晩餐の後、お茶を飲みながらくつろいでいると、父親がおもむろに切り出した。
、一つ話があるのだが」


 だまされても試されても


 の父は、日本有数の大財閥を束ねる総帥であり、日々多忙を極めている。家族水入らずのこんな時間を過ごせるのも、久し振りのことだった。
「何ですのお父様」
 もしや縁談? とちょっぴり身構えるに、父は自慢のひげを撫でながら、告げた。
「うむ。お前の使用人を、じいやか女性に変えたらどうかと思ってね」
 あまりに予想外の内容に、は目を丸くし首をかしげる。
「・・・なぜ? 瑠璃男が何か無礼でも?」
 一番のお気に入りである瑠璃男を辞めさせたいというのが親の意向なのだろう。それは汲み取れたが、理由までは分からない。
「何かしでかしたのなら、きつく叱っておきます」
 父はパイプの煙をくゆらせながら、首を振った。
「いや・・・そうではないが、瑠璃男のような若い男を常にそばに置いておくというのも、どうかと思うのだよ」
「変な噂が立てば、良い縁談も遠ざかると、心配しているんですよ」
 の母も、しとやかに口を添えた。
「でも・・・、瑠璃男ほど強い人は、そうはいませんわ」
 瑠璃男のように何でも言うことを聞いてくれる犬は他にいない、というのが本音だけれど。
 とはいえ、両親の心配もよく分かる。確かに外出の際には必ず連れてゆくし、部屋に呼びつけることもしばしばだ。結婚前の娘の風評が気になるのも無理らしからぬことだろう。
 だが、には、瑠璃男を手放す気は毛頭なかった。
「用心棒として、頼りになる者じゃなくては嫌です」
 きっぱり言い切る娘を、父と母は困り顔で見やった。
 我が子ながら、美しく花開いた娘。もういつお嫁に行ってもおかしくない年頃だというのに。
「何か間違いでも起きては、取り返しがつかないだろう」
「まあっ」
 は、心底呆れた。犬などとそんな関係になってたまるものか。
 両親は、言葉を選びながら尚もを諭す。
 お前がそう思っていても、使用人だって男なのだ、二人きりでいたら何が起こるか分かったものじゃない。等々。
 は、自分のことを信じてもらえていないようで、また、瑠璃男のことを分かってもらえないのが歯がゆくて、ため息をついた。

 リン・・・リン。
 鈴の音に即駆けつけると、お嬢さんはすでに夜着に着替えベッドに腰かけていた。
 こんなあられのない格好で呼びつけるなんて、珍しい。見たところ、虫がいる等の緊急事態でもないようだが・・・。
お嬢さん、こないな時間に、何のご用ですか」
 呼ばれることは嬉しい、お嬢さんのネグリジェ姿も嬉しい。何を言いつけられるとしても、嬉しい。
 瑠璃男はニヤニヤしていた。
「ちょっと、こっちに来て瑠璃男」
 なまめかしい仕草で手招きをされ、何の疑問も持たずに近寄る。
 ベッドの脇まで来たとき、突然は瑠璃男の手首を掴み、自分の方へ引っ張った。
 さしもの瑠璃男も虚をつかれ、よろけてベッドに手をついてしまう。
「あ・・・と、すんません」
 引っ張ったのはなのに、反射的に謝ってしまうのが、下僕の下僕たるゆえんである。
 はフフッと笑った。紅い唇の両端を上げて、それは妖しくも美しい笑みだった。
「いいから、ここに座って」
 自分のすぐ隣を、ぽんぽん、と叩いて示す。
 瑠璃男はいつもと違う様子に躊躇しながらも、言われたよりは距離を置いてベッドに浅く腰かけた。
「ね、瑠璃男」
「はいお嬢さん」
 背筋をぴんと伸ばした良い返事に、は満足げに頷く。そして、上目を使って見つめた。
 瑠璃男の眼、いつもキツネみたいってからかっている眼と、その下のホクロと。
「・・・私に男というものを教えて」
「・・・・・」
 意味が分からぬような子供ではない。あまりにあまりのことに、瑠璃男の頭の中は一瞬で真っ白になった。
「何、言うてはるんですか・・・」
 空とぼけようとしたところが、の媚態につい生ツバを飲み込んでしまい、失敗に終わる。
 その隙には距離を詰めてきた。
「いいでしょ」
「う・・・」
 いつもとは違う香水の香りに奪われかけた意識を、頭をブンブン振ることで引き戻そうとする。
「あかんあかんお嬢さん、そないな悪フザケ・・・」
「悪フザケとは何!? 私は本気よ」
 ネグリジェの胸元、一番上のボタンに自分で手をかける。
 挑むような誘うような、何とも扇情的な目線を、瑠璃男に送り続けながら。
「そやけど旦那様に知れたりしたら・・・」
「平気よ」
 一つ、ボタンを外す。
お嬢さん・・・」
 続けて、もう一つ。
 匂いたつような白肌から、瑠璃男は目を離せない。
「黙っていれば、分かりゃしないわ」
 吐息混じりのその言葉を聞くと、瑠璃男は腹を決めたように唇を引き結んだ。そして下を向くと、静かに手を動かした。
 同じように、自分の開襟シャツのボタンを外し始めたのだ。
 の見つめる先で、素早く全てを外し、白いシャツを脱いでしまう。
 平素、襟の陰に見え隠れしている朱十字の印がすっかり現れ、その鮮やかさには覚えず息をのんでいた。
「お嬢さん・・・」
 上半身裸になった瑠璃男に手を伸べられ、反射的に背をそらす。
 だが、瑠璃男はに触れはしなかった。
 ふわり、と。自分のシャツを、の肩に着せかけたのだ。
「瑠璃男・・・?」
「俺には出来ません」
 きっぱりと言い切ると、シャツを引っ張るようにして、の肌を隠すように前で合わせる。まるで子供に服を着せてやるような優しい仕草で。
「おまえ、私の言うことが聞けないの!? 今まで一度だって背いたことはなかったでしょ!」
 強くなじられても、瑠璃男は主人の美しい瞳から目を逸らさなかった。
「・・・へえ、そやけど・・・、俺のお嬢さんは誇り高いお人です。俺なんかに間違うても許したりはせえへんでしょ」
 ほんまやったら嬉しいんやけど、とヘラっとして。
「それに、バレなきゃええやなんて・・・、お嬢さんらしくないやないですか」
  自分の心のみが自分を律する・・・それが瑠璃男の敬愛するお嬢さんなのだから。知られなければ何をしてもいいなんて、本心であるはずはない。
 は、尚もにらみつけていたが、不意に解き放した。表情を緩め、笑ったのだ・・・花のように。
「それでこそ瑠璃男よ。・・・もういいでしょう?」
 後半の言葉は、ドアの外に向けたもの。しっかりとは閉まっていなかったドアが大きく開き、そこから、の両親が姿を見せた。
「はっ・・・旦那様、奥様・・・これは・・・」
 と旦那様たちを交互に見てアタフタする瑠璃男に、はくすくす笑いながらシャツを返した。瑠璃男はともかくも袖を通す。
「だますようなことをしてしまったけど、お父様とお母様に納得していただくには、こうするしかなかったのよ」
「はあ、お嬢さんにやったら、だまされようが何されようが俺は構いまへんけど・・・」
 まだ事態を飲み込めていない瑠璃男に、父はつかつかと近付き、その肩にぽんと手を置いた。
「瑠璃男、これからものことを頼むぞ」
「へ、へえ・・・」
 暖かくて大きな手に、瑠璃男は嬉しくなって、大きく頷いた。

 父と母は安心して戻ってゆき、部屋にはと瑠璃男だけが残された。
 は、きちんとボタンを留めたネグリジェの上にガウンを羽織ると、夕食後に両親から言われたことや、それならと瑠璃男を試すことを自分が提案したことなどを話した。
「もちろん私は瑠璃男を信じているから、お父様たちにも分かって欲しくてこんなことを言い出したのよ」
「そうやったんですか・・・」
 そこまで信頼を寄せてくれている。そして、その信頼に応えることができた。瑠璃男は誇らしい気持ちでいっぱいだった。
 正直、蜜の誘惑を振り切るのは容易ではなかったけれど、踏み止まれて本当に良かった。流されるままに手を出しでもしたら、即刻クビを切られたに決まっている。
 明日から路頭に迷うのと、引き続きお嬢さんに仕えることが出来るのとでは、まさに天国と地獄だ。
 ようやった俺! 瑠璃男は自分で自分をほめずにいられなかった。
「瑠璃男、特別にご褒美をあげましょう」
 いつになく上機嫌なに、瑠璃男の心も弾む。
「ほんまですか、嬉しいわぁ」
「望みを言ってごらんなさい」
 自分は命令を下し、瑠璃男は即その通りに動く。それが当たり前だと思っているがこんなことを言い出すなんて、後にも先にもこの一度きりかもしれない。
「何でもええですか?」
「何でもいいわよ」
 瑠璃男はさほど考え込むふうでもなく、ごく軽い調子でこう言った。
「ほんなら、もう一度、さっきみたいにボタン外して見・・・」
 バチン!!
 残念ながら、希望を最後まで述べることは出来なかった。
 の平手打ちが鮮やかに決まり、瑠璃男の頬には赤い手形がクッキリと。
「な、何でもええ言うたやないですか・・・」
 ヒリヒリするほっぺを押さえる瑠璃男に、は目を吊り上げ怒鳴りつける。
「すぐ調子に乗るんだから! ご褒美はナシよ、さっさと行きなさい!」
 右手を大きく振って「シッシッ」と追っ払う仕草をすると、瑠璃男はしゅんとしながら出て行った。
 ほんとに犬みたい。も、ついには笑ってしまうのだった。
(明日は何をして遊ぼうかな・・・)
 ベッドに入り、ぬくぬくと布団にくるまって。
 さっきの瑠璃男の胸元を思い出すと、ちょっとドキッとしてしまうけれど、すぐにそれも通り過ぎ。
 まもなく、夢の中へ落ちてゆく。

 犬とじゃれ合っている、夢を見た。





                                                             END



       ・あとがき・

自分ではお気に入りなんですねー、瑠璃男のご主人ヒロイン。
これ書くたびに、瑠璃男が瑠璃男じゃない気がしているんですが・・・もうここは開き直ってしまいます。
ちょっと色っぽい話を書きたかった。もちろん、ちゃんにはまるでその気がないのですが。
しかし、お嬢様なのに、その手管どこで覚えたの・・・?
瑠璃男は相変わらず一途です。ちゃんになら何されてもいいって。
お嬢さんに対して結構くだけていて、お調子者っぽい感じになっていますが、コミックス読む限り瑠璃男ってそういうヘラヘラしたところもあるんじゃないかなと。

なんか段々、ちゃんは瑠璃男に本気になるのかも知れない。
身分違いですが実は瑠璃男は義経の子孫という血筋なので案外許されるのかも?
そんな続編も、気が向いたら書いてみたいと思います。





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