「ただいまー」
部活、というまことに中学生らしい理由で遅くなった隆が、裏から帰ってきて店を覗くと、
「おかえりなさい、タカ!」
思いがけなく華やかな、女の子の声に迎えられた。
「……!」
幼馴染が、エプロン姿で微笑んでいる。
あなたのお姫様
「まーた親父にそそのかされたな」
「だって、手伝ったらお寿司食べさせてくれるって。私、おじさんのお寿司大好きだし」
渋面を作る隆に対し、はニコニコと洗い物をしている。
そんなに、目尻が下がりっぱなしなのは、庖丁握った大将だ。
「ちゃんは働き者だしべっぴんさんだし、隆のお嫁さんになってくれたら将来安泰だな」
「おおー、それはいいね!」
「俺も、今まで以上に通うよ!」
そこでお店の常連さんたちも、口々に同意したりはやし立てたりするものだから、隆はすっかり弱り切ってしまう。
「やだぁ、お嫁さんなんて」
などと言いつつ満更でもなさそうなの様子に、ますますいたたまれなくなるのだった。
「タカ、本当に毎日頑張ってるよね、部活。試合には応援に行くからね」
「ああ、ありがと」
二人で街灯を追い越すと、光が頭の上から逃げてゆく。夜の大気は少し湿っていた。
幼馴染だけに、二人の家はご近所同士だ。
歩いてもほんの五分とかからないのだが、「夜道は危ねぇ、責任持って送って行け」と父親に命じられては仕方ない。
……いや、本心は、仕方ないどころか……。
こっそり見下ろしたの、可愛い顔が、急にこちらを見上げてきたので、隆は慌てて目をそらす。
もうすぐ、の家が見えてくる。あっという間だ。
そう思ったとき、隣を歩くの歩調がやけに緩やかであることに気が付いた。
「タカはさぁ……」
口ぶりも、のんびりとしている。
「タカは、イヤなの? 私がお嫁さんになるの」
のんびりのまま、この不意打ち。
「えっ」
思わず声を出した隆の、その反応に頬を膨らまし、は顔をそらした。
「……さっきもそんな話のとき、迷惑そうだった」
「迷惑なんて、そんなわけないだろ。ただそんな先のこと今決めてしまったら、逆にに悪いと思って……」
自分にテニスという世界があるように、にも自分の知らない世界がある。
これから、高校、もし行くなら大学と、その世界は広がって、当然新しい出会いもたくさん転がっているのだろう。
そんな中で、を繋ぎとめておける自信は、とても隆にはなかった。
「悪くなんか、ないよ」
とうとう、の家の前に着いた。
立ち止まり、は優しくて強い幼馴染を見上げる。
「私は、幼稚園のころから、タカのお嫁さんになるって決めていたんだから……」
言ってしまってから、恥ずかしそうに目を伏せる。
その仕草にきゅんときて、隆はにっこり、笑った。
「俺に、断る理由なんてないよ」
控え目に、だけどずっと、想っていた。
もしこの先、五年後十年後に、に相応しい男になれていたら、本当にお嫁さんになってもらいたいな……と、のエプロン姿を見るたび密かに考えてもいたのだ。
……いや、必ず、相応しい男になる。
のふんわりとした笑顔を見ていると、体の奥から力が湧いてくるのが不思議だった。
「タカは力持ちだから、結婚式には絶対、お姫様抱っこしてもらうんだ」
は早くも具体的に夢見ている。瞳がうっとりしていて、どこか遠くに焦点が合っていた。
「いいけど、お姫様抱っこって何?」
「こう……横に抱っこするの。ほら結婚式で花嫁さん、よく抱きかかえられてるじゃない」
両手を差し出すような格好で説明するだったが、いきなりふわり抱き上げられ、小さく悲鳴を上げた。
「なに、こんなんでいいの? 軽い軽い」
「やっぱり力持ち……」
顔が近い。お互い真っ赤で、でも目を合わせ、微笑み合った。
「あんたたち、何やってんの家の前で」
窓から顔を覗かせたの母親は、慌てて離れる子供たちをニヤニヤ楽しげに見やっていた。
それから、七年の後。
よく晴れ渡った空には花びらが舞い散り、拍手と歓声がこだまする。
チャペルから出てきた隆とは、親戚や友人たちの笑顔−−もちろんその中には、あのころの青学テニス部メンバーの顔ぶれも並んでいる−−に、囲まれていた。
「タカさんおめでとー」
「お幸せにー!」
皆の祝福の中、花婿は花嫁を抱き上げた。横抱きに、いかにも軽々と。
「」
お嫁さんになった愛しい人だけに聞こえるよう、そっと囁く。
「もっともっと、幸せになろうな」
二人の家庭を、築いてゆこう。
「……うん!」
隆の腕の中、の笑顔が花開いて。
最高の瞬間が、カメラに収められた。
END
・あとがき・
バネさん書いた勢いで、もう一本テニプリ。
でもこれ一年以上前に考えていた話……。
タカさんみたいなタイプ好きです。気は優しくて力持ち。山田太郎のような。
幼馴染は使い古されているけれど、初恋が実るなんて素敵。
お姫様抱っこも、憧れますね。私も結婚式の前に夫に頼んだけど、タカさんのような力はない夫にあっさり断られました(泣)。
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