ハルモニオデオン
夜から朝へ、しらじらうつろう境目の時間に、ぽつり目が覚めた。
以前ならこんなとき、いいようもない寂しさに襲われたものだけれど、そばにぬくもりがある今は、満ち足りた気持ちで微笑んでいる。
(カノン・・・)
心の中で、愛しい名を呼ぶ。変わらず眠っている彼を、眺めた。
無防備な寝顔に、まだ淡い光が柔らかな陰影を刻む。カーテン越しのそれは、左薬指のリングも照らしていた。
プラチナの、シンプルなリング・・・そっとのべたの指にも、同じ輝きがある。
無垢な光は、彼と出会ってから今に至るまでを、優しく追懐させるのだった。
の家は、一応名のある旧家で、グラード財団とは古くから親交があった。
グラード財団の現総帥である城戸沙織とは、幼いころからの遊び友達という仲であり、聖域十二宮で働かせてもらうことになったのも、その縁あってこそだった。
一緒に組んで仕事をする相手として、カノンを紹介されたときには、正直あまりうまくやっていけそうにないな、と思ったものである。黄金聖闘士らしい品格のなさに落胆したのが主な理由だ。
もっとも、後から聞けば、カノンものことを「面白みのなさそうなお譲ちゃん」としか思っていなかったらしいが。
どちらにせよ、には親の決めた婚約者がいたのだし、仕事の仲間は仕事の仲間、何とかうまくやっていこうと笑顔で働き始めた。
そして数か月が経ち、お互いすっかり慣れたころのこと。
その日カノンは、アイオロスと二人で昼食をとるため市街に下りてきていた。
ランチメニューの充実していそうな店に入り、椅子に座ると、隣の席を陣取っている男たちの話が耳に入ってきた。
別に他人の話に聞き耳を立てる趣味はないが、「」という名が、カノンたちの注意を引いたのだ。
「フーン、っていうのか、おまえのフィアンセ」
「ああ。近々結婚だな」
結婚相手が決まっているという話は、とっくにから聞いて知っていた。カノンはちらっと盗み見る。男三人のグループ内で得意げに喋っている、痩せぎすの・・・あいつがの婚約者か・・・狡猾そうな顔つきがいけ好かない。
「ムカついてるって顔してるぜ」
茶化すように、アイオロスが囁いてきた。
「おまえのこと気に入ってるもんな。確かにあの子はいい子だから」
「別に」
口ではそう答えても、注意はすっかり隣の男たちに向いて離れない。
アイオロスの言うとおり、第一印象から180度転換で、今はのことを仕事の上でも信頼しているし、魅力的な女性だと思ってもいた。
当初はどうせコネで来たんだからと期待も持たなかったが、語学や情報処理等スキルもあるし、仕事は丁寧で正確だった。何よりその爽やかな明るさは、今や十二宮に欠かせないものとまでなっている。
カノンが、異性として意識しても不思議はなかった。
そのの婚約者が今ここにいるとなっては、気になって仕方なく、食事が運ばれてきたがカトラリーに手も伸ばさない。アイオロスにおかずを取られてもまるで気づかないようなありさまだ。
そんな異変に、お喋りに夢中の若者たちが頓着するわけもない。
「でもその結婚って、親同士が決めたものなんだろ?」
「まーなー。うちはいわば成金なわけだし、名前が欲しいんだよ。の家は逆に、名家だけど落ちぶれてて金もねえからな。利害が一致したってとこ?」
カノンの眉がぴくりと動く。アイオロスも思わず手を止めた。
「じゃ愛情とかないんだ」
「ほとんど会ったこともないのに、愛情なんてあるわけねーだろ。いいんだよ結婚なんて表面的なものだし、今まで通り遊びまくってたって構わねえさ」
「やっぱり、そんなところか」
「おまえが女遊びをやめるわけないもんな」
下卑た笑いがわき起こる。
下を向いたカノンの手が、震えているのをアイオロスは見ていた。
「おいカノ・・・」
「もさあ、飽きたらお前らにまわしてやってもいいぜ」
「−!」
ガタンッ!!
男たちは、隣の席の客がいきなり立ち上がったので、ぴたりと口を止めた。
「うわあっ」
ものすごい形相をした立派な体格の男に、すさまじい勢いで胸倉をつかみ上げられ、息も止まる。
「てめェ! をモノのように見やがって・・・!!」
「なっなっ何だ、おまえは」
宙に浮いた足がガタガタしている。
「よせカノン」
「うるせえやらせろアイオロス。コイツ、許せねえ!」
「おっお客さま、困ります・・・」
気の弱そうなオーナーがおずおず進み出てきたのを横目で見、舌打ちすると、カノンは仕方なく手を離した。しりもちをついた男を、にらみ下ろす。
「表に出ろ」
ヒュウウ・・・風が、音を立てて吹き抜ける。
誰にも迷惑をかけないために、わざわざ広大で寂しい空き地までやってきた。三人の男たちは可哀想なくらい怯えている。
「カノン、やめとけって」
「黙ってろよ。聖闘士としての力を使わなきゃ問題ねえだろ」
「まあそりゃそうだが」
力を使ったりしたら、一撃で殺してしまう。
カノンの気持ちもよく分かる・・・分かるどころか自分だってこんな男ボコボコにしてやりたいくらいのアイオロスは、結局、一歩退いて見守ることにした。大ケガ寸前で止めてやればいいかな、などと物騒なことをさらりと考えながら。
向こうの男どもも額をつき合わせて何事か相談をしていたようだが、中の一人が走ってその場を去り、ようやくあの痩せたずるそうな男が前に出てきた。
「ち、ちょっと待て」
早速こぶしを固めるカノンを、両手を振って制しながら、上ずった声を出す。
「君は何なんだ、・・・いやさんの知り合いか?」
「職場の同僚だ」
「たっただの同僚にしては、ずいぶんからんでくるじゃないか。・・・彼女のことが好きなんだろ」
冷や汗を流しながら、上目を使って問う。口調はおどおどしていたが、目には確信の色が浮かんでいた。
「・・・・」
息をつめるのも一瞬だけで、
「その通りだ」
はっきりと肯定したもので、アイオロスも驚いてしまう。
カノン自身も、自分の想いの深さを今初めて知って、多少の戸惑いを感じていた。
これまで、「フィアンセがいる」という事実がブレーキになっていたのに過ぎないのだと気づいた。そのフィアンセが実はこんな最低野郎だったと分かった瞬間、ブレーキなんて粉々に砕け散ってしまったのだ。
後に残った気持ちをそのまま受け止め、言葉にする。
「のことを好きだ。お前みたいな奴に渡してたまるか!」
みすみす不幸にさせたくはない。幸せにやりたい・・・愛したい。
思った以上の情熱に、婚約者は言葉を失っていたが、ようやく、ひとつふたつ、頷く。
「そ、そうか・・・命もかけられるか?」
「なに?」
急に肚がすわったように、男の眼にぎらり光が宿った。
「一人の女に男が二人、となれば・・・、決闘しかないだろ?」
「だからさっきからやってやるって言ってんだろ!」
スゴんで手指をバキボキ鳴らす。相手は青ざめ、首をぶんぶん振った。
「ぼっ暴力は反対だ。だいたい体格差からいっても、勝負は見えているだろう」
「じゃ何だ。俺は何でも構わん」
海将軍で黄金聖闘士のカノンは最強だ。どんな方法によろうと、こんなひよわ野郎に負けるはずはない。
「ち、ちょっと待っていてくれ。今取りに行かせている」
ほどなく、さっき走っていった男が、黒いケースをさげて戻ってきた。
「これで勝負といこう」
地面に置いてふたを開けると、そっくり同じ拳銃が二丁入っているのだった。
「もったいぶりやがって」
銃に触れながら、男はカノンの顔色を伺っていた。
「どうだ、実弾でやるんだぞ。最悪、死だ。やめるなら今のうちだぞ」
「最悪死ぬならお前の方だ」
せせら笑う。
銃だろうと大砲だろうと、怖くなどない。
「俺は小さいころからコイツの扱いには慣れてるんだ」
ジャキッと構える立ち姿はそれなりにサマになっている。あながちハッタリでもないのだろう。
「フン、こんなもの」
カノンももう一丁を持ち、相手の銃にも目をくれた。
「おい、一応両方確かめさせろ。細工でもされたらかなわん」
「意外と慎重なんだな」
ひょいと肩を上げ、自分の持っている銃をカノンに手渡す。
「お前みたいな奴は、平気で卑怯な手を使いそうだからな」
「俺が確認しよう」
アイオロスが銃を受け取り、実際に一発ずつ発砲して問題のないことを確かめた。確かに本物だ、ズギュンと衝撃が走り、遠くの木に穴が開く。
(こっコイツら何者・・・!?)
顔色変えずに拳銃を撃ち、しかも命中させるなんて。
(まともに勝負なんてできるかよ・・・)
男たちは目と目で合図を送り合い、ニヤリと笑った。
「殺すなよ、カノン」
「しつこいな。俺がそんなヘマするかよ」
ひそひそ話し合ってから、二丁とも相手に戻す。それを婚約者の友人が受け取り、チェックを重ねた。
そうしていよいよ、それぞれの手に拳銃が握られた。
「合図は俺がする」
そう言った友人が、二人をちょうどよい距離に分けた。
向かい合い、準備を整える。
離れたところで、アイオロスは腕組みをして見ていた。
(・・・ま、これなら危険はないと思うけど)
黄金聖闘士の力をもってすれば、自分にも相手にもケガをさせないくらい、朝飯前だろう。
(でも一応、知らせておくか。決闘なんて穏やかじゃないからな)
とはいえ何が起こるか分からないので、自分がここを離れるわけにはいかない。
アイオロスは弟のアイオリアに、ことの次第を伝えることにした。
(昼時間、終わっちゃったのに。カノンったら何してんだろ)
午後一から処理する予定だった書類の束を前に、はちょっとムクれていた。
サボる気だろうか。彼ならやりかねない。
そういえば、今日はアイオロスとランチに行くと言っていたけど・・・。
「! 大変だ!」
いきなり飛び込んできたアイオリアの大声に、思考は中断される。
「カノンが・・・!」
「・・・!?」
「カノンが私の婚約者と決闘・・・!? どういうことなのアイオリア」
「俺も詳しくは・・・」
首をひねるアイオリアは、をおぶって走っている。
「どうしてカノンがそんなことを・・・」
しっかりつかまりながら、の胸の内は、祈りに近い思いで溢れそうになっていた。
(どうか無事で、何事も起こりませんように・・・。カノン・・・)
心配すべきはむしろ一般人であるフィアンセだろうに、なぜかカノンのことしか浮かばない。
カノンだけを、想っていた。
「3、2、1!」
引き金を引く。カチッと乾いた手ごたえのみ・・・弾が出ない・・・!?
ズガン! 鋭い音と同時に、右肩にかあっと血が集まるような感覚。
相手の表情に、罠にはまったことを知る。
さっき、奴の仲間が銃を確かめたときだ。あのときに何か細工を・・・!
「畜生ッ!」
地を蹴り瞬時に接近すると、間を置かず殴り飛ばす。宙にはねた拳銃をキャッチし左手で構えた。
「ひ・・・ひいッ」
何が起こったのか、理解すら追いつかず、ただ顔色をなくして震えるばかりの婚約者を、ギラつく眼でにらみつける。
「さっさと消えろ、二度とに近づくな!」
「あわわわ・・・」
友人二人に脇を持ち上げられるようにして、卑怯者は去っていった。
(これで、は・・・)
気が緩んだ瞬間、ふっと意識がゆらぐ。
「カノン!」
アイオロスの声も、遠く聞こえた。
「・・・カノン」
心の不安は大きく弾け、覚えず声を出していた。
「アイオリア、もっと速く!」
「もう着くよ」
バシバシ叩かれても文句も漏らさず、アイオリアは走る。無論、光速移動なんてお手のものだが、聖闘士でもないには耐えられないだろう。
視界が広がり、広場に到着したことを知る。そこには、人の姿がふたつだけ。
アイオロス・・・に支えられている、カノン。赤いのは・・・、血!?
「カノン!!」
アイオリアの背から飛び降りて、走る。
つまづきながらも、がむしゃらに走る。
「なんだ、・・・そんな必死になりやがって」
アイオロスの肩を借り、止血の処置をしてもらいながらも、カノンはに笑いかけた。
さっきは不覚にもふらついてしまったが、この程度でどうにかなるようなヤワなつくりじゃない。
しかし、こんな姿を見られたことがカッコ悪くてたまらない。アイオロスをひそかににらんでみたが、きれいに無視された。
「カノンのバカ!」
大声を出され、目を見開く。
「どうして、こんなこと・・・」
下を向いて震えるを、優しく、見下ろしていた。
「悪ィ・・・」
指の一本も触れなかったけれど。
このとき、気持ちは惹かれ合っていた。
お互いの中に、確信があった。
それから、数日後。
「イテーッ! 痛ったたた!」
ものすごい叫び声が、双児宮じゅうに響き渡る。
「大ゲサねえ」
包帯を巻き終えた右肩をポンと叩いてやると、ベッド上のカノンがまた跳ね上がった。
「もう少し優しくしてくれてもいいだろ。だいたい、こんな毎日マメに来てくれなくてもいいんだぜ」
「だって、私のためにカノンはケガしたんだから」
薬やら包帯やらを片付けながら、は静かな調子で呟く。
「・・・縁談は、なかったことにって言われちゃった・・・」
「・・・すまねぇな、俺が勝手にやってしまったせいで」
奴が汚い男で、結婚なんかしたらが不幸になるのは明らかだったけれど、相手側から断られたとなっては、や両親の顔が立たないだろう。
カノンは謝らずにはいられなかった。
「でもね、私、父や母にハッキリ言ったの」
振り向いたに、いつものはつらつとした笑顔が戻っている。
「自分が本当に好きな人と結婚したいって・・・そう思える相手ができたって」
のきれいな瞳の中に、自分がいる。
うぬぼれなんかじゃない。
カノンはためらいなく両腕を伸ばし、抱き寄せた。
「ちょっと、肩、痛いんでしょ!?」
意外な力の強さに戸惑うを面白がるように、もっとしっかりつかまえた。
「大ゲサって言ったの、お前だろ」
鍛え抜かれた聖闘士の身体だ。あれしきのケガ、もうほとんど治っている。
手当てを続けて欲しくて、優しくして欲しくて、いつまでも痛いフリをしていた。子供みたいに。
「婚約破棄された責任は取るよ。キッチリとな」
囁きに喜びがこみ上げ、もっと強く抱きしめて欲しくなる。
夢なんかじゃないことを確かめて、今しばらくひたっていたいから。
「カノン・・・好き」
「チッ、先越された」
今言おうと思っていたのに。
それなら、次の主導権からは絶対に渡さない。
ガバッと抱き寄せキスをする。薬のにおいが鼻の奥をくすぐって、ちょっと不思議な味のキスだった。
しばらく離さないから、体温が溶け合い、とろんとしてくる。
高まる気持ちの追いかけっこで、どこまでも熱が上がってゆく。
「おい、カノン・・・、っと・・・」
一応弟を案じて入ってきたサガは、狙っていたわけではないが目撃してしまい、慌ててくるり背を向けた。
の両親が、お金のために愛のない婚姻をすすめたことを心から恥じてわび、カノンとの交際を快く認めてくれたのは、その数日後のことである。
「何、ニヤニヤしてんだ?」
小さな声にびくりとして顔を上げると、カノンが薄く目を開けこちらを見ていた。
「ん・・・別に」
「教えろよ」
「ヒミツ」
「教えろってば」
「キャ〜どこさわってんのよ、ギャーくすぐったい!」
「教えろ〜」
「ギャハハハハ・・・」
ベッドの上、きりなくじゃれ合う二人を、朝の陽が包み込む。
きら、きら。二つのリングが、虹色の光輪を繋いだ。
END
・あとがき・
カナルさんがゲットしてくださったカウンタ55555リク、大変お待たせ致しました!!
カナルさんはカノンが大好きということで、カノンのドリームをリクエストいただきましたよ。なんとストーリィも、カナルさんが考えてくださいました。私、そのまんま書かせていただきました。
リクエストで書くとき、「全部お任せ」というのもいいんですが、こうして希望や考えたストーリィなどいただけるのも私は大好きです。
果たして気に入っていただけるかな? という心配はやはり最後まであるのですが・・・。でもお待たせした分、自分ではすんなり書けました。
「ヒロインを呼びに行く役の黄金聖闘士は、かづなさんのお好きな方で!」ということでしたので、アイオロスにしようと組み立てたのですが、アイオロスがその場を離れるのはちょっと不自然だったので、弟のアイオリアにおぶられて行くということにしました。それはそれでオイシイ(私としては)。
カノンはちょっとやんちゃな感じが好きです。銃を構える姿は確かにカッコ良さそう!
とっくに治っているのにまだ痛いフリをする辺りが、子供みたいでカノンらしいかなと。
タイトルはギリギリになっても決まらないので、遊佐未森のアルバムタイトルからもらいました。
ハルモニオデオンは、架空の楽器の名前だそうです。
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