失敗
「ねえねえ・・・」
甘い声を出して、後ろから抱き付いてくる。
本を眺めている最中だったけれど、バレンタインはあっさりとそれを置き、のふわふわ髪に手を触れた。
「何だい、」
誰よりも愛しく可愛い存在のを後回しにするような物事など、あろうはずがない。(ラダマンティス様の命令を別にすればの話だけれど)
「あのね、お願いがあるの」
しかも、お願いときた!
バレンタインはいよいよ張り切って、振り返りに向き直った。
「よし、のお願いなら何でも聞くよ!」
命を張ってでも叶えてくれそうな勢いである。
は天使のような笑顔で、その願いを口にした。
「手作りチョコレートの上手な作り方を教えて欲しいの、お兄ちゃん」
バレンタインは、凍りついた。
「・・・」
「バレンタインデーまでに、おいしいチョコレートを作れるようになりたいの」
一体、誰にあげるために!?
聞きたくても聞けない。まさに晴天の霹靂だ。完全防虫の温室に入れておきたいほど大切な妹に、チョコをあげたいような相手が存在するなんて。
頭の中に、たくさんの冥闘士たちの顔が駆け巡る。冥界は男だらけだ。
「ねっ、いいでしょ?」
嫉妬やら寂しさやら悔しさやらが複雑に混じり合う心で、まだ固まっているバレンタインに、は無邪気に念を押す。
「あ、ああ・・・それは、もちろん」
それでも、ノーとは言えない。
放心状態のまま、バレンタインは頷いた。
バレンタインは、冥闘士になる前、とある一流ホテルのデザート部門で腕を振るっていた。特にチョコレートの扱いにかけては評価が高く、稀代のショコラティエと絶賛されていたものである。
だから、妹に簡単な手作りチョコレートの作り方を教えることくらい、朝飯前のはず・・・なのだが。
「ああっ、また失敗しちゃった!」
「温度計をよく見てなきゃ」
「上手に丸くできない・・・」
「トリュフは難しかったかな」
稀代のショコラティエの妹は、類稀なる不器用娘なのだった。
「ゴメンネお兄ちゃん、私、失敗ばかりで・・・」
悲惨な状況になっているキッチンにたたずんで、今にも泣きそうに打ちひしがれている。バレンタインはそんなを抱き寄せ、優しく頭を撫でてやった。
「いいんだよ。そうだ、お兄ちゃんが代わりに作ってあげようか」
「ダメっ。それだと意味ないもの」
不意に強い意志を覗かせて、は顔を上げた。
「失敗しても練習して、自分で作ったものをあげなきゃ。・・・そうでしょ?」
「あ、ああ」
勢いに押され、何も言えなくなる。
すぐに頼ってくる、甘えん坊の妹だったのに。
冥闘士としてハーデス様に仕えることになったときも、側を離れたくないと泣いて無理を通したほどに。
そんなが、自分でやりたいと言い張るなんて。
心の成長を喜ぶどころか、気になって仕方がない。一体どこの誰のために、はこんなにも頑張ろうとしているのだろう。
(是非、確かめなくては)
バレンタインは決意を固くし、拳をぐっと握る。全く妹離れをしていないという、困った事実にも気付かないまま。
翌日は休みの日。いつもなら兄と遊びに行ったりするのだが、今日は用事があるからと言われ、は一人でぶらつくことにした。歌など歌いながら勝手知ったる冥界を歩いてゆく。
その背後に、何か黒い物体がひそんでいた。物陰に隠れながら、一定の距離を保っている。
(こうして見ていれば、が誰のことを想っているのか分かるハズ)
言うまでもなく、この動く物体は、黒子の衣装に身を包んだバレンタインである。気付かれないようにコソコソついてゆく姿は、探偵というか忍者というか変質者というか、とにかく最上級の怪しさだった。
(いやいや、悪い男にたぶらかされているといけないからな。これはいわば兄の役目というものだ)
そんな言い訳を自分自身に用意してみても、怪しいものは怪しい。
何も知らないは、そぞろ歩いているうちに知り合いの姿を見つけ、笑顔で大きく手を振った。
「ミュー!」
(何ィーッ!?)
バレンタインの髪の毛が逆立つ。ヤツか!? ヤツなのか!?
可愛いは、ミューのそばまで駆け寄って、何やら楽しそうに話し始める。相手の方もまんざらでもなさそうで、その雰囲気は恋人同士と見えなくもない。
(何でよりによってあんな人間だか昆虫だか得体の知れんヤツが!? えーいそれ以上寄るな、リンプンがにかかるだろ!)
あと一ミリでも近寄れば、我を失った兄が血走った目をしてつかみかかってくる・・・ところだったが、二人は笑顔で手を振り、そこで別れてしまった。
バレンタインの血圧が急激に下がってゆく。どうやら違ったらしい。
「そ、そうだよな、そんなハズないよな」
思わず安堵の一声が漏れてしまう。単に挨拶を交わしたに過ぎないのではないか。
先ほどのミューに対する暴言も忘却の彼方で、気を取り直して尾行を続けることにした。
と、向こうからまた別の男が歩いてくる。はさっきのようにぶんぶんと手を振りながら駆けてゆく。
「イワン!」
(えええーっ!?)
さっきより逆立った。
(何でだ、名乗るより先にやられちまったお笑いキャラじゃないか、まさかアイツをが・・・)
もう気が気ではない。
(指一本でもに触れてみろ、スウィート・ショコラーテだぞ!)
技名はイマイチ迫力に欠けているが、バレンタインの小宇宙は怒りに燃えていた。
そんなことも知らず、はイワンとさっきのように楽しげに会話を交わし、これまたさっきのようにあっさり道を分けた。
「こ、これも違った・・・」
全身の力が抜けてしまう心地だ。だがはスキップ混じりで先に進むので、休んでいる暇はない。
海とも見紛う大きな大きな川のそばまでやってくると、今度は舟上の渡し守に近付いた。
「カロン、休憩中?」
(ウソだろー!?)
バレンタインは『ムンクの叫び』ポーズで失神直前である。
(俺よりずっと年上だし! しかも金取られそうだ!!)
守銭奴のおっさんなんて冗談ではない。
・・・何だか自分の同僚って、ロクなヤツがいないような・・・。
は守銭奴・・・いや、渡し守とも話が弾んでいたけれど、それも長い時間ではなかった。
カロンの『俺の自慢の歌を聞いていくかい?』という申し出を丁重に断ると、明るく手を振って舟から離れたのだった。
「・・・考えすぎか」
心臓に悪すぎる。
それからもこんな感じで、は冥闘士たちに出会うたび、楽しそうに話し掛け、相手も嬉しそうに応じるのだった。ただ、バレンタインの心配するようなことは起こらず、ほどなく切り上げてしまう。
どうやら、はみんなと仲が良く、みんなに可愛がられているらしい。
妹への溺愛で目が曇っているバレンタインにも、ようやくその事実が理解できた頃、時はすでに夕刻へと移っていた。
そろそろ帰るだろう。バレンタインが安心しかけていたときに、はまた別の男と出会った。
(はっ、ラダマンティス様)
条件反射でその場にひざまづいてしまう。バレンタインが主君と仰ぐラダマンティスが、歩いてきたのだった。
「ラダマンティスさまぁ」
駆け寄るの声が、今までになく弾んでいるような気がする。まさかこれこそ本当に・・・。バレンタインは石化してしまう。
「なんだ、ひとりか?」
と言いながらも、ラダマンティスには物陰に潜んでいる兄のことなどお見通しだった。シスコンなのは知っている(忠実な部下だがそこだけは困ったところだ)ので、今更気にも留めなかったが。
「はい。今日はお兄ちゃんが用事があるって言うから。でももう晩ご飯だから、帰ります」
「たまには、心配させたらどうだ?」
「え?」
ラダマンティスは軽く笑って、の腕を引いた。
「一緒に来い。晩飯くらい奢ってやるぞ」
背に手を添える。バレンタインに対する、ちょっとした悪戯心だった。
果たして、効果はてきめんだったようで。
(の本命は、ラダマンティス様だったのかー!!)
雷鳴が走り、石のようなバレンタインは粉々にされてしまう。
ラダマンティス様に対し、文句のつけようなんてない。むしろ目が高いと妹を褒めてやりたいくらいだ。
だけどだけど、ラダマンティス様なんて。あのお方が弟になったらと想像するとはっきり言って怖い!
今までにない複雑な気持ちになって、しばらくバレンタインは立ち直れなかった。
小宇宙の激しい揺れを感じ取り、ラダマンティスはひそかに、けれど愉快そうに笑っていた。
「ただいま、お兄ちゃん」
「お、おかえり・・・」
結局、ラダマンティスの誘いに応じることなく、は真っ直ぐ帰ってきてくれた。
妹より先に帰るのは、何も骨の折れることじゃないけれど、バレンタインはすっかり疲れ果て、ソファにぐったり身を預けている。
「ご飯にしようよ」
そんなことにも気付かず、ははしゃいだ様子で仕度にかかる。
後ろ姿を見守って、深いため息をついた。
それから毎日、チョコレート作りの特訓は続いた。
バレンタインはの花嫁姿を思い浮かべては涙をぬぐいつつ、丁寧に教えてやった。何度失敗しても、根気良く。
「わあ、出来た!」
「完璧だ、良かったな!」
どうにか形になったのは、バレンタインデー前日のことだ。
「ありがとう、お兄ちゃん!」
抱きついてお礼を繰り返すを、またもや複雑な思いで受け止める。
頑張って教えて、頑張って何度もやって、努力の末に出来上がったハート型のチョコレート。
それも全て、ラダマンティス様のためと思えば、切ないではないか。
「じゃあ、あとは私一人でやるから、もうお兄ちゃんは休んで。本当にありがとうね」
「あ、ああ」
最初から最後まで、一人で仕上げたものをプレゼントしたいのだろう。邪魔者は退散というところか。
フラフラしながら、バレンタインはキッチンを出ていった。
そして次の日・・・運命の2月14日。
「ハイ、お兄ちゃん!」
手渡された二つの包みに、目を丸くする。
驚きつつも受け取ると、はにっこりして、
「お誕生日おめでとう。それにハッピーバレンタイン!」
「・・・あ」
そういえば将来の弟のことばかり考えていて、誕生日というものをすっかり失念していた。
がプレゼントを、しかも二つも。リボンをほどいて、きれいなラッピングをゆっくりと外してゆく間も、夢見心地のままだった。
大きな包みからは、チェックのパジャマが。そして小さな包みは・・・。
「これ・・・」
甘い匂いが、二人の間に漂う。数日かけて作り方を伝授した、ハートのチョコレート。
「俺に?」
チョコから目線を上げると、は照れ笑いを浮かべていた。
「お兄ちゃんにあげるのに、お兄ちゃんから教えてもらうのってヘンかなとも思ったんだけど。一番、上手なのが出来るのは間違いないから」
「・・・〜!」
プレゼントとチョコレートを握ったまま、バレンタインはを抱きしめた。後から後から涙が流れ出る。歓喜の涙だった。
「お兄ちゃんお前を離さないぞ! 嫁になんて絶〜対ッ、やるものかーー!!」
「お兄ちゃん、苦しいよ〜」
この日、が冥闘士たちみんなに『義理チョコ』を配っていたことを、バレンタインは知らない。
知らないままの方が幸せだろうが、ますます妹への偏愛が強まったことも、確かだった。
真新しい匂いのパジャマに袖を通すと、そのこなれない感じにすら嬉しくなってしまう。チョコレートは夕食の後、二人でおいしくいただいた。
ベッドの空いた場所に体を滑り入れる。照明を落とす前に、ふっと隣を見下ろした。
寝息を立てながら、口許を緩め、どんな夢を見ているのか。
誰より可愛い。一番大切な存在の。
こんなと、兄妹として生まれてしまったことこそ、最大の失敗だったかも知れない。
いつまでもそばに置いておけるわけではないと、本当は分かっているから。
(でも・・・)
誰か他の男のもとへ行ってしまう、その日までは。許されるだろう、こうして一緒にいることを。
バレンタインはのふわふわした髪にそうっと指で触れ、そこに軽く口づける。
それから、掛け布団を整え、明かりをすっかり落としてしまった。
夜が更けて、聖なる愛の日も終わろうとしている。
・あとがき・
バレンタインデーに向けて、バレンタインドリームを書いてみました。
前回書いたバレンタインドリームはラダマンティスの妹設定だったけど、今回はちゃん、バレンタインの妹です。まともな兄妹ドリームって初ですね。前々から書きたいと狙ってはいましたが。
肉親を激しく溺愛しているキャラというのは、今まで結構書いてきています。愛情も行き過ぎるとギャグっぽくなって、そういうのが面白いと思うので。
私自身、兄がいて、昔からケンカばかりで非常に仲が悪いため、本当の近親相姦ネタは書けませんが、素敵なキャラの妹で、ちょっと危ないくらいベッタベタで・・・というドリームならいいよね〜。
一緒に寝ているなんて、ちゃん一体いくつなんだろう。
悪戯心を起こすラダマンティスというのも、ちょっと珍しい。
キャラの妹、しかも主にバレンタインサイドから書いたため、あまりドリームらしくないドリームになったかも知れないけれど、楽しく書けました。
この間、テレビで、チョコレートを扱うお菓子職人のことを特に「ショコラティエ」と言う、ってやっていたので、早速その名称を使ってみました。そのために、バレンタインが以前はそういう仕事をしていた、という設定にしてしまった。
チョコレートが何より大好きなかづなとしては、是非バレンタインが作ったチョコレートを食べてみたいです♪バレンタインデーにチョコレートを贈るというのは日本だけの風習らしいけれど、ここではこだわらずに冥界でもそれが普通のように書いてみました。
パンドラ様も誰かにチョコレートあげるのかなー。
H16.2.10
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||