「・・・以上よ。頼んだわね」
「はい、総監」
 凛々しく受命するを、机にひじをついた八俣は目を細めて見やる。
 それからもう一度、口を開いた。
「仕事の話はこれでおしまい。、あんたにいいモノあげる」
 ウインクに、の胸はドキンと音を立てる。


 貯古齢糖


 は、警視総監八俣八雲が個人的に雇っている密偵である。
 警察という組織が縛りとなって、かゆいところに手が届かないようなとき、八俣はを使いこまごまとした捜査を独自に進めていた・・・全ては日本の犯罪を全て裁くために。
 が八俣の気に入ったのは、無論、密偵としてずば抜けて有能だったからだ。
 だが、手足のように使ううち、のまだ少女から抜け切れぬ可愛らしさと比肩する者のない能力との危うい均衡に、興味を抱いた。
 それが年も立場もずい分下の女性に対する好意に変化するのには、理由も時間も要しなかった。
 喜ぶ顔や困り顔、色んな表情を引き出したくて、色々仕掛けてやりたくなる・・・例えば、こんなふうにして。
「ホラ、これ」
 八俣は机から、長方形の平べったい包みを取り出した。
「あ・・・チョコレート」
 の目が輝くのを、上目で見て取り、もったいぶりながら包装を解き始める。
「舶来物よォ。この間、香水と一緒に買ったの」
 ピリピリと銀紙を破ると、カカオのいい匂いがふわんと立ちのぼった。
 は思わず生ツバを飲み込んでしまう。
 以前、ある仕事を完遂したご褒美として板チョコを一枚もらったことがあって、は生まれて初めて食べたのだが、それ以来、このお菓子の虜になっていた。
 香りといい甘さといい口どけといい・・・、忘れられない。
 パキッ。
 乾いた音を立ててチョコを割ると、八俣はその一かけを指先でつまみ、ヨダレの止まらないの前にヒラヒラさせた。
「・・・欲しい?」
 は無言で、何度も頷く。
 警視総監は、その物欲しそうな顔を見てニヤニヤしながら、体を開くようにして少し椅子を引いた。
「じゃ、こっちにおいで」
 言われるまま吸い寄せられるように、机を回って総監の椅子のそばに立つ。
が自分で取れたら、あげる。ただし手は使わずに、口でね」
 そう言うや、八俣は持っていたチョコの端っこを自分の口にくわえた。
 困惑するを促すように、少し唇を動かすと、チョコが手招きをするかのように動く。
「八雲さま、またそんな意地悪を・・・」
 異常接近してきたり、何気なく触ってきたり、娘にとっては少し過激な行動をしてくるから、困ってしまう。
 ・・・そのたび胸がズキズキして、でも決してイヤではなかったけれど・・・。
 今も、非難めいた口調とは裏腹に、気まぐれなのかからかって遊んでいるのか分からない八俣の誘いに、本気で乗ろうとしている。我ながら、何てはしたない。
(・・・チョコレートが食べたいから・・・)
 自分に言い訳をしながら、少し膝を曲げて、椅子に座っている警視総監の高さに合わせた。
「・・・あの、失礼します」
 ずっと微笑んでいる八俣と、目と目が合ったので、一言添えてから顔を近付ける。
 近付くごとに心音が高くなるのが分かる。
 チョコだけが見えるように目を伏せて、とうとうたどり着くと、口を少し開けて反対の端っこをくわえた。
 えもいわれぬ匂いと風味が広がり、とろけそうになる。
 このまま、甘い舶来のお菓子だけをもらうつもりだったのに。
 いきなり背中と後頭部に、総監の手が片方ずつ当てられ、びくっと全身を震わすも逃げられない。
「んん・・・っ」
 チョコのかたまりと柔らかな熱とが、同時に口の中に入り込んできた。
(あ・・・)
 甘いのは、チョコレートか、口づけか。

「・・・いただいちゃった」
 口の周りを舐めて、小さく笑っている。
 チョコレートはの口に残されたけれど、熱で溶けるそれをゆっくりと味わう余裕はなかった。
「こんな戯れ・・・困ります」
 真っ赤になって言い募っても、放してはくれない。
「ホンット可愛いわねーは」
 それどころか、更に顔を寄せてくる。
 ふっと、笑って。
「・・・このまま、俺のものにしようか」
「−!」
 こんなときに限って男らしい言葉で、しかも余裕の笑顔なんて・・・。
 ズルイ、と思うのよりも早く、は引きずり込まれてゆく。
 恋の渦の中へ。
 それはチョコレートよりもずっとずっと芳しく、甘い・・・。
 ジリリリン・・・!
 けたたましいベル音が、二人を引き戻す。
 八俣はヤレヤレ、とったようにに目配せをすると、机上の電話機に右手を伸ばした。左手ではをしっかり掴まえたまま、受話器を取る。
「ハイ・・・ああそう、通していいわよォ」
 パアッと明るくなった総監の顔を見上げて、は、誰がやって来るのかすぐに分かってしまった。

「天馬ちゅわ〜ん、よく来てくれたわねェ〜」
「・・・・」
 さっき自分にしていた以上にがっちり抱きついて、チューチューしようとしている。
 天馬も青ざめていたが、も何ともいえない表情を浮かべていた。
 目の前に展開されている光景は、どう見ても、天馬に本気のようにしか思えない。
 やっぱりからかわれたのだろうか、さっきのアレは・・・。
もいたのか」
「今度はどないな無理を押し付けられとったんや、このオカマに」
 零武隊に所属している天馬、今は亡きカミヨミの姫の兄・帝月、その付き人の瑠璃男。この三人とは、いくつかの事件を通じても親しくなっていた。
「まーたひっついてきたのね、お邪魔虫!」
 八俣は帝月と瑠璃男のことを本気で嫌いらしい。恋路を邪魔されている・・・のだそうだ。
「何やええ匂いやなぁ」
 瑠璃男が机上のチョコレートに目ざとく気付いて、手を伸ばす。
「チョコレートやぁ、坊ちゃん」
「早速いただくか」
「ちょっとォー、あんたらのじゃないんだからね! よこしなさいよッ」
 すごい勢いで奪い戻して、八俣は一かけ割ったチョコレートを天馬に差し出した。
「天馬ちゃんにあ・げ・る。ハイ、アーンしてアーン」
 ハートマークがいっぱい飛んで見える。
 ひっつかれて天馬は閉口しているが、警視総監に何らかの頼みごとがあって来ているがため、強硬に突っぱねられない、といったところだろう。
 そんないつもの光景を、今はも微笑んで見ていた。これまでは天馬に思わず嫉妬(相手は男なのに・・・)することも多かったけれど、さっきの言動は自分だけに対する特別なものだったと分かったため、嬉しくなり心にも余裕が出来たようだった。
 天馬には、口でとって、などと言わない。抱きしめてくれるのも、自分にだけ。
 それに・・・、キスをしてくれるのも・・・。
(・・・・・)
 思い出すと、顔から発火しそうになる。
 ひとり口もとを押さえて真っ赤になっているのそばに、いつの間にか瑠璃男が近寄ってきていた。
、オカマッポのニオイがするで・・・濃いなァ」
 長躯を屈めるように、クンクン嗅ぐ仕草を大げさにやってみせる瑠璃男から、はサッと離れる。
 八俣のニオイ、って・・・、香水だろうか、それともチョコレート?
 瑠璃男はの反応を、呆れ顔で見ていた。
(あんなオカマを、本気で好きになる女もおるんやなぁ・・・)
 こんな可愛いのに、絶対だまされとる。の将来を想い、合掌せずにはいられない瑠璃男だった。

「・・・邪魔が入っちゃったわね」
 天馬たちから請われた資料を一緒に取りに行ったとき、八俣はそう言って、ぐっと顔を寄せてきた。
「さっきの続きは、今夜・・・ね」
 低めた声と共に、鼻先をふわっとかすめたチョコレートの香りが、官能的な魔術のようにの五感を虜にしてしまう。

 その味を知ってしまったら、もう、離れられない。





                                                             END



       ・あとがき・


八俣さん単独ドリームは初ですね。
バレンタインに合わせ、チョコレートの話をば。
きっと彼は好きな子には接近しまくりなんだろう・・・天馬に対するときのように。
せっかくなので、帝月たちにもちょこっと登場してもらいました。
日本におけるチョコレートの歴史を見ると、カミヨミのこの時代には日本の工場でもチョコを作り始めていたらしい(ただし、輸入したチョコを加工するという形で)。で、アテ字が「貯古齢糖」だったとか。
本文中では漢字だと馴染まないので、カタカナにしました。
オカマッポはセクシーで大人の魅力があると思います・・・。




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