い や
「スキュラさま」
主の姿を探し、部屋の奥まで進み入る。
「スキュラさま、どこですか」
「ここだ」
ドアが開いて、ここ南太平洋の海将軍であるイオが姿を見せた。とたんは真っ赤になって、バッと下を向く。
「ふ、服を着てくださいっ」
裸同然の姿に、目を上げられない。
「シャワー浴びてたんだよ。そしたらおまえが呼ぶから」
「それならそうと・・・わ、わざわざ出てこなくても・・・」
濡れた髪をタオルでがしがし拭きながら、イオは世話係の慌てようを面白そうに眺めている。
「なんだよこれくらいで。ってかわいーな」
身の回りのことはまめまめしくやってくれるし、からかいがいがあるから、イオはのことをとても気に入っているのだった。
「ところで何か用か」
「ええ、あのー、大変言いにくいことなんですが・・・あの、先に服を着てもらえますか」
まだ顔を上げられない。
「構わんから言ってみろ」
スキュラさまが構わなくても私は構うんですが、とも言えず、は思い切って口にした。
「実は、掃除をしていたのですが、入り口にある花瓶を欠いてしまって・・・申し訳ありません!」
ますます深く頭を下げる。
「入り口にある花瓶? あ〜」
ここに来たときにすでにあったもので、きれいな花瓶だけれど特別な思い入れはない。しかも、前にあそこでバイアンやアイザックとふざけていたとき、ぶつかってヒビが入っていたのだった。多分、が掃除しようとして触れて、ヒビのところから欠けてしまったのだろう。
「大切なものだったら・・・お詫びの申しようもありません」
今にも消えてなくなりそうに恐縮するを見て、「そんなものどうでもいいよ、気にするな」という言葉をイオは飲み込んでしまった。企みのある笑みを押し隠し、わざと難しい顔を作ってみせる。
「あれを壊してしまったのか・・・大変なことをしてくれたな」
小さな肩がぴくんと動く。
「や、やはり大事なものでしたか・・・」
「そうだ。あれは死んだ親父の形見で・・・」
ピンピンしている親を勝手に殺しつつ、途中で笑いたくなってしまう。それがには、感極まって声が震え、最後までとても続けられなくなったように聞こえた。
「もっ申し訳ありませんスキュラさま、お許しください」
床にくずれ落ち、頭をすりつけんばかりに伏している。軽いいたずら心なのに、土下座の格好までされてしまうと、ちょっと可哀想になってきた。
「と、とりあえず立て」
腕を支えてどうにか立たせる。泣くのを必死でこらえているのが分かった。泣いて済ませようとするような女じゃないって、イオも知っている。そして、その表情に、今までになくそそられた。
「償いをさせてください、お父様の思い出には何をしてもとても届かないでしょうが、私にできる限りで何でもしますから」
「何でも、か」
「はい、何でも」
「じゃ顔上げろよ」
言われるままうるんだ瞳を上げる。取り返しのつかないことをしてしまった後悔と恐怖とで、おびえるように揺れていた。
腕はつかんだままだ。軽く引き寄せ、背を屈める。
「なっ何を・・・」
控えめにとどめようとする小さな手の、その手首を捕まえると、真面目な顔を作ったままで目を合わせた。
「キスさせてくれたら許してやる」
「そ、それだけは・・・」
体をねじって顔をそむけようとする。それを押さえつけているうち、からかってやろうという気持ちがやや本気に傾きかけてきた。
「何でもするんだろ」
もうこのまま押し倒してやりたいくらい。
「い、いやです。こんなのは、いや。いや!!」
言葉と態度でかなり激しく抵抗され、さすがにイオも鼻白んで手を離す。
そんなにいやなのか。そう思うと、プライドが傷つけられたような感じもしたし、残念で、何より腹が立った。
「じゃあ代わりに俺の柱をきれいにしておけ。キズひとつでもつけるなよ、大切なものなんだから!」
巨大な柱の掃除なんて、そんなの無理難題だ、分かっている。
でも後には引けなくて、イオは背を向けた。
静かに部屋を去る気配を感じながら、切なくて仕方なかった。
「何だよ・・・あんなにいやがらなくたって・・・」
まだ彼女の体温を覚えている手を眺め、息を吐いた。
昼過ぎに外に出たら、が雑巾を持って、手の届くところから拭き始めていた。
黙って、出かけた。
数時間後に戻ったときには、モップで少し上の方を掃除していた。
海の底に夕暮れの色は届かないけれど、柱も人影も輪郭がぼやけ始めていて、水彩のようなにじみが全てを柔らかくくるんでいた。その中でせっせと働くは、蟻のように小さくて熱心で、美しかった。
「、下りて来いよ」
昼間の激しさ、あの入り組んだ感情すらほどけて融けてゆくのを感じていた。だからイオの声は、いつものように明朗で、いつもよりも少し優しかった。
はすぐにとことこと近付いてきた。作業の邪魔にならぬようまとめた髪が清潔に見えた。
「すみません、何日かかかりそうなんですが」
「上のほう、どうするんだ」
「足場を組もうかと」
大真面目に言うので、ついふきだしてしまう。
「不可能だって分かるだろ。こんな柱、全部掃除できるわけがない。・・・あの花瓶が大切なものだなんてウソだよ。親父は生きてるし、あれ、最初からヒビ入ってたし」
「ほ、本当ですか・・・!?」
目をまんまるにして、それからはーっと息をつく。心底安心したように、は笑った。
「からかったんですね」
「まさかそんなに熱心にやってくれるとは思ってもみなかった。そんなに責任感じた?」
そんなに、キスがいやだった? ・・・そう聞きたくて聞けない。
「スキュラさまの大切な柱ですもの、やっているうちに、楽しくなってきたんです。不謹慎だとは思いましたけど、ウソだったならいいですよね」
の口調は軽やかだった。
「それに、言いつけられた仕事に変わりありませんから、全力で臨むのは当然のことです。私、これでもこの仕事に誇りを持っているんですよ」
「そうか・・・そうだよな」
彼女の額に浮かぶ汗は、きらきらと、その充実感を物語っている。
「のそんなところが、偉いと思うよ」
そして、前から惹かれていた。今までになく素直な気持ちになれるのは、逢魔が時のしっとりした空気が胸に満ちているせいだろうか。
「ありがとうございます。スキュラさまも、海将軍としての責任を持ったやり方、いつも尊敬しています」
「尊敬だけ?」
ちょっと意地悪かもしれない。でも見つめる先で、はみるみる赤くなり、その想いを言葉以上に雄弁にイオに伝えた。
嬉しくなって、右手で右手をそっと取る。
「今度はいやって言うなよ」
どきどきと、震えるように、ほんの少し、触れるだけのキスをした。
大きな柱のもとで、小さな、でも温かく膨らむような、恋が生まれた。
・あとがき・
5月という一番気持ちのいい季節なのに、全然気温が上がらず、寒い日に、表で上娘のしゃぼん玉に付き合いながらトントンと思いついたおはなしです。
イオの話、ずーっと書きたいと思っていたので満足〜。
いつも純粋で可愛い感じのイオを書いていたので、もう少し違うように書きたいともずっと思っていたのですが、やんちゃ坊主のようになってしまいました(笑)。
ちゃんは真面目で一生懸命。仕事に精一杯取り組める人って私も尊敬します。見習わなくては・・・。
何だかほのかで可愛くて、こんなカップルを書くのも大好きです。タイトルはストレートすぎですが、これもCHARAの歌タイトルからもらいました。
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