セイレーン
残暑もようやく落ち着いたようで、涼しさをまとった大気が肌に心地よい。
高い空といわし雲とを広く視界にとらえると、は目を細めた。軽い足取りでいつもの角を曲がる。
(・・・あ)
高く澄んだ、音が・・・。
風に乗ってのもとに届いたのは、優しくて愛らしい旋律だった。
それは、初めて聞く曲のはずなのに耳なじみがよく、理屈抜きでの心を惹きつけた。
小さな家に目を向ける。いつもは注意を払うことなく通り過ぎていた場所だけれど、音楽はここから流れてきているようだ。
覗くつもりでもないが、ふと足を止める。一階の窓が開いていて、住人とおぼしき人物がフルートを吹いているのだった。
横顔に見とれてしまう。きれいな男の人だ・・・。
男の人にきれいは変だろうか。でも金色のフルートを構え、自在に演奏する姿はまるで絵のようで、優美なメロディーラインが光の粒となって降り注ぎ、その人を彩っているように見えた。
知らなかった。ここに、こんな素敵な人が住んでいるなんて。
ぽうっとしているところで、ちょうど一曲終わり、瞬間、彼はこちらを向いた。
目をそらす暇はない。
バツの悪い思いをしているに、その若い音楽家は微笑みをくれた。
金のフルートが、その手できらり光って、ちょっと現実離れした感覚に導いているかのよう。
「こんにちは」
「あ・・・こんにちは」
気安い挨拶をくれた彼に、小さな声で返事をしつつ、はぺこり、頭を下げる。
これが、ソレントとの出会いだった。
それ以来、二人の友達としての付き合いが始まった。はちょくちょくソレントの家にお邪魔して、フルートを聞かせてもらったり、お茶を飲みながらお喋りしたりして、楽しい時間を過ごすようになった。
そのたびに、お互いの気持ちが近付いてゆくことを、それぞれが自覚している。
少し戸惑いもあるけれど、わくわくするような恋の芽生えだった。
季節は早や移り変わろうとしている。窓の外には、凍えそうな風が吹き交っていた。
「、セイレーンって知ってる?」
部屋の中は暖かで、テーブルには、湯気の立つペアのティーカップが並んでいる。
仲良く隣同士に座る二人の会話は、いつもリラックスした、楽しいものだった。
「セイレーンって、サイレンのことよね」
紅茶の香りが、とてもいい。
その香りに包まれて、ソレントは穏やかに微笑んでいる。
「そう。サイレンの語源になった、ギリシア神話のセイレーン」
「詳しくは知らないけど、妖精みたいなもの?」
サイレンよりもセイレーンといったほうが、ずっときれいな響きだと思う。
「どちらかというと、怪物の仲間かな。魔女というか。・・・、僕ね・・・」
窓際に置いていた楽器を手に取る。愛用のフルートは、やはりソレントの手の中で魅惑的に輝くのだった。
「セイレーン、なんだ」
赤みがかった不思議な眼にとらえられる。それは確かに魔力じみていて、はにわかに笑い飛ばすこともできなかった。
ソレントはフルートを構え、数フレーズを吹いてみせる。
「あ、その曲」
忘れもしない、最初に聞いたソレントの演奏。道を歩いていて、偶然に・・・。
「偶然、じゃないよ」
心を読まれたようでドキリとする。
「セイレーンは歌で船人たちを惑わし、誘うんだ。僕も、この曲で君を・・・」
いつも見ていた。窓の前を通り過ぎてゆく、可愛らしい姿を。
名前も知らない少女と、知り合いになりたいと願い、そのきっかけを探し。
彼女を思い浮かべながら、彼女の好みそうな曲を作った。
わざと窓を開け、彼女が通る時間に吹いて。そうして、誘ったのだ・・・。
そんな種明かしをしてしまうと、ソレントは最後に「ごめんね」と謝った。
「セイレーンっていうのは冗談だけど。とこんなに親しくなれた今、そのことを黙っているのが心苦しくなってきて」
「そんな。そんなふうに思うこと、ないわよ」
思いもかけないカミングアウトに驚きはしたけれど、嬉しい気持ちの方がずっと強い。
「こうしてソレントと知り合えて、本当に良かったって思っているんだから」
何よりも、ずっと自分を見ていてくれて、作曲までしてくれたということが。
「ありがとう」
「こちらこそ」
笑いあうと、二人の距離がまた近くなった気がする。
打ち解けた気持ちで、ソレントはのためだけに作った曲を頭から演奏し、はうっとりと耳を傾けるのだった。
「ねえ、セイレーンは、船人たちを歌で誘った後、どうするの?」
「それはもちろん・・・」
フルートをそっと置いて、近く見つめる。
その瞳にまた、つかまってしまう。
「・・・食べちゃうんだよ」
の上にソレントの影が重なる。
軽いキスは、やっぱり紅茶の香りがしていた。
口もとに手を添え、は顔を紅潮させる。
「・・・食べられちゃった」
「ふふ」
ひそやかな笑いで頬に手を触れ、今度はもう少し、長いキスを。
彼がセイレーンって・・・本当かも。
誘われて、虜になってしまうから。
・あとがき・
この前、道を歩いていたら、どこかから音楽が流れてきたんですよ。
リコーダーだと思うんだけど。小学生が練習していたのかな? 結構上手で、聞いたことがあるようなないような、きれいな旋律でした。
小さな出来事ですが、これがこのドリームのヒントになったんです。ソレントには秋が似合いますね。前に一本だけ書いたソレントドリーム「美術芸術」も秋を色濃くイメージしていました。
まだ残暑はあるけれど、朝晩本当に涼しくなってきたし、確実に秋の雰囲気。以前のアンケートでもソレントのドリームを読みたい! というお声がありましたので、短編を書こうと思い立ちました。これまた恋の罠ですね。好きなんですよね、罠の話は。
こっそり見ていて好きになって、曲を作って・・・なんて書くとストーカーじみていますが、ソレントなら素敵な曲を書いて演奏してくれそうですよね。
どんな曲なのか、私も聴いてみたいな。
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