国の誰もが愛しんでいた。
中でもハーゲンは、幼いころからフレア様フレア様と、一途に慕い、付き従ってきたのだった。
「こんなところで何のお話?」
「ハーゲンの話といったら、決まってるじゃないですか」
まだ笑っているを、赤い顔をしたままのハーゲンは目で制していた。フレアはピンと来ないようで、小首をかしげている。
「そうだわ、、ケーキを焼いたんですってね、まだ残ってる?」
フレアは姉のところに行ってきたのだろう。このやんごとない姉妹が、自分のケーキなどを話題にしてくれたなんて、恐れ多いことだ。
「ごめんなさいフレア様、フェンリルのところに持っていって食べてしまったんです」
「まあ、残念だわ」
彼女もまた、メイドのお菓子ファンなのだった。心底残念そうに言われて、は控えめに微笑む。
「また作りますね」
「ええ、楽しみにしているわ。そうだ、今夜、私の部屋に来ません?」
こんな誘いは、初めてではない。もいないことだし、とは頷いた。
「分かりました。あとで伺います」
「ハーゲンは夜勤なのですね。頑張ってくださいね」
「はい、もちろん、頑張ります!」
元気いっぱいの敬礼で応えている。フレア様の一言だけで、人の10倍は頑張れそうな勢いだ。
ハーゲンの単純さは端で見ていて面白いくらいだけれど、純粋にすごいな、とも思うだった。
「フレア様にちゃんと売り込んでおいてくれよ!」
先に自室へと戻っていったフレアを見送ってから、ハーゲンはにこう囁いた。
フレア様に、自分のいいところをあれこれ話しておいて欲しいというのだが、こう頼まれるたびに困ってしまう。
「だって、何をどう言えばいいのか分からないわよ」
「何だと、俺にはセールスポイントがないとでも言うのか」
の笑いたい気持ちも吹っ飛ぶほど、ハーゲンの目は真剣そのものだった。迫られて、両手を振ってみせる。
「そうじゃないけど。大丈夫よ、何たってハーゲンはフレア様に信頼されているんだから」
はっ、と息をつき、ハーゲンはから少し離れた。
「信頼から一歩踏み出したいんだけどな、そろそろ」
ストレートの髪をかきあげながらの言葉に、は何気なく聞き返した。
「踏み出して、どうするの?」
「どうするってそりゃおまえ、俺の口からそんなこと言えるかよ!」
また赤くなっている。よく分からないけれど、ともかくハーゲンは必死だ。
「本当に、ハーゲンはフレア様一筋なのね」
極寒のアスガルドにありながら、激しい炎の中で特訓し、凍気の他に灼熱の拳をも手に入れた。そんなふうにして、ほんの子供だったときからフレア様のためにと頑張ってきたのだ。フレア様のためならたとえ火の中水の中、なんだろう。
「バカみたいだって思ってるんだろ」
今度は怒っていない。自嘲というでもなく、ただ静かな声で呟く。
は首を横に振った。
「ううん。素晴らしいことだと思ってる。どうしてそこまで出来るのか、分からないけど」
正直なところを告げると、ハーゲンはどこか誇らしげに声を弾ませるのだった。
「そりゃには分からないさ。お前は恋したことないんだから」
「恋・・・」
「そう。本当に好きな相手ができれば、分かるはずだ。自分ひとりよりも、力が何十倍にもなる、ってことをさ」
恋だとか、好きだとか、恥ずかしげもなく口にするハーゲンに、自分の方が照れながら、は口を開きかけた。
言葉になる前に、別の声が響く。
「ハーゲン、。こんなところで何をしているんだ?」
「ジークフリート」
「」
すたすたと廊下を渡ってくる。足早なのは特に急いでいるからではなく、ジークフリートの長いコンパスと常にきびきびとしている動作のせいだ。
「、今日は・・・」
「夜勤になったのでしょう? ハーゲンから聞いたわ。私はお声をかけてもらったから、フレア様のお部屋にお邪魔しようと思って」
「そうか。失礼のないようにな。ハーゲン、一緒に行くか」
「はい」
ハーゲンは嬉々として、ジークフリートの方へ駆け寄った。
「じゃあな」
「またね。お仕事しっかりね」
ハーゲンは軽く手を上げる仕草で、兄はほんの少し微笑んで、早速仕事の話を始めながら二人は歩いていった。
誇りある職を務める男たちの背中を見送りながら、は、恋というものについて考えていた。
荒々しい性格のハーゲンが、フレア様の話をするときだけはとろけそうになっている。力が何十倍にもなると、そうも言っていた。
それは不思議な、恋の秘密だった。
ハーゲンはずっと昔から知っている。
(・・・私も・・・)
胸に生まれた気持ちに、自分ながら驚いた。はきゅっと手を握る。
まだ憧れに過ぎないけれど、確かに芽生えているものがある。恐れを越えて、知りたいと思い始めている。
はっきりと意識にのぼっているわけではない。だけれどは、動き始めた自らの運命と無関係ではないということも、感じていた。
・あとがき・
神闘士のトリとして、ハーゲン登場です。
こんなにあからさまに女の子に想いをかけているキャラって、聖闘士星矢では珍しいんじゃないでしょうか。邪武とカシオスと映画版のフレイくらい?
アニメでは、もう氷河とフレアの言うことなんて全く耳に入らないくらい嫉妬しまくっていたなあ。幼いフレアとハーゲンは可愛かった。
それだけに最期が哀れでしょうがありませんでした。精一杯手を伸ばしていたフレアの姿が、もう・・・。
ここでは、本当に幸せになってもらいたいです。でも、フレアの方がちょっぴり鈍そうなので、ハーゲンの想いはなかなか伝わらないかも。ハーゲンは単純で荒っぽい性格なんだろうね。牡羊座っぽいよね(笑)。
すぐ熱くなる。顔もすぐ赤くなる(笑)。ケンカっ早いけど、水に流すのも早い。フレア様に対する恋心を隠そうともしない。そんな感じ。
本文でも書いたけれど、北の国に住んでいてあの浅黒い肌って珍しい。特訓で焦げたのかな。おかっぱ頭も珍しい。他にファラオくらいか?廊下で出会ってそのまま立ち話って、シドと同じパターンなのでつまらないかな、もっと盛り上がりが欲しいかな、などと考えていてなかなか書き進めることができなかったのですが、パッと書きたい気になって手をつけたら、どんどん進みました。やっぱりタイミングよね〜。
フレア様やジークフリートも、書いているうち自然に顔を出してくれた感じです。ボーイフレンドって、今はあまり使わない言葉かもしれませんね。
ちゃんにとって、ハーゲンは本当に気のおけない男友達なんですね。あれだけフレア様にラブラブだと、ちゃんにも恋心なんて芽生える隙もないみたい。
男女間に友情は存在するか? なんて話になれば長くなりそうですが、同性の友達と同じような存在があってもいいんじゃないかなと思って、タイトルを「ボーイフレンド」にし、そういう対象としてハーゲンを描いてみました。
愛想笑いをしなくてもいい相手、言いたいことを気兼ねなく言える相手って、大切だと思います。「こんなことを言ったら笑われるかな」「傷つけちゃうかな」と遠慮しすぎて何も言えなくなってしまう私だけれど、そういう相手が数少なくてもいるから、大丈夫。
ちゃんにとって、ハーゲンこそがそういう人なんですね。素の自分でいられる。実は恋人にするのにいいのかも。でもハーゲンはとにかくフレア様だから、ダメだけど(笑)。蛇足ですが、「ボーイフレンド」に関する私自身の思い出話をひとつ。
ずっと昔、兄が母に、「ボーイフレンドってなに?」「ガールフレンドってなに?」と聞いていたんです。きっと覚えたての言葉を使ってみたかったんでしょうね、何度も何度も同じことを聞いていた。私たちの母はにこやかに何度も「男の友達のことよ」「女の友達のことよ」と答えてあげていました。
それを見ていた私、無性に仲間に入りたかった。兄が聞く同じことを、母に聞いてみたかった。それで、早速言ってみました。
「おかーさん、「ぼーるふれんど」って、なに」
母は笑って、「ボールの友達のことじゃない?」
兄は大爆笑。
私は、なぜ兄と同じ答えがもらえなかったのか分からず、更になぜ笑われているのかも分からず、きょとんとしていたものです。
・・・ただそれだけなんですが、かなり幼いころの話なのに私の中で色濃く残っている記憶なので、ちょっと披露したかったんです(笑)。
第11話・
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