神の前で交わすほどの神聖さで
二人きりのホテルの一室、窓の外はオレンジ色に染まりかけている。
「・・・竜崎」
眼前の男を呼ぶ、の声は硬い。
「何のつもり・・・」
身じろぐと、手もとでちゃら、と鎖の音がした。
の両手は後ろに回され、しっかりと手錠がかけられている。更に手錠の鎖部分に繋げられたロープの先が、重厚なデスクの脚に結び付けられていた。
の体は、拘束された状態で、L−一応恋人と呼ぶべき存在−の前に引き据えられているのだった。
「何のつもり・・・? それはこちらのセリフです」
パソコン用の椅子を引き寄せ、その上に体育座りのような座り方をして親指を口にくわえる。
爪を噛みながら、上目遣いに見つめた。
自由をなくしたの、不満そうで不安そうな顔・・・それすら可愛らしいと思いながら。
「さっきのこと、もう一度言ってもらいましょうか、さん」
「別れましょう」
久し振りにLのもとへ来ると、開口一番、は告げた。
言いにくいことほど早く言ってしまわなければと、決心していたのだ。
息を詰めて様子をうかがっていると、いつものポーズでパソコンに向かっていたLは、
「試すつもりならやめてください。私は試されるのは好きではない」
振り向きもせずに、こう答えた。
その声からはいささかの動揺も感じられない。きっと顔を見ても、いつもと変わらぬ無表情なのだろう。
「試しているとか、そういうんじゃなくて・・・。私、他の人と付き合おうと思うの」
方便ではない。は本当に、職場の同僚から告白を受けていた。しかも、つい昨日のことだ。
「・・・・・・・・」
ようやくくるり、振り返った。やっぱり、表情は読み取れない。
ただ、Lの大きな、大きな瞳の中に、自分がいるのを感じると、は息苦しくなってきた。
息苦しい。そう・・・ずっと、息苦しかった。
容姿も頭脳も凡庸に過ぎない自分など、世界の切り札とまでいわれるLにとてもつり合わないという引け目。
どうにか彼に似合う女でいたいと、本を読んでみたり、英会話スクールに通ってみたり。しかしそれらも空回りに終わっていた。
Lは自分の能力を決してひけらかしたりはしないけれど、折に触れ溝を感じずにはいられなかったのだ。
それに彼は忙しすぎる。頻繁には会えず、会うとしてもこんなふうに仕事場にしているホテルで過ごすだけ。それもパソコンに向かう丸い背中を眺めている時間の方が長いくらいの、およそデートと呼べたものではない逢瀬。
リムジンの後部座席から、街行くお似合いカップルやドライブ中の男女を眺めては、ため息をついていた。
−私も、あんなふうな恋をしたい−
少し年上の、仲良い同僚に「付き合ってくれないか」と言われたとき、目の前が開けたような気がした。
この人となら、望んでいたようなお付き合いができる。
そのすぐ次の日にLから連絡が入ったのも、別れを告げる好機だという神様の采配に違いなかった。
世界の三大探偵を一人でこなしているLだ、仕事以外に執着はなさそうだし、彼女なんてむしろ邪魔な存在だろう。スッパリ別れてくれるはず。
そう、は踏んでいたのだが。
「・・・本気で、そんなことを、言っている・・・・・・?」
探るように覗き込み、の眼に真剣さを見ると、Lはやおら立ち上がった。
猫背でのっそりと、の正面に立ち、ジーンズのポケットに手を入れる。
じゃらり・・・。
音を立てポケットから引き出されたものに、は目を見張った。
(手錠・・・っ!?)
何で。いつの間に仕込んでいた!?
無防備なは、あっという間に拘束されてしまった。
乱暴さは全くなかった。
いつも抱きしめるときと同じ優しさで、両手首をやんわり掴み後ろに回すと、腕や背中をなぞるように撫で、愛撫の延長のようにガチャリと手錠をかけてしまったのだ。
鮮やかすぎる手並みに、抵抗はおろか声すら出せない。
そのうちにもLは黙々と作業を進めていた。
これもどこから出したのか、頑丈そうなロープを手錠の鎖に引っ掛け、端をこれまた感心するほどの手際の良さで机にくくりつけてしまったのである。
「竜崎・・・何のつもり」
「何のつもり・・・? それはこちらのセリフです。さっきのこと、もう一度言ってもらいましょうか、さん」
抑揚もない声に、苛立ちを覚える。
「やめて。こんなことされると、あなたを嫌いになる。きれいに別れて、いい思い出にしようよ」
「きれいな別れ・・・いい思い出・・・」
おうむ返しにして、またぎりと爪を噛む。
「そんなもの、いりません」
Lの瞳、黒目がちでいて何も映さないその眼を、怖いと感じた。初めてのことだった。
何をされるか分からない恐怖に、肌がぴりぴり緊張している。
「ほどいてよ・・・こんなの人権無視じゃない。犬猫でも、こうはされないわ」
きっぱり言ってやりたかったのに、声の震えは隠せなかった。
「ああそうです・・・本当にさんの言う通りです」
どこか恍惚として、Lはの全身を眺め回す。そうしてまた、上目遣いで、彼女の顔に視線を固定した。
「別れるなんて言うから、我を失ってしまいました。逃がしたくはなくて、手錠をかけた。それでこうして、どうしたらいいかを考えているわけですが」
椅子に両膝を立てて乗る、変な座り方。
以前、「この座り方じゃないと推理力が40%ダウンする」なんてまじめくさって言うから笑い飛ばしていたけれど。
その格好で、今、考えているという。
「・・・駄目ですね、冴えません」
口にくわえていない方の手指を、黒髪にぐしゃりと潜り込ませた。
「このままここに置いておくか、24時間カメラで見張るか・・・くらいしか思い浮かびません。どちらがいいですか、さん」
「どっちも嫌よっ! 何その二者択一」
それが東応大学首席入学を軽々と果たした男の言うことか。
「そうですか、残念です」
言葉ほどには残念そうでもなく、飄々と椅子を降り、動けないをいきなり正面から抱きしめた。
「さん、私にはあなたがいないと駄目です。あなたを失うくらいなら、どんな手でも使って・・・法に触れようと構わない、もみ消すなど造作ないことですから」
淡々と、何だかヤバいこと言ってる。
猫背のLの、硬めの髪が頬に触れ、は目を閉じた。
甘くていい匂いは、彼のまとうお菓子の匂い。
この匂いに包まれると、ちょっとだけ、気持ちが緩んでしまう。
・・・とんでもない人だ、とは、思う。
とんでもない男に捕まって、もう逃げられないことを思い知らされたこの瞬間、は恐怖を越えた感情に気付き始めていた。
言葉では表しにくいけれど、スリルや喜びや優越感に似た、体にじわり染み通るような感覚。これは普通では味わえない。まして、ごく一般的なあの同僚なんかじゃ、絶対に無理だ。
狂ってはいるけれど、こんなことをしてまで離したくないという、彼の強い気持ちに初めて触れて、は素直に喜びを感じていた。
・・・結局、この人に付き合えるのは、自分だけなのかも知れない。
白旗を揚げよう。
「竜崎」
「・・・はい」
体に回った腕がわずか震えたのは、次に聞く言葉への警戒なのだろう。
は努めて、優しい声を出した。
「分かった・・・もう別れるなんて考えない。だから、手錠を外して」
「・・・本当ですか」
Lの声が、こまかな振動としてじかに伝わってくる。
「誓えます?」
「うん」
「じゃあキスをしてください」
求め軽く目を閉じるLに、自分から唇を重ねる。何を食べた後なのか、やっぱり甘い味がした。
「・・・ちょっと、何触ってんの」
もぞもぞ体をさぐられて、払いのけたくても、いましめられていてはなすがまま、は身をよじり声を上げた。
「竜崎やめて、先にこれをほどいてよ!」
「・・・その格好のさんに、そそられます」
深いキスで口腔内を乱し、スカートの中に手を滑り込ませる。
「ちょっと・・・っ」
口では拒否しながらも、もう紅潮してしまっている頬がまたたまらない。
「別れるなんて言った罰です。甘んじて受けてください」
「やだ・・・もう言わないって誓ったじゃない。謝るから、ねえっ」
手錠なんかで繋がれて、立ったまま嬲られるなんて・・・。こんなのは、いやだ。
抵抗しようとしても、鎖がじゃらじゃら鳴るだけ。
は知るよしもなかった。その耳障りな金属音が、Lの官能をますます高めゆくことなど。
「そうだ答えを聞いていませんでしたね、さん」
太股に指を這わせ、撫で上げる。
「監禁と監視と、どちらがいいですか?」
「・・・まだそんなこと言ってんの・・・っ・・・あ」
語尾は甘い吐息に紛れてしまう。
「あなたを離さぬために、私もこれでいて必死なんですよ・・・」
ちゅっちゅっと何度も口づけ、とうとう下着の中へ指を侵入させる。指に触れる熱に、小さく笑いを漏らした。
「ちゃんと感じてくれているんですね」
「・・・っバカぁ・・・」
手を出してしがみつくこともできないを、Lが片腕でしっかりと支えてくれている。体はこんなに細いのに、意外と力は強いんだと感心した。
だがやはり、不安定な体勢で刺激を与え続けられるのは、辛い。
「竜崎お願い・・・これを取って、ベッドで・・・」
「駄目です・・・」
体に広がった異常な興奮、もう止められない。
「・・・そうだ合法的な方法がありましたね・・・」
まるで付け加えるかのように、彼は言った。
「結婚しましょう、さん」
「・・・え・・・」
もしかして、今のは、プロポーズ?
夢にまで見ていた、好きな人からの、プロポーズ?
手錠をかけてこんな変なことをしながら・・・。
くらくらした。倒れそうだった。
Lに捕まえられていて、倒れもできなかったけど・・・。
「今日からここに住んでください。荷物も何もいりませんから」
さんざん弄られた後にようやく解放され、はぐったりとLの腕に抱かれていた。
「最初からそうすれば良かった。これで問題解決です」
何も返事をしていないのに、もう彼の妻になることは決定事項であるらしい。
はそれでも戸惑いもせず、彼の体に両腕をからめた。
手に入れた確かな愛を抱きしめるように、ぎゅっとしがみついた。
「・・・竜崎」
「はい」
軟らかなベッドに降ろして、改めて、見つめ合う。
「キスをして・・・」
神の前で交わすほどの神聖さで。
END
・あとがき・
久し振りのLドリームです。
変態L。「現実的思考と楽天家」と同じような話ですが、L部屋やっているうちにこんなのを書きたくなりました。
同僚が話してくれた、学生時代の恋の思い出にヒントを得たら話がまとまってしまって。
別れを告げたら拘束され、結局、彼が一番だと思わされてしまうという、何だか変な話。いや、同僚がこんな目に遭ったわけではないですよ。
こんな異常なことをデフォルト設定で出来るのはLだけなんじゃないかと思います。
タイトルは例のごとくなかなか決まらなかったんだけど、ラストの一文が結構気に入ったので、そのまま持ってきました。
長いタイトル、私にしては珍しいけどね。
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