フェアリー
「失礼します、ミーノス様」
黒い冥衣をまとった冥闘士が入ってきて、パンドラからの連絡事項をきびきびと告げ始めた。
その一挙一動から、ミーノスはなぜか目が離せない。
天空星フェアリーのは、パンドラ直属の冥闘士である。地位としては自分たち三巨頭よりもちろん格下だが、パンドラにことのほか気に入られているため、他の冥闘士たちからも一目置かれる存在であった。
ちなみに、以前聖域の黄金十二宮において、サガたちの監視としてつけたフェアリーは、が放っていたものである。
それだけなら、こんなにもミーノスが気にかける冥闘士にはなり得なかっただろうが・・・。
「ミーノス様の方からは、これだけですね」
決済済みの書類を持ち上げる、その手のたおやかなこと、とても冥衣という鎧に似つかわしくはない。他の冥闘士と比べると、圧倒的に小柄な体。ヘッドパーツから垣間見える小作りの顔は、黒衣に引き立てられて、いよいよ白い。
そう、は、希少なる女性の冥闘士なのだった。
「それでは、失礼致します」
仕事上必要ないくつかのことを終えると、すぐに退出する。そっけないほどの態度は、いつものことだ。
「ご苦労でした」
そしてまた、ミーノスが決まりきった言葉しかかけられないのも、いつものこと。
心の中には、いつもたくさんの言葉が渦巻いているのに。
静かに、しかしきっぱりと閉ざされたドアに向けて、盛大なため息をつくのも、いつものことだった。
ありていに言って、恋なのだろう。この自分の気持ちに、そんなありふれた名前など、本当はつけたくないのだが。
を意のままにすることなど簡単なのに(コズミックマリオネーションで今すぐにでも)、三巨頭という立場を利用して服従させることだって可能なのに。
実際には、仕事以外のことを話しかけることすら出来ないでいる。
天貴星グリフォンのミーノスともあろう者が、ただ一人の女性にこんなにも心を乱されるとは・・・。
が置いていった書類に目を落とすが、内容なんてまるっきり頭に入ってこない。
彼女は仕事をテキパキとこなすし、戦闘能力においても他の冥闘士に劣りはしない。
自分には・・・いや、色恋なんてものには、全く興味がないのに違いなかった。
そしてミーノスには何も出来ない。これほどの片想いは初めての経験だし、三巨頭としてのプライドが邪魔をしているのも確かだ。
ただ、事務連絡にやってくるを、見ていることしか・・・。
「ミーノス、入るぞ」
声と同時にもうドアを開けて、ずかずか足を踏み入れている。こんな傍若無人な奴は、一人をおいて他にはいない。
「アイアコス、ノックくらいしてくださいといつも・・・」
「今夜、飲みに行こうぜ。ラダマンティスも誘ってきたし」
こちらの話など聞かず、一方的に喋ってくる。もう怒るエネルギーもない。
「冥界なんて辛気臭いし、野郎ばっかでムサ苦しいもんな。地上行って、可愛い女の子たちと楽しい夜を過ごすことに決定だ。遅れるなよ、じゃーなっ」
勝手に決定して、げんなりするくらい朗らかに手を振ると、アイアコスはさっさと出て行ってしまった。
「全く、相変わらずせわしない」
でも結局、いつも付き合ってしまっている。
あんなアイアコスだが、実力は認め合っているし、一緒に行動すれば楽しいことが多いのだ。
それにしても、さっきのアイアコスの言葉は引っかかる。『野郎ばっかでムサ苦しい』・・・の存在を、彼はどう思っているのだろうか。
確かには常に隙なく冥衣を装着して、あの通りクールに仕事をさばいているので、“女”を感じさせない。事実、他の冥闘士たちの中にいるのを見ても、男の中に女がいる、という感じではないし、周りが意識しているふうでもないのだった。
もしかして、冥界の者の中で、を女性として想っているのは、自分ひとりだけなのかも知れない。
そう考えると、己がとても俗な人間であるような気がしてくる。反面、彼女の魅力に唯一人気付いていることは、密かな優越感に繋がってもいたのだが。
他の人間にが見つかってしまう前に、何とかしたい。アイアコスに相談しようかと思い立ったりもしたけれど、笑われそうだからやめておいた。
・・・力も地位もある自分が、こんなことで悩んでいるとは。
さっぱり減らない書類の山に、思わずつっぷしてしまうミーノスだった。
地上での夜遊びは、そこそこ面白かった。ハメを外した、とまでは言わないが、羽化登仙、いい気分で冥界に戻り、アイアコスやラダマンティスと別れる。
「−?」
足を、止めたのは。
何かが、鼻先をかすめたから。
焦点を結ぶと、それは死界の蝶・・・フェアリー。何故ここに?
行く先を負って顔を上向けると、漆黒に塗り込められた空間に、ひとひらだけではない、いくつもの美しいフェアリーが舞い遊んでいる。
そしてその中心に立つのは・・・ひときわ大きく、最も麗しい、フェアリー・・・?
(・・・まさか)
酔いすぎたのかと思った。
だが目をしばたいても、それは消えることなく、むしろ鮮やかさを増してミーノスの網膜に飛び込んでくる。
あまたの蝶に囲まれた・・・あれは、人・・・。
冥府の風に舞う薄衣と髪が、ひらりまるで羽のように見えたのだと知った。
明るい色の髪と、目の覚めるような白い肌、シフォンのワンピース。周りを気紛れに飛び回る、小さな蝶たち・・・。
死界の闇すら、それらを引き立てるための舞台でしかない。
それほどに幻想的で、美しい光景だった。
「」
夢幻などではありませんように・・・つい本気で願ってしまったことを、子供じみていると自嘲しながら、名を呼んだ。
フェアリーの中心に立つ少女−そう、少女だ。冥闘士などと呼べただろうか−は、突然声をかけられたにもかかわらず、落ち着き払った様子でこちらを振り返った。
の瞳が、くっきりとしている。ミーノスは、知らずのうちずっと彼女に近付いていたことに気が付いた。
まるで、魅入られたかのように。
「ミーノス様」
毎日聞いている声、いつも見ている顔。
でも、今目の前にいるのは、初めて会う娘。
何となればその身にまとっているのは堅硬な冥衣ではなく、いかにも軽やかなドレスだ。髪はおろし、薄化粧まで施しているではないか。
「ここで、何をしているのですか」
ずっと黙っているのも不自然なので、とにかくと工夫も何もないことを問うと、はいつもにないやわらかな笑顔をミーノスに返した。
「フェアリーたちを遊ばせていたんです」
こんな時間にこんな場所で、そんな姿で?
ささやかな疑問は、しかしすぐに押し流されてしまう。
蝶たちに包まれて、美しいと二人きりだという事実に、気付かされたから。
「」
短く名を呼び、次にはもう、抱き寄せていた。
自分の中で、未だ冷ややかな一部分が、『酔っている』と嘲っていたが、いつものことを想っていたのだ、と自分自身に言い訳をする。誓って、酒などのせいではない。
腕の中で、一瞬体がこわばる。−拒まれる−?
しかしは、ふっと力を抜いて、体を預けてきた。
「ミーノス様、お慕いしてます」
「・・・・・」
返事を、出来なくて。優しく口づけることで答えにした。
「・・・随分、飲んでらっしゃったんですね」
酒のにおいがダイレクトに伝わってしまったことを恥じるが、はことさら嫌悪しているでもなく、笑っていた。・・・ほんの間近で。
「私の部屋に、来ますか?」
自然に口から滑り出た言葉に、ミーノスは自分でも驚く。
だが、動揺を表すことなく、うつむくように頷いてくれたの背に、手を添えた。
しんとした私室に、わずかばかりのあかりを灯し、求め続けていたいとしい人を、再び抱き寄せようとする。
ところが、普段よりずっと華奢なその体は、腕の間からするりと逃げてしまった。まるで気紛れなフェアリーそのままに。
ひらり舞ったワンピースの裾が落ち着くより先に、は口を開く。
「戯れなら、やはり嫌です」
きっぱりと、まるで普段の仕事中のような口調は、ミーノスに苦笑をこぼさせた。
「戯れでも、気の迷いでもありません。、君のことをずっと見ていました」
あまりにすらすらと出てくるので、かえって空々しいセリフのように響いてはいまいか。ミーノスには少し苛立たしかった。
本当は、もっと真剣に伝えたい気持ちだったはずなのに。
「ミーノス様」
それでも、優しく笑って。はやはりフェアリーのような軽やかさで、腕におさまってくれた。
「・・・今夜、ここで私のものに・・・」
もう逃がさないようにしっかりとつかまえて、慎重に唇を重ねる。
上手に導き、ベッドの上へと横たえた。
「・・・震えているようですね」
「・・・すみません」
素直に謝ってきたのが少し可笑しくて可愛くて、ミーノスはの頬をなぞる。
首に、肩に、指を滑らすと、未経験の領域に踏み入れるときのおののきに、やはり少女の体は小さく震えているのだった。
常に冥衣によって守られていた身体が、今はなんと無防備なことか。それは、ミーノスが初めて見て触れる、の柔肌だった。
「大丈夫ですよ・・・」
撫でてキスを散らす。ゆっくりと時間をかけて。
「あ・・・ミーノス様・・・」
「まるで夢のようです、・・・」
抱き合いひとつになるのも、どこか現実味を欠いていた。
だからこそ儚いものとして、ミーノスの心に、染みた。
「罠、だったんですよ。本当はね・・・」
いたずらをばらすように、はひそやかに告げた。
二人の間に距離はない。さりとて触れ合うわけでもなく、ただ並んで横になっていた。
ミーノスはそっと隣を見る。いつもの凛とした横顔で、はじっと天井を見ているようだった。
「罠・・・?」
おうむ返しにすると、ようやくこちらを見て、少し笑う。はにかんでいるように。
今日は初めて見るばかりだ。そのたびにミーノスはドキリとしている。
「ええ。私、本当はあそこでミーノス様を待っていたんです。貴方のことを好きで、ここが苦しくて」
胸の上に、手を置いてみせる。
それを罠と呼ぶのは大げさで、だがその言葉の甘い響きは、ミーノスの気に入った。
「気持ちを伝えたくて・・・」
「よく、あの時間まで」
飲みに行くなんては知らなかったはずだし、決して早い時間ではなかったというのに。
「・・・アイアコス様が、教えてくださったんです」
とたんにミーノスの脳裏に、今夜のアイアコスの顔が浮かんだ。
そういえば、何か意味ありげなことを喋っていたような。
「そういうわけですか・・・」
何とも複雑な気分だが、こんなふうになれたのだから、感謝すべきなのだろうか・・・。
「感謝しろよ!」
アイアコスはニヤニヤ顔で、ミーノスに礼をせびりにやって来た。
寝不足の頭で、書類の山をボーッと眺めていた朝のことである。
三巨頭ともあろう者が、直々に足を運んできて何を言うかと思えば・・・。
「お前たち見てるとじれったくてしょーがないからさ、心優しいこのオレが、骨折ってやったってわけ」
いつものように飲みに行ってバカ騒ぎして、帰る時間をに伝えただけのことを骨折りというのか。
いや待て、今アイアコスは、何と言った?
「じれったくて、って・・・し、知っていた、と・・・?」
顔が赤くなっているかも知れない。
アイアコスは口の端を上げて笑った。
「お前がを好きなことなんて、バレバレだぜ。冥闘士たちの中にものことを気にかけている奴は少なくなかったが、みんな諦めたさ。そりゃ天貴星グリフォンのミーノス様にニラまれちゃ、生きていけないから、当然だわな」
「みんな・・・」
「そ。知らなかったのは、当のだけだったのさ。だからキューピッドのオレに十分感謝して、今度の給料日にはオゴるように。それじゃ」
神鷲がキューピッドとは。だがミーノスには笑う気力もない。
みんなに・・・部下たちにも、知られていたなんて・・・。
立ち直れない気持ちでいたら、出て行ったアイアコスと入れ替わりのように、天空星フェアリーの冥闘士がやってきた。
「おはようございます、ミーノス様」
「・・・ああ・・・」
目が合うと、は少し笑った。秘密を共有する者同士で交わすサインに、やはり夢でも何でもなかったのだと、ミーノスは改めて昨夜のことを思い出す。
が自分のものになったという事実を、感触までそのままに・・・。
「ミーノス様、聞いてらっしゃいますか?」
気が付くと、彼女はいつものように淡々と仕事を進めているのだった。
「」
ミーノスはデスクから立ち上がり、冥衣のウエストに手を回す。それでも、相手がいつものようにクールなのが口惜しい。崩してやりたいといういたずら心半分で、顔を近づけた。
「困ります、ミーノス様」
というその声にも、甘ったるさが付加されている。の瞳に、期待の色を見て取って、ミーノスは口もとをほころばせた。
「こんなもので可愛い顔を隠すのはもったいない」
黒い輝きを宿すヘッドパーツを外し、机の上に置く。こぼれ落ちた長い髪をすくい、優しく撫でた。
「今日はこのまま、仕事をサボるか」
アイアコスみたいなことを言うミーノスに、は困惑してしまう。
「そんな、でも」
「いつも休みもなく真面目に働いているんだから、たまにはいいだろう」
「・・・ミーノス」
ミーノスの口調からいつもの敬語が消えている。ちょっとくすぐったい気持ちで、も彼を初めて呼び捨てにする。
二人の気持ちに敏感に反応し、冥衣がそれぞれの身体から外れ、ひとりでにオブジェ形態を取った。
グリフォンに寄り添うようなフェアリーを見下ろして、二人は照れ笑いをする。
顔を上げると、共犯者の瞳で見つめあい、キスをした。
「好きだ。」
「ミーノス・・・」
思いのままに抱きしめ合う。気持ちを確かめ合った二人に、もう何の迷いもなかった。
休みとなったミーノスの部屋が、やがて恋人同士の甘い声で満ちてゆく。
・あとがき・
冥界三巨頭ラスト、ミーノスドリーム。
ミーノスって、三巨頭の中では一番印象薄いキャラでした。
ラダマンティスは出番多かったし、アイアコスには私一目ぼれだったので。
でも当時、中指立てたポーズで色々言われていたことは印象に残っている(笑)。言葉遣いで少し悩んだんだけど、コミックスを読み返したら、ミーノス最初は敬語なんだけど最後には普通の言葉になってたのね。
だから、恋人になったちゃんに初めて普通の言葉で話すということにしました。
しかし、ミーノスもちゃんも敬語なものだから、誰のセリフか分かりにくくなってしまった。
ムウ様だったら、恋人に対しても最後まで敬語なんだろうけど。「天空星フェアリー」という冥闘士の称号は、かづな勝手に作ったものです。
ちゃんと108の魔星を調べて、天祐星と天空星とどちらにしようか・・・と迷ったりして、決めました。
パピヨンのミューと蝶繋がりかなー。当初は、ミューと兄弟にしようかとか親戚にしようかとかとも考えていました。イトコくらいかも知れないね(笑)。
女性の冥闘士という設定も楽しいかなと思いまして。クィーンは謎としても、原作ではハッキリ女性と分かる冥闘士は出てこなかったからね。
なにげにアイアコスラブな私の気持ちも反映されたドリームになりました。
三巨頭は仲良しだね。一緒に飲みに行ったりして。
H15.7.26
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