ピンポン、ピンポン……
「……かくまってくれ」
……また、来た。
エスケープとデート
は、女性ながら週刊少年ジャンプに少年マンガを連載している人気マンガ家である。
同じく連載作家の平丸一也が、担当の吉田さんから逃げるためにこうして押しかけてくるのは毎度のこと。
「平丸先生、コーヒーでいいですか?」
「また担当さんから逃げてるんですねー」
アシスタントも女性ばかりという華やいだ仕事場で、この来訪者は追われる立場にそぐわぬほどの歓待を受けている。
「ああ、ありがとう。ここに来ると生き返るようだよ」
普段から女好きらしいところを見せている平丸は、アシスタントやにうまいことを言っては何やかやと接近しようしてくる。
女の子たちは、それを面白がりながら、適当に相手をし笑いさざめいてはまた机に向かい手を動かすのだった。
「……あぁ、なんか行きづまっちゃったな!」
ぐんと伸びをし、ここの主が立ち上がった。
「平丸先生、たまには一緒にエスケープしましょうか」
上着に袖を通しながら、は逃亡者に向かい、笑いかけた。
「先生は、いつも余裕があるように見える……私は毎週いっぱいいっぱいだというのに」
こうして逃げ回っている間に、ネームの一枚でも描けばいいんじゃないかな。と思いつつ、は軽く斜め後ろを振り仰いだ。
川原の土手を二、三歩後れて歩いてくる平丸は、屋外では更にも顔色が悪く見える。充血した目の下には、クマまであった。
「ああ、全く何故こんなことに……。働かす、楽して生きたいと願うのは、そんなにいけないことなのか……?」
今の状況がまるでその報いであるかのように、苦悶の表情で頭を抱える。
本人は真剣に悩んでいるのだろうが、傍で見ているはつい、笑ってしまうのだった。
自身は、マンガ家になるというのは小学生のときからの夢だったから、プロとして大変なことも多いけれど、やはり幸せなことだと感じている。そういうマンガ家は多いことだろう。
平丸のように、好きでもなく経験もないのに連載デビューできるなんて、普通はありえないのだ。
非凡な人――天よりの才を与った。
それなのに、自堕落でどこまでも人間らしい人。
その不可思議でアンバランスな性質に、惹かれる。
確かに、惹かれている――。
「平丸さんは、そういう平丸さんだからこそ、ラッコ11号みたいなマンガが描けるんですよね」
速くなる胸の鼓動とは裏腹に、緩めた歩調で隣に並び、は平丸の血色の悪い顔を下から見上げるようにする。
「本当は分かってるんでしょう? 逃げたって、結局は何とかやらなきゃいけないし、出来る能力がある……」
「……」
平丸は心底恐ろしげな表情で、女性マンガ家を見下ろした。
可愛いな、と常々思っている先生は、まるで邪気なく笑って言うのだ。
「私も平丸先生のファンだから、今週も来週も、休まず描いてくださいね」
「……うう……吉田氏といい、何故皆で人の首根っこを押さえつけるようなことを……」
がくーっと頭を垂れ、口の中でブツブツまじないのように呟いている。
すっかり立ち止まってしまった彼と向かい合うと、冷たさの中にも春の匂いを抱き込んだ風が、ふんわりと吹き付けてきた。
「いいじゃない。時々こうやって二人で逃げようよ」
「……ん、うん、悪くない」
逃げる、という単語に反応したか、バッと顔を上げ、
「よし一緒に逃げよう」
手も握ってきそうな勢いに、は退いた。
「いえいえ、エスケープは仕事あってこそのエスケープですから」
「……むう、結局は仕事をしなきゃいけないのか……」
当然だ。
もう一度吹いてきた風に誘われ、は空を見上げる。
「今度は桜の咲くころにでも、ここを歩きましょう」
桜の木たちが、土手に沿って並び、今はまだ寂しい枝を伸ばしている。希望と、誇りを持って。
「……それは、私をデートに誘っていると解釈していいのかな?」
平丸の、黒い前髪の下にある眼が暗く光った。
「つまり私に気がある……そうか、君みたいな可愛い人に好かれて嬉しい」
こんなのは彼のいつもの甘言、女の子を前にすると反射的に出るくらいの軽い言葉で、深い意味など何もない。
そう、分かってはいるのに。
不覚にも、ドキッとしてしまった。
だって平丸先生のことが気になって仕方ない……アシスタントにちょっかい出したり、満更でもない様子を見ると、ひそかに嫉妬してしまうほどに。
その平丸に差し出された手の先で、しかしはひらりと身を返した。
「じゃあまた……桜のころに」
そっけない一言だけを残し、ぱたぱた走り去ってしまった。
置き去られ、手をひっこめるタイミングも失ったままの平丸は、ひとり呆然と立ち尽くすだけ。
なんかちょっといい雰囲気だったと思うのだが……あんなに急にいなくならなくても。
そのとき。
「平丸くん!」
いつの間にか、背後にいた刑事に大声で呼ばれ、飛び上がる。
「こんなところにいたのか。さあ仕事に戻った戻った」
「よ、吉田氏っ」
肩に手を回され――決して友愛の証などでなく、逃がさないためだ――観念するほかない。
「吉田氏……ここは桜が咲いたら見事でしょうね」
「ん……ああそうだな」
ずうっと続く桜並木を見通して、担当も表情を緩める。
満開の桜のトンネルを、二人で並んでくぐり歩く……そんな光景を思い描きながら、平丸は、自分の仕事場まで引きずられていったのだった。
春になったら、桜が咲いたら。
新しい何かが萌し、根付くのかも知れない。
逃亡ばかりの天才マンガ家と、の間に。
END
・あとがき・
バクマン。
ジャンプを読んで育った私には、興味深い内容だし大好きです。
いつものようにドリーム視点で見たとき、主役二人はすでに彼女持ちだからなぁ、と思ったのですが、成人男性のキャラが多いし、現実に近い舞台だから、色々書けるかも。と思い直しました。
そういうわけで、最初は港浦さんドリームのネタが浮かんでいたんだけど、平丸先生を書きたい気持ちが追い越しちゃった。
プロット立ててから、平丸さんって女の子好きだったってことを思い出してまた書き直したり。(最初はデートとかの狙いとか全然気付かない、ニブい感じで考えてたので)
……まだまだバクマン。暦は浅いので、キャラを掴みきってないんですね。
またほかのキャラで書きたい。今度は……誰がいいかな?
バクマン。ファンの方、是非リクエストください(笑)。
しかし吉田さんの「ヨシ」を、下の棒が長い「吉」に変換できない……。
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