瑠璃の夜



 東京、近円寺邸−。
 広大な屋敷の長い廊下を、この家の養女がしずしずと渡っている。
 身に纏っているのは神々しいばかりの白無垢、白さではその絹肌も負けず、月を思わせるつややかな髪は左目を隠すように覆っていた。
 類稀な美しさの、この少女こそが、カミヨミの血を引く菊理姫である。
 その後ろには、木綿の着物をさっぱりと身に着けた娘が一人つき従っている。
「菊理姫」
 後ろ姿すら気高い主に、それでも過度の遠慮は持たず、声をかけた。
「旦那様は、相変わらず、カミヨミの力を軽く見ていらっしゃるようで・・・」

 従者のあからさまにとんがった声を、姫はそっとたしなめる。
 確かに、たった今近円寺公に呼ばれて言い渡されたのは、佐伯財閥の総帥をこの家に招くから、その際にヨミを行うように、という内容であった。
 旦那様の部屋には入れてもらえなかったものの、ちゃっかり聞き耳を立てていたは、一方的に気分を害していた。何しろ現在たった一人、菊理姫その人しか後継者がいないカミヨミの力だ、客の接待などで、おいそれと披露するようなものではない。
の気持ちは分かりますし、嬉しく思いますが・・・、私は、大丈夫ですから」
 ちょっとだけ振り向いて、優しい右目で微笑みをくれる。
 姫の心に触れ、気持ちも一転、足元まで軽くなる心地のだった。
「そうそう、その日は、天馬さまも来られることですしね」
 いたずらな含み笑いを添えると、
「もう・・・はいじわるですね」
 少し足早になる菊理、表情は見えずとも照れている様子が手に取るように伝わって、はまた笑うのだった。
 菊理姫が月なら、その婚約者日明天馬は太陽のような人。
 お似合いの二人は、こちらが恥ずかしくなるくらい仲睦まじい。も、祝言の日を楽しみにしていた。
 実のところ、手放しで、という心持ちでもないのだが・・・。
(・・・・)
 そのことについて考え出すと、決まって、胸に雨雲が広がり出す。
 愛する人と結ばれる。それは何にも勝る慶びであるはずなのに。
(あっ・・・)
 廊下を折れたところで、前方よりこちらへ歩いてくる人の姿を認め、思考は中断させられた。
「お兄さま」
 菊理がつと足を止めたのに従い、も立ち止まる。
「帝月坊ちゃま」
 帝月−菊理の双子の兄。
 姿かたちは姫と瓜二つ、前髪で右目を隠しているため、菊理とこうして向かい合うのを見ると、まるで鏡を挟んでいるかのような錯覚すら覚える。
 ただ、髪と着物は、姫とは対照的に、闇のような黒だった。着物の裾をかなり短く裁っており、少年らしい真っ直ぐな脚をあらわにしている。
 カミヨミの血に必要なのは、女子のみ。しかも姫とは双子の兄妹であるゆえに、帝月は忌み子とされていた。近円寺にも疎まれているもう一人のカミヨミに、しかしは敬意を払い、慕ってもいた。
 こうして姿を目にしただけで、自然に笑みが浮かんでしまうように。
 帝月は、いつものように、背後に細身の男を従えている。帝月が自分の番犬だと高言してはばからず、また本人もそれを否定するどころか喜んで付き従っている、瑠璃男である。
「菊理、近円寺公に呼ばれていたようだが・・・」
「ご心配には及びませんわ、お兄さま」
 菊理は兄にも、あの笑顔を見せた。
 帝月はそれきり何も答えなかったが、二人の気持ちは通じているのだろうと、は思う。カミヨミの血は別にしても、双子の兄妹なのだから。
(・・・天馬さまを取り合ってはいるけどね・・・)
 次に天馬が来たときには、どんなやり取りが繰り広げられるのか。怖いような楽しみなような・・・?
 すすっ、と衣擦れの音がする。
 帝月と菊理は、ほとんど同時に歩き出し、滑らかにすれ違った。
 その瞬間、柔らかくも鮮烈な香りが弾けたように、には感じられた。
 絵巻物の美しさで。
 ぽうっとしているうち、帝月が脇を通ったので、慌てて頭を下げる。それから顔を上げると、ちょうど瑠璃男と目が合った。
 の小さな胸が、とくんと音を立てたとき、軽く袖を引かれ、長躯を屈めた瑠璃男に素早く耳打ちをされる。とたん朱を刷いたように赤くなって、瑠璃男に背を押されることで、どうにか歩き出した。
 帝月も菊理も、背後で従者同士が何をしているのか、察してはいたけれど、すまし顔で振り向きもしなかった。

 二十日余りの月は細く、屋敷の広い庭も十分には照らされない。
「・・・なんやまだ来てへんのか」
 呟いて帽子のつばを上げ、夜空を見上げたとき、
「残念でした。来てるわよ」
 同じ方向から声がした。
 瑠璃男は視線を少しずらす。庭で一番の高さを持つ、桜の木の上へと。
「待ってたんだから・・・瑠璃男」
 枝の上にちょこんと腰かけたが、月の隣で笑っている。
 夜闇と黒装束が、少女の膝からすねの白さを引き立て、ますます浮世離れして見えた。
「ぼんやりしすぎ」
 今度は耳のすぐそば、抑えた声に、瑠璃男は勢い良く振り返った。反射的に刀に手をかけていたことに気付いて、後からハッとする。
「・・・俺の後ろ取れんのは、お前くらいや。
 褒め言葉の余裕は、装ったもの。悔しいが、月と彼女に見惚れてしまったのは事実だ。
 あんなに高い場所から、何の気配も感じさせずぴたり背後についたことからも分かるように、一介の下女ではない。は、家の娘だった。
 といえば、代々続く忍者の血筋である。忍の流派は108あるとも言われているが、他の一族と異なるのは、の人間は自分自身で仕える先を定めるという点である。
 くノ一のも、幼い頃から、まだ見ぬ主のために厳しい修行を耐え抜いてきた。その末に菊理との出会いがあり、たおやかでありながら凛とした姫を、身命を賭して守りたいと、魂の底から熱願した。
 それ以来、いつでもそばにいる。
 木綿の着物の下は、常にこのような忍者装束と、いくつもの武器を仕込んで、臨戦態勢に怠りはない。
「座りましょうか」
 庭園に配された置石に、二人並んで腰かける。
 腕と腕が触れ合いそうに近い・・・それだけで、熱が上がりそう。
 今は明治の世。上流階級や軍人などの一部を除けば、和装が主流を占めている中、瑠璃男は好んで洋服を身に着けていた。
 白の開襟シャツに足元はブーツ、サスペンダーを片側だけわざと下ろしたその格好、ハンチング帽も、よく似合っている。
 そんな瑠璃男と懇ろになったのは、つい最近のこと。逢引も、その誘い方誘われ方も、まだまだぎこちない二人だった。
「・・・何で忍者の格好なんや」
「夜だもの、ちょうどいいでしょ」
「なんや密会みたいやな。憚るような関係でもないやろ」
 使用人同士の恋は、特に口にもしなかったのに、主たちには即露見していた。双子たちは先ほどのように、見て見ぬふりを決め込んでいるが。
 それでも照れくさくて、顔を下向けると、瑠璃男が手を伸ばしてきた。
 無造作に手を握られて、平然としてはいられない。かといって振り払うなんてとても出来ず、石になってしまうに、瑠璃男はからかうように囁きかける。
「初心なんやなぁ・・・そんなんでくノ一が務まるんか?」
 さっきの仕返しのつもりだったのに、
「瑠璃男だからよ・・・瑠璃男だけ」
 上目遣いをされて、不覚にも心を奪われてしまった。

「時が止まればいいと思うの・・・ずっとこのままだったら、って」
 さっきよりも寄り添い、瑠璃男の胸にこめかみをくっつけて、は目を閉じる。まぶたの裏に浮かぶのは、菊理姫の、儚げで美しい笑顔だった。
 子を産めば命を落とす。カミヨミのさだめゆえの別れが、見えている・・・遠くない未来に。
 姫は潔く、それを望んですらいるから、も笑っていようと決めてはいたけれど。今こうしていたら、気持ちの緩んでほどけたところから、こぼれ出してきたようだった。
「こんなふうに思ったのは、初めて・・・」
・・・」
 近くで声を聞き、体温を分け合い瞳を交わせば、胸が苦しいほど満ちてくる、思い。
 このままでいたい、と初めて望むは、今までどんな人生を送ってきたのだろう。忍の一族に生を受けたのだ、ぬくぬく育ってきたわけではあるまいが・・・何も聞いていない。そして瑠璃男も、自らを語ったことはなかった。
 帝月にしか話したことのない己の過去を、いつか全部話したい。それこそ今初めて、瑠璃男はそんな思いに目覚めた。刀の鍔に刻まれた紋を、指でなぞりながら。
「俺は、おるよ・・・」
 言葉に出来たのは、わずかだった。
「この先何があっても・・・おるよ」
 傷を舐め合いたいわけじゃない。手を携えて歩いて行けたらと。
「・・・瑠璃男・・・」
 とてもくノ一とは思えない無防備な、泣きそうな顔をして、しがみついてくる。
 愛しいとはこういう感情だ。そう分析するより先に、抱きしめていた。
 両腕に包み込まれて、はそっと顔を上げる。瑠璃男の切れ長の目や、その左下にある泣きぼくろを見つめていると、微笑みかけられまた胸が苦しくなる。
 瑠璃男のこんなに甘い笑みを、見るのは初めてだったから。
「目ェ・・・瞑りや」
 頬に手を触れられ、言われるまま目を閉じる。
 心の準備も何もなかったのに。
 唇を吸われて、とろけてしまいそうになった。

 長い口づけを交わす二人を、瑠璃の空に浮かぶ月だけが見守っていた。


 このとき、は予感をしていたのか。
 二振りの神剣が相まみえたのは、それから一か月ほど後のことだった−。




                                                             END



       ・あとがき・

きてしまった。ドリームの新ジャンル開拓。カミヨミです。
カミヨミは数ヵ月おきに思い出してはコミックスを買う(ときには二冊まとめて)という感じで、そんなに熱心に読んでいるわけではないんですが、ドリームを書きたくなって読み返したらかなり面白かった。
でも世間には少ないようです、カミヨミドリーム、特に瑠璃男ドリームは。なんでか八俣さんドリームがいくつかあったよ・・・(いや八俣さんも好きですけどね)。
瑠璃男っていい男だと思うんですが。カッコいいじゃないですか。強いし。こんな人が彼氏ならいいな〜。
年齢分からないけど、少年と呼ばれていたので、今のところ清い交際で。でも「夜這いが得意」発言があったり、新婚さんなんだから疲れて起きられないんだ発言があったり、そっち方面の冗談は好きなようです。

ちゃんは、私が書くドリームヒロインにしては、少し設定が細かくなりました。色々考えた結果、こうなっちゃったんだけど・・・。オリキャラみたい。そういうヒロインが生まれたのも久し振りです。
くノ一にしたのは、まず戦闘能力があった方が、みんなについて行ったり行動範囲が広がっていいだろうということと、個人的に忍者が好きだから(笑)。忍者装束でのデートも単なる私の趣味です。

時代が明治ということで、あまり外来語を使わないようにしました。

同じヒロインで続編が書ければいいなと思います。そのうち瑠璃男と深い関係になったりとか(笑)。
警視総監も登場させたいなー。






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