天使のいる場所
「ニア、今日はもう休んだら? キリがないんだから」
データとオモチャに埋もれているニアのそばに這い寄って、は少し強い調子で言った。
捜査をしていたのか遊んでいたのか、ニアは板チョコを口にくわえて振り向く。
「一緒に寝ましょう、」
カーテンをわざと閉めずにいたのは、今宵の月を堪能したいから。
月齢18の寝待月だから、端から欠けているけれど、室内を静かな光で満たしてくれている。
は、ニアと月の中にいるのが好きだった。
ニアのきめの細かい肌や清潔なパジャマが、微細なグラデーションを与えられるさまは言うに及ばず、ことに愛してやまないのは、その髪。
色素が薄く質も柔らかな髪が、月光を透かし銀の珠を転がすように光るのを見ていると、天使のような清廉さにため息の出る心地になる。
「少し、話を聞いてください」
「もちろん、いいわ」
枕もとの巨大なクッションに背を預け、二人は夜着のままちょこんと並んで座っている。
共にベッドに入る機会を常に得られるわけではないけれど、一緒に寝るといっても、何ら肉体の交渉を持たぬまま朝を迎えるのも珍しくはない。
例えば、今夜も、こうして隣にいて話をしたいだけかも知れない。
はニアの求めに任せるだけだった。
「には、何でも・・・確信のないことであろうと、ごく個人的なことであろうと、話したいと思うので」
ニアの声は、日中といささかも変わらぬ抑揚で、それも月の下では冴えて美しい。
「私は特別ってことよね。嬉しい」
「ええ、それはもちろん」
と言いながら、いつの間にかルービックキューブを手にしている。
カシャカシャ回し始めるが、手すさびにも足りず(なぜならものの数秒で六面揃えてしまうのだから)、すぐに放られてしまう。
所在なく、今度は髪をいじり始めた。
銀色の柔髪を指でくるくる弄ぶニアを優しく見つめ、はゆったり待っていた。
「・・・ずっと、Lの背中を追いかけていました」
やがて語られる言葉、その名に、も目を細める。
「Lのようになりたいと思い続け・・・Lの後継者と目され・・・そして今では、Lと呼ばれるようにまで・・・」
キラを追い詰め、事件を解決に導いたニアは、Lを継ぎ、今も世界の難事件に挑んでいる。
はそのLを、公私に渡ってサポートしていた。助手として、また恋人として。
「もちろん私は、このままLとして生きていくつもりです・・・でも・・・」
ようやく髪から離れた手を、はそうっと握ってあげた。
ニアの小さな手は、しっとりとに吸い付くようだった。
「・・・でも?」
決して急かさず促すと、ニアは繋がれた手に目を落としたまま、ぽつりつぶやきこぼす。
「のために生きたいとも、思うようになりました」
「・・・・・」
とっさに返せる言葉を持たなかった。だからニアと同じ方を、重なった手と手を見つめ、は息を詰めていた。
(私のために、生きたい、って・・・)
最上の告白、胸を衝き揺らすほどの。
「・・・嬉しい・・・」
「・・・・・」
恋人の、幸福に浸っている様子に逡巡しながら、ニアは結局、本当に言おうとしていたことを口にした。
「あなたのために生きることと、Lとして生きること・・・どちらを取ればいいんでしょうか・・・」
少し上向く、ニアの瞳に月が浮かんでいる。
「と結婚して、小さな家を建てて子供を作り・・・」
ふっと息を吐くにつれ、黄金色の月も揺れた。
「・・・そんな夢を・・・。Lとして生きようと決めていながら、との平穏な毎日を・・・、夢見てしまうんです」
とうとう月は消えた。ニアが目を伏せてしまったためだ。
「あなたを愛するようになってから、分からないことばっかりになりました」
かすかに滲む笑みは、自嘲のそれか。
全部まとめて抱きしめてあげたい衝動を、は抑えた。
代わりに、握った手を軽く揺すってやる。
「ニア、結婚しよう」
「・・・・」
ゆっくり、探るようにこちらを向いた瞳いっぱいに、今度はの笑顔が映る。
「家を建てよう。子供も作ろう。悩むことなんてないじゃない」
「・・・」
「十分実現可能な夢だわ。欲しいもの何でも手にすればいいのよ。・・・ね」
力強く、手を握ると、
「・・・はい」
小さくだけど返事をくれた。
それでも晴れないニアの心、暗雲となって覆う憂いを、は知っていた。何が枷となっているのかも。
「ニア、二人なら大丈夫」
すいと身を寄せ、唇を近付ける。
「一人じゃ出来ないことだって、ニアと私なら」
軽く、キスをして。
「大丈夫よ」
静かに抱きしめた。
ベッドの上二人きり、月をいっぱいに浴びて、動かず寄り添っていた。
パキ・・・パキッ。
耳なじみのあるこの音は・・・。
振り向くと、椅子に尊大な態度で座った男が、板チョコをかじっている。
(・・・メロ)
呼んだつもりでも、声にはならない。そういえば足元は不安定、そしてあまりにも殺風景すぎる場所だ。
(夢・・・?)
『よぉ、相変わらずだな、ニア』
懐かしいメロの声も、夢特有のゆらぎをまとって、頼りない。
せめて近付こうとするも、指一本動かせやしなかった。
対照的に、メロは、身体を伸び伸びと椅子に預けている。もう一口チョコをかじり、鋭い目をニアに向けた。
『なにシケた面してんだよ。お前は俺に勝ったんだし、Lを継いだんだろ』
(違うそれはメロの力があってこそ・・・)
やっぱり声は出ない。夢と分かっているのに意のままにならぬ四肢がもどかしい。
ただ見ているしかないニアの前で、メロは口の端を上げた。
『・・・お前は生きてるんだ。これからも生き続けるってのに・・・、まだちゃんと歩けねえのか』
『ニア』
メロの言葉に被さって響いた・・・知らない、けれど、知っている声。
ニアは頭上を振り仰いだ。天から聞こえたように感じられたからだ。
『あなたの人生です、何ものにも縛られはしません』
夢なのに、胸の鼓動が息苦しい。
いつの間にかメロの姿は椅子ごときれいに消えてしまっていて、ニアは白い空間にたったひとり、声の主を探していた。
だけど見えない、影すらも。
一度も目にしたことのないまま失った面影、幼い頃から慕い崇拝してきた、いまだ届かないその存在・・・。
『自分のために、生きてください・・・』
「・・・L・・・!」
ようやく出せた自らの声が、夢をも破った。
いきなり目を開けたせいで、頭痛に襲われ、くらくらする心地にもう一度ぎゅっと目をつぶる。額を押さえ、今の夢を鮮やかなうちに反芻してみた。
まざまざと思い知らされた・・・。
Lやメロに、そうとも感じぬまま、縛られていたことを。
一人生き残った自分が、普通の幸せを求めるなんて、許されないんだと。そう、いつの間にか思い込んでいたことを。
自由になっていい。
自分の望む道を歩いて、そうして生きていけ。
メロやLが、夢を介して鎖を断ち切ってくれた。こんな非科学的な話はあるまいに、ニアにはそうとしか思えなかった。
胸のざわめきも治まらぬまま、少し体を起こして見ると、いよいよ高く昇った月が、静かに眠っているを煌と照らしているのだった。
その、人形のような横顔を見つめるうち、ニアの頬に涙が伝った。
思いもかけないことに呆然として、拭いもせず、ただ恋人の眠りの守を務めていた。
まんじりともせずに。
−のために、生きます−
「ぱぱー、ぱーぱ」
ガラガラガラ・・・。
よちよち歩きの幼子が、高くきちんと積み上げていたサイコロを、遠慮なく壊してしまう。
崩れたところからふてくされた顔を出して、ニアが立ち上がり、仕方なくを抱っこした。
「あなたのママは・・・はどこに行ったんですか」
自分自身と愛する妻の姿を、二つながら引き継いだ我が子。心地良い体温に、サイコロを崩された恨みは忘れて、そのまま窓際に歩いた。
小さな家の小さな庭には、よく手入れされた芝生と花たちが彩りを添え、春の陽の下、きらきら輝いている。
胸に満ちる想いに、ニアはため息をついた。
自分たちの家、可愛い・・・。
欲しかったものたちが、現実のものとして、ここにある。
身に余るほどの幸福を実感するたび、今でも必ずLやメロのことを思い出す。そんなとき、ニアは板チョコをかじりながら仕事に精を出すのだった。
それが唯一、自分に出来る供養なのだと知ったから。
「ままー」
が手を差し伸べるので、窓を開けると、が門をくぐりにこにこと歩いてきた。
「どこに行っていたんですか」
身を乗り出すを抱き取って、はもっとにっこり笑う。
「ちょっと病院にね。・・・この子に、きょうだいが出来たわ」
「・・・というと」
お腹に目をやると、はこっくり頷いた。がばたばた暴れ出したので、芝生の上に下ろしてあげる。
裸足のままチョウチョを追ってよちよち歩き出す背中に、午後の光が差す。天使のようなその姿に、父と母は目を細めた。
「・・・また、賑やかになりますね」
「望むところよ」
目を合わせると、頬寄せて。
溢れる幸せを、窓越しのキスで、分け合った。
END
あとがき
少し、何も書けない状態だったのです。そういうことって、たまにあるんだよね・・・エアポケットみたいに、ふうっと。
でも慌てず騒がず、必ず書きたくなるんだから。
書けない代わりに、自分が昔書いたアーミンのオリキャラ小説など読み返していたんだけど、私自身が結婚した前後の時期のね、もう幸せいっぱいピンク色の・・・こんな感じ、しばらく忘れていたなと思って。そういうの目指して書きました。
「降り注ぐ光の中で」の続編のつもり。ニアには月の光がよく似合う。ライトじゃないよ。普通の、お月様ね。
Lが父親になる話を読みたいというリクエスト多かったんですが、ニアが先にパパになっちゃいましたね(笑)。まあ、Lでもそのうちパラレルで書いてみたいと思います。
ネット上は、どぎつい情報やひどい言葉、嘘や欺瞞に溢れているけれど、自分の中にある優しさや美しいものを感じる心、幸せを受け止める力を、大事にしていきたいなーと思います。
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