砂時計のくびれた場所



 展望台から身を乗り出すと、ぐるりと肩先までが、海。
 空より青い海色に染まって、まるで自分ひとり、放り出されたみたい。
 観光地としては有名でも何でもない北の地だけれど、この景色だけで、の一人旅は大成功といっていいだろう。
 何しろ天気は最高で、穏やかな大海原は鏡のかけらを散らしたように、そこここきらきらしている。
 心を空っぽにして、非日常の時間を過ごすにはおあつらえ向きだった。
(・・・・・・・・)
 しばらく、そうしていたところで、景観にばかり向いていたの意識は、横にいる人物に移り始めた。
 ソフトクリームを手にした男性が、一人でたたずんでいる。
 不自然なほどの猫背が視界に入るものだから、気にせずにいられなくて、ちらちらと何度か盗み見た。
 素足にボロボロのスニーカーや、病的に痩せた体も奇異に映ったが、ソフトクリームを舐める横顔に、はハッとして見入ってしまった。
 青白い肌の色と、大きな目を縁取る濃い隈・・・だけどこの人って。
「・・・・・」
 不躾な視線に、さすがに耐えられなかったか、その人はいきなり首をめぐらせ、を見た。
「私に何か用ですか」
 丁寧口調が棒読みだから、は面食らってしまう。
「・・・すみません。あの、最近話題の俳優さんに似てるなって思って」
 正面から見たとき、確信を得た。
 の大好きな若手俳優が、メイクをしたらこんな感じになりそうだ。
「・・・失礼しました」
 どんな理由があろうと、知らない人にじろじろ見られて、不快に感じないはずはない。そう思いは詫びたが、相手のまんまるの黒目は、逸らされることはなかった。
「俳優ですかそんなことを言われたのは初めてです」
 やっぱり棒読みで、しかも言葉に区切りがない。
 だけど興味深げな様子は感じ取れたから、の気持ちは少しほぐれた。
「松山ケンイチくんって・・・最近ドラマとかCMにも出てるんだけど・・・、その人に」
「そうですか」
 それきり指をくわえてしまって、嬉しいのか興味ないのか、それともやっぱり失礼に当たったのか・・・には皆目分からない。
 結局、話も続かず、元のようにそれぞれ海を眺めるポーズに戻ったのだった。
 だが、は、さっきのようにボンヤリ時を過ごすことが困難になっていた。
 大好きな松山くんに似ている男の人が・・・見た目や仕草はかなり変わっているけれど・・・、そこにいると思えば落ち着かない。
 旅中の楽しいハプニングだ。わくわくした気持ちで、もう一度横を見てみる。
 そうしたら、目が合った。
 ブラックホールみたいな瞳に引き込まれそうになりながら、あ、この人も、こっちを見ていたんだなと思う。
 たたみかける波音にシンクロするように、気分が高揚していた。

 には、婚約者と呼ぶべき存在がある。
 トントン拍子で縁談がまとまり、式の準備まで始まっているところだが、周囲の忙しさに取り残されそうになった瞬間、ふと、置き去りにしていた疑問をは見つけてしまった。
 この流れに、乗っていっていいのだろうか。
 なりゆきに任せる今までの生き方で、本当に後悔しないだろうか・・・。
 一人旅はささやかな抵抗だった。
 ぶち壊す勇気はないけれど、ほんの少し狂わすくらいならできるかなと思って。フィアンセには何も告げず、電車に飛び乗った。
(それであんな人に出会ったんだから、良かったかも)
 この旅を終えれば、何もかも元通りの日常に戻るだけのことだけれど・・・。

 冷やかしのつもりで覗いたみやげもの屋で、は砂時計をひとつ買った。
 昔、子供のころに気に入っていた砂時計があったことを思い出したのだ。青い砂の、シンプルなもので、何度も何度もひっくり返しては砂の落ちるのをただ見守っていたものだったけれど・・・。あれはどこに行ってしまったんだろう。
 砂たちが、重力に従い否応なく落ちゆくさまを眺めた。
 真ん中の細いところに近付くにつれスピードは増し、さらさらとこぼれてゆく。
 止められない流れに、巻き込まれてしまっているのは、自分・・・?
(・・・・)
 は酒とお菓子を好きなだけ買い込むと、海を臨む宿に戻った。
 風情があるというよりは、ただの古い旅館だが、当日飛び込みのに文句は言えない。
 テレビを見ながら、一人でしこたま飲んで食べた。途中、ふとむなしさに襲われれば、また酒を流し込んだ。
(・・・ふうっ)
 あまり酔えない。
 手洗いに行きたいが、恐ろしいことに共同である。はしぶしぶ廊下に出た。
 電気も暗く、何だか気味が悪いなと思いつつ歩いていると、
 ぺた、ぺた・・・
 不気味な足音が、背後から・・・。
 やや足早になってみるが、やはりぺたぺたと・・・、ついて、きている・・・?
 廊下はやけに長く、トイレが果てしなく遠い。
 そして、ついには見てしまった。
 廊下の突き当たりの窓・・・そこに青白く浮かび上がった人影を・・・。
(ぎゃ〜〜〜っ!!)
 が心の中で絶叫したのと、
「すみません」
 聞いたことのある声がしたのとは、同時だった。
 混乱したまま振り返る。アルコールのせいでくらくらする。
「あ・・・」
 昼間の・・・松山くん似の猫背さん。
 背が高くて隈のある彼が、廊下の真ん中に突っ立っている。そのさまはある意味ホラーだった。
「驚かしてしまったようですね」
「あっちょっと、薄暗かったものだから・・・」
 オバケかと思った、とは言えないけれど。
 それにしても、何て偶然だろう。こんなところでまた会えるなんて。
「ここに、泊まるんですか」
「はい昼間はどうも」
 やっぱり区切りがおかしい返事を聞きながら、の胸は高鳴ってしょうがない。
「あの、お酒いっぱいあるんですけど・・・、良かったら、飲みませんか」
 酔いと旅が大胆にさせてくれたのだろう。こんなにすんなり誘えるなんて。

 不思議な男の人は、竜崎、と名を教えてくれた。
 仕事でこの地を訪れているそうだが、詳しく聞こうとしたらはぐらかされた。
 もちろん、旅でのこんな出会いに、全てを語る必要はない。も、自分のことは当たり障りのないところしか言わなかった。
 特に、婚約者の存在を意図的に隠したのは、下世話な言い方をするとに下心があったから、ということになる。
 旅館の部屋に男女二人きり、お酒が入って・・・となれば。
 ついいけない期待をしてしまったとして、責められやしない。
 お酒が進んで、急に酔いが回ってきて・・・。
 竜崎はやけに甘いお菓子ばかり選んで食べているのだが、その口もとを見ているだけでも疼いてしまう。時折、指をしゃぶる仕草がまたたまらなくセクシーなんだから。
「随分飲んでますが、大丈夫ですか」
「そんな言葉遣いやめてってば〜」
 なんていいながら、ちゃっかりと肩にもたれかかる。あんまり細すぎる竜崎さんだけれど、びくともしなかった。
「・・・酔っちゃった」
 常套句は誘い半分、逃げ道も作りながら。
 でも、きっちり支えられて、
「休んだ方がいいですよ」
 あっさり言われては、さすがにがっかりしてしまう。
 は、努めて意識から酔いを追い出そうとした。自分の中で竜崎の輪郭がぼやけてしまうのを、恐れたのだ。
 話す声や、一風変わった仕草を、お酒に紛れて忘れたりしないように。
 覚えていられるように・・・。
 行きずりの、もう会えない人だから。
「どうしたんですかさん」
 チョコ菓子をつまみながら尋ねかけてくる。小首をかしげる仕草で。
 何が?と問いを返すと、円い真っ直ぐな瞳に、包み込まれた。
「悲しそうな顔をしています」
「・・・・」
 言われて急に泣きたくなる。
 バランスを失った身体を、しっかりと抱きとめられた。
 吐息を近くに感じて・・・、あとは急転直下。
 腕の中、激しく求められているのを、嬉しく感じていた。
 導きのまま、布団に身体を重ねた。

「この旅館、壁も薄そうですから・・・あまり大きな声出すと聞こえますよ」
 こんなときでも口調を崩さない。
 今まさに、竜崎と繋がりを持っている。その事実は不思議なものにも思えた。
「ああ・・・」
「声出すと聞こえますよ」
 同じ言葉を繰り返しながら、加減をしようともしない。
 弄ばれていると知ると、ますます昂ぶってしまう。
 初めてのめくるめく体験に、意識すら飛ばしかけた。

「可愛いですさん」
 衰えを知らぬ竜崎に、休みなくせめられ、もまた貪欲に応える。
 何度も何度も互いを確かめ合っては、朝を遠ざけた。

 砂時計のくびれた場所を見ていた。
 突然出会って急速に結びついた、そこが今の二人。
 だけど、その後は?
 落ちた砂はまたバラバラ、遠くに離れてもう関与しない。
 にはの、竜崎には竜崎の、帰るべき場所がある。
(アバンチュール・・・火遊び・・・旅の恥はかきすて、か・・・)
 男と女が旅行先で出会い、ひとときを共有したに過ぎない。
 明日には帰り、結婚準備に忙殺されることとなろう。
 そして竜崎も・・・、他の誰かと、愛し合うのだろう・・・。
 元の場所に戻る。
 ただ、それだけ。
 ただそれだけ、なのに。
(なんでこんなに切ないの・・・・!?)
「・・・・さん」
 細い腕を伸ばして、竜崎が砂時計をひっくり返した。
 そのまま、の方に目を向ける。
 奇異なはずの瞳と隈にも、今や愛しさを抱いていることに、は気づいた。
 ドキドキは恋の症状に他ならない。
「私は明日帰ります。さんもでしょう」
 事務的に尋ねられ、ただ頷く。
 触れ合う素肌が暖かくて、名残惜しい。
 ずっとこのままいられたら。
 でも。
「一緒に、来ませんか」
 そう言われたとき、は首を横に振った。
 未来を委ねることなど出来ない、こんなのは、一時的な盛り上がりに過ぎないのだから・・・。なんて、自分の中の冷静な部分がうらめしい。
 少なくとも竜崎は、この場のみでは終わらせまいとしている。嬉しいことは嬉しいけれど、その純粋さの前で後ろめたくて、同時に思いつめられでもしたらと怖くて、はわざと大人の女を装った。
「これっきりにしておいた方が、お互いにとっていいのよ」
 竜崎は落胆の表情も見せず、「そうですか」とだけ言った。
「私も・・・明日には、帰る・・・」
 もう、会えない・・・二度と。
 言葉は声にならない。
 もう一度抱きしめて、唇を合わせた。
 彼の存在を刻み込むように。肉体と精神とに、少しでも深く、強烈に。
 夜が終わらぬようにと、祈りながら。

 連絡先も聞かず、もちろん教えることもなく別れて、の居場所に帰った。
 竜崎も、の知らぬところへ戻ったのだろう。
 忙しく日常をこなしながら、表面上何もかも順調に流れてゆく中で、一人きりの夜にはまるでぽっかりと穴の開いたような空しさを実感するのだった。彼氏と一緒のときなら尚のこと、深く色濃くなる想いは、が望んだ旅の良い思い出などというものでは、もはやなかった。
 それは痛いくらいの、恋心。
(竜崎さん・・・)
 砂時計を見つめる。
(会いたい・・・)
 アップテンポの曲が、浸っていた気分を中断させた。携帯の着メロだ。
 のろのろと手を伸ばし、ディスプレイに目をやるが、表示がない。いつもなら無視している、怪しい着信。は言いようのない胸騒ぎの中で、二つ折りの機体を開いて耳に当てた。
『・・・さん』
 電話越しの声に、心臓がぎゅっと縮む。まさか、まさか。
 番号なんて教えた覚えはない。そもそも、携帯不携帯の旅だったのだから。
「ど・・・して・・・」
 声も、電話を持つ手も、震えてどうしようもない。
『調べさせてもらいました。私、探偵ですから』
 声だけでは、どこまで本当なのか分かりづらい。・・・いや、彼の場合、顔を見てすらそうだったか。
「・・・・」
 溢れてくる、の中に。姿や体温、小さな吐息まで・・・竜崎の、全てが。
 いっぱいに満たして、他のことなんて何も考えられなくなる。
 こんなだったんだ。
 たったあのとき、会ってすぐに肌を合わせてしまっただけの男の存在が、こんなにも大きくなっていたんだ。
 呆然とした。
 胸中を去来する激しい感情が、喜びなのか悲しみなのかも判断つかず、言葉も失っていた。
『迷惑だったかもしれませんが』
 そう言う割には、こちらの反応などまるで気にもしていない態で、竜崎は平坦な声を繋げる。
さんのことを忘れられませんでした』
「・・・・それなら」
 言葉が勝手に口をついて出た。まるで相手につられたように、すらすらと。
「私をここから連れ出して」
 変わらぬ生活、もはや惰性に近い結婚、そんなもの全てから。
「連れてってよ・・・」
 嗚咽がからみ、喉が痛い。気が付くと涙がこぼれていた。
『望むなら今すぐに』
 竜崎のいともあっさりとした返答に、耳を疑ったそのとき。
 バラララララ・・・
 プロペラ音が、みるみる近付いてくる。・・・ヘリコプター?
 バラララララ・・・
 耳を塞ぎたいほど大きくなって、それきり音は近くも遠くもならない。つまり、空中に留まっている・・・しかもこの、すぐ近くで。
 は窓を開けた。
 目の前にぶら下がっている縄ばしごに、絶句する。
「・・・・」
 耳を聾するような音と髪を舞わす風の中、はしごを辿るように首を上向けてゆくと、ヘリの機体とプロペラを見上げる格好となった。
 の口は開いたまま。携帯を取り落としていたことに気付き、慌てて拾い上げる。騒音の中、耳にくっつけたとたん、竜崎の声が涼しげに聞こえてきた。
『のぼってきてください。連れていきます』

 この高さ、しかも不安定な縄ばしごを一人でのぼるなんて芸当、一般女子のに出来るはずはない。のに。
 夢中だった、としか言いようがない。
 ゼエゼエ肩で息をしながら機体に這い入ると、操縦席には夢にも見た男の姿が。
(・・・あ・・・)
 感動の再会であるというのに、は声すら失っていたし、竜崎は、相変わらずのポーカーフェイスで操縦かんを握っていた。
 金縛り状態だっただが、竜崎の指示でドアを何とか閉め切る。座席に、倒れるように座り込んだ。
「竜崎さん・・・」
「話は後でゆっくりしましょう。私、ヘリの操縦はこう見えて初めてなんです」
(・・・それ怖いーっ!!)
 冗談なんだろうか。彼は笑いもしないけれど。
 真正面を向いて操縦に専心している竜崎の、横顔を見ていたら、の頬に自然と笑みがのぼってきた。
 空飛ぶ乗り物は、二人だけを地上から切り離し、新たな地へと運んでゆく。

 の部屋の、開け放たれた窓から、風が吹き込む。
 ぽつんと残された砂時計は、もう二度と、ひっくり返されることもない。







                                                                END





       あとがき

この間私が見た松山くんの夢をもとにして書きました。
旅先で松ケンに出会い、親しくなって、また別れる・・・。
松ケンのままだと色々差し障りがあるかも知れないので、Lに置き換えて。私の見た夢は、それぞれがそれぞれの生活に戻る(でも松山くんは続くことを信じて疑っていなかった)というラストで、あんまり切なくて、その日半日くらいは私引きずっちゃっていたので、再会する方向に変えてみました。
でも、全体的に重く暗い感じがしてしまうのは、背徳感や罪悪感、先の見えない不安をどうしてもまとってしまうからか・・・。

チャゲアスのこの歌がタイトルにいいかも、と途中で思いついて、ちゃんにも砂時計を買ってもらいました。
私も砂時計が欲しいな。今度探してみよう。
チャゲアスの歌、いいですよ。前半のひそやかな感じと、サビの開放感との対比が最高。





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