コンプレックス
「お、お呼びでしょうか、教皇」
「そうかしこまることはない、」
と言われても無理だ。教皇の御前に召され、かしこまらずにおられるわけはない。
教皇シオンは、いつもの法衣ではなくくつろいだ格好をしている。椅子から立ち上がると、頭を下げたまま緊張を解かないに尚も優しく声をかけた。
「もう勤務時間は終わっている。それに、今は教皇としてではなく、個人的におまえを呼んだのだ」
目の前の少女が石のようにガチガチになっているのにも構わず、近付き手を差し伸べる。
「顔を上げぬか。そして、この間の返事を聞かせてもらいたい」
「こっ・・・この間といいますと・・・」
肩に手を置かれ、恐る恐る目を上げる。シオンは、期待に満ちた目で答えを促していた。
はほとんど泣きそうになる。もちろん、忘れたわけではない。忘れられるわけはない。
『、おまえのことを愛している。私と共に歩んではくれまいか』
あんなにストレートな告白の言葉、どうして忘れられるだろう。
実際、あの日から、胸はいっぱいで仕事もろくに手につかなかった。
「どうしたのだ? 十分、考える時間はあったと思うが。もし良い返事をくれるのなら、今日はこのまま二人で過ごそう」
「えっ・・・」
「のためにベッドルームの模様替えをしたのだ。見てごらん」
「ええっ・・・」
これ以上ないくらい戸惑いうろたえるの肩を抱き、次の間へと続く扉を開け放つ。とたん、むせかえるような芳香がぱあっと広がり、赤の色が溢れた。
それは・・・何というのだろう、とてもロココで、ひどく少女趣味なベッドルームだった。
天蓋つきの大きな大きなベッド、ピローカバーもクッションもベッドカバーも、白のレースで揃えられている。仕上げは、部屋いっぱいに敷き詰められた、真っ赤なバラの花たち・・・。
必要以上に力が入った光景を突きつけられて、が及び腰になってしまうのも当然のことと言えよう。
(ひえええ〜っ)
シオンは背後から耳元に囁いてくる。
「気に入ってくれたか? さあ、行こうか」
「い、行こうって・・・」
背を押されて、我に返る。
「き、教皇・・・」
「シオンと呼ばぬか」
「シオン様・・・わっ私は・・・」
「?」
「ごめんなさい・・・っ」
ドンッ!
恐れ多くも教皇を突き飛ばすようにして、は駆けた。
「!」
引き止めようにも叶わない。
高い足音が遠ざかってゆき、静けさを取り戻した教皇の間には、呆然とするシオンとバラに包まれたベッドルームだけが残された。
「教皇、先ほどが力いっぱい逃げて行きましたが」
わざわざ顔を出して、しなくてもいい報告をする最終宮の守護者を、シオンはねめつけた。
「アフロディーテ、おまえに任せたのは間違いだったわ」
そう、かのベッドルームをプロデュースしたのは、美の戦士アフロディーテであった。『若い娘は、どのような雰囲気を好むものか』と相談を受けたアフロディーテは、張り切って彼なりに精一杯趣向をこらしたつもりだったのだ。
アフロディーテに相談すること自体が間違いであることに、シオンは未だ気付いていない。
「お言葉ですが教皇、ベッドルームのせいにするのはどうかと」
自分の美的センスと手ずから育てたバラたちに絶対の自信を持つアフロディーテは、例え教皇といえど、譲る気はないらしい。
「それはどういう意味か。この私が嫌われた、振られたとでもいうのか!?」
「いえ、そこまでは・・・。しかしご心配なく。彼女のことはこのアフロディーテが幸せにしますので」
「ええーいもう出てゆけ!!」
教皇は眉を吊り上げて怒った、つもりだったが、麻呂眉なので吊り上がりはしなかった。
ちゃぶ台返しをされたらかなわぬと、光速で教皇の間を退出し、アフロディーテはフッと笑う。
「どうやら、この私にもチャンスはあるようだ」
赤いバラを一輪、どこからともなく取り出して、胸にそっと抱いてみる。先ほどの言葉は冗談でも何でもない。
「そうだ、こうしてはいられない。我が双魚宮のベッドルームも模様替えをしておかねば」
何を期待しているのか、そそくさと階段を下りていった。
「お茶のおかわりをどうぞ、」
「ありがとう、ムウ」
ポットから音を立てて注がれるお茶と湯気を眺め、は相変わらず浮かぬ顔をしている。
その様子に、ムウはそっと嘆息する他ない。
泣きそうな顔をして白羊宮に走りこんできたを、素通りはさせられなかった。お茶を出して落ち着かせ、話の聞き役になっていたところだ。
「・・・さぞびっくりしたでしょうね」
に想いを伝えたのだ、という話は、やけに自信たっぷりのシオン本人から聞いてはいたが。
我が師ながら、恋に関してなんと不器用なことか。真っ直ぐにぶつかる他に手立てを見つけられぬとは。
自分なら・・・そう、自分なら、もっと巧みに事を運ぶことが出来るのに。
ムウは、の栗色の髪や、伏せられた眼の長いまつげなどを見つめていた。
親切な顔をして相談に乗り、少しずつ心が傾くように仕向け、奪ってしまおうか。
そうだ、彼女を手に入れられるのなら、師に背くことになろうと構わない。
この恋には、それほどの価値がある。
布石のためにと、ムウは口を開きかけた。が、かぼそい声により封じられてしまう。
「信じられないの・・・からかわれてるんじゃないかって思うの。だって、シオン様は、この聖域の教皇よ。アテナの次に偉い人よ。そんなすごい人が、私なんかのことを・・・」
ぽつ、と、透明な涙がカップに添えた手に落ちる。
「・・・」
ただ一粒の涙に、どれほどの熱い気持ちが込められているか。
まざまざと見せつけられ、ムウは言葉をなくした。
(貴女は、そんなにも、師シオンのことを・・・)
握ったこぶしに、知らず力がこもる。
「シオン様は、とても素敵で強い人だわ・・・」
いつも見ていた。初めて目通りしたあの日から。常にその姿を追い、眩しく見つめていた。・・・恐れにも似た気持ちで。
強い憧れはいつしか恋になって・・・。
愛しているなんて。
返事が欲しいなんて。
彼がそんなことを言いさえしなければ、こんなに苦しむこともなかったのに。
叶わぬ気持ちと諦めながら、甘い想いだけを持ち続けていられたのに。
「私なんかじゃ・・・釣り合わない」
だって、抜きん出たとりえがあるわけではない。
お世辞にも美人とはいえないし、モデルのような抜群のプロポーションには程遠い。
あの憧れの人の隣にいることなんて・・・ましてその腕に抱きしめられる自分なんて、とてもとても想像できたものではなかった。
コンプレックスが、見えない鎖となる。
身動き取れなくしてしまう。締め付けて、苦しめる。
また、涙がこぼれた。
「おぬしも、過激じゃのぉ」
「何が過激だ。若い娘はロマンティックなのがいいんだろう。これぞまさにロマンティックな演出ではないか」
似合わない横文字を二回も使った親友を、それでも笑うわけにもいかず、童虎はバラだらけのベッドルームを前に腕組みをした。
「教皇なんてどえらい立場にいるおぬしに愛を告白されて、こんな部屋に連れ込まれようとしたら、どんな娘だろうと逃げ出すじゃろうて」
「連れ込むなどと、それではまるで犯罪者ではないか」
あくまで同意を得てからのつもりだったのだ、シオンは憮然と言う。
「・・・やはり私は嫌われているのだろうか」
「いや、そんなことはないと思うが」
童虎が言葉を濁すのは、複雑な気持ちが渦巻いているからだ。
がシオンを慕っていることには、いやというほど気付かされていた。
こっちがどれほどの想いを抱こうと、もう入り込む隙間もないという哀しい事実と共に。
「腹立たしい」
いきなり肘を入れる。それはシオンの腹にまともに決まった。
「何をするか童虎! 千日戦争なら受けて立つぞ!」
「すぐ熱くなるのぉおぬし・・・まぁ茶でも飲もうではないか」
振り返ると、既に童虎は中国茶をすすっている。
「どこから出したのだ、そのティーセットは」
テーブルも椅子も、壁掛けまでもチャイナ風にコーディネートしてある。にわか中華の空間に、シオンもしぶしぶ腰を落ち着けた。
「は多分、戸惑っておるのじゃ。自分よりずっと年上で、ずっと偉い人間にそんなことを言われて、どうしたらいいのかと」
童虎がわざわざこんなことを教えてやるのは、親友のためにではない。あくまで想い人のためだ。
恋を応援するなど不本意もいいところである。しかし、可愛いにはシオンしか見えていないのだ。この上は、彼女に幸せになってもらいたい。そんな境地に達した童虎なのだった。
「ふん、教皇の座なんてもの、今すぐにでもお前にくれてやるわ。それでが私を好いてくれるのならな」
「わしは別にいらんぞ」
軽くあしらいながら、内心童虎は圧倒されかけていた。に対する想いの深さを、まるで炎のように烈しい恋心を、見せ付けられて。
自分だって生半可な気持ちではないつもりだが、シオンの前では白旗を上げる他ないようだった。
「年も立場も関係ない。私はただの一人の男として、を愛しているのだ」
「の方は、まだそうは思えないようだが・・・しかし・・・」
ふっと、童虎は目を細める。
「ただの一人の男として、か。変わらぬのぉ、シオンよ」
熱い茶の湯気越しに、親友の真っ直ぐすぎる瞳を見つめた。
「何がだ?」
不思議そうにシオンが問う。お茶を一口傾けて、童虎は少し遠くを見るような目をした。
「かつて黄金聖闘士の中でただひとり東洋人じゃったわしを、程度の差はあれど、皆色眼鏡をかけて見ていた。最初から全くそんなことをせず、同じ聖闘士として・・・それこそ一人の男としてわしに接してくれたのは、おぬしだけじゃった」
「童虎・・・」
「心配せずとも、もおぬしのことを思っておるのじゃよ。きっと、うまくいく」
今度は心からの言葉と共に、微笑むことが出来た。
「教皇の間に、送ってさしあげましょう」
「え?」
優しい声だがきっぱりと、意外なことを言われ、思わず顔を上げる。手渡されたハンカチを素直に受け取って、目元を押さえた。
クリアになった視界を上げると、ムウはいつもの優雅な笑みをたたえて見つめている。
「思っていることを正直に言えばいいではありませんか。黙っていて伝わることなんて、少なくとも師に関して言えばひとつもありませんよ」
「でも・・・」
「お姉ちゃん、ムウ様の言う通りにした方がいいんじゃない?」
やんちゃな子供の声に振り向くと、ムウの弟子がへへへ、といたずらっぽく笑っていた。
「貴鬼、またお前は立ち聞きをしていましたね」
「ごめんなさいムウ様。でもおいら、お姉ちゃんのことが心配だったんだもん」
ちょっと肩をすくめる仕草でそんなことを言われては、ムウもそれ以上は叱れない。やれやれと立ち上がった。
「本当に送っていってもいいんですか? をお嫁さんにしたいと言っていたのは誰でしたっけ?」
「ム、ムウ様〜」
貴鬼は真っ赤になった顔を手で覆って、部屋中を走り回る。
「まあ、貴鬼ったら・・・」
もほんのり頬をピンクにして、笑った。
そばで優しく見守っているムウの、胸中に去来する切ない思いは、ついに知られることもなく。
「おお、お姫様の登場じゃな」
童虎は立ち上がり、ムウの肩をぽんと叩いて共に教皇の間を後にした。
ゴージャスな寝室にするための模様替えプランをあれやこれやと練っている最中であろうアフロディーテと、三人で夜更かしするのもいいかも知れない、と思いながら。
二人きり残されれば、やはりは気後れしてしまう。
気持ちは分からないでもなかったが、シオンにはこれ以上待つという心の余裕はなかった。
「、何故お前はそうもややこしい問題にしてしまうのだ? 単純なことなのだぞ。私のことを好きなのか嫌いなのか。ただそれだけではないか」
そこまでシンプルに捉えることのできる感覚が羨ましい。そして彼のそういうところも、好きだった。
「正直に答えてくれれば、それでよい」
焦燥にも似た強い口調に、はうなだれる。
−黙っていて伝わることなんて、ひとつもありませんよ−
ムウのアドバイスが耳の奥に蘇った。か細い声でだが、は勇気をふりしぼった。
「・・・どうしても、コンプレックスを感じてしまうんです・・・」
「コンプレックス?」
「シオン様は、長生きで何でも知っていて、偉い身分の方ですもの・・・」
シオンはホッとした。の口からこぼれたのは、童虎が言っていたことと同じ内容のことだったから。
「いくら年を重ねても、知ることの出来なかったこともある」
不思議そうに見上げる、こんなあどけない表情と瞳に出会うことはなかった・・・いかに長い間、この世を見てこようとも。
唇に浮かぶ笑みは自嘲めいていて、そんな初めて見るようなシオンの表情には違和感を覚えた。
「ただ一人を恋い慕う気持ちに、これほど振り回されるとはな・・・。何百年生きようと、初めて知るものにはどうしていいのか分からぬ」
常に堂々と、自信に満ち満ちた人だと思っていた。
『愛している』なんて言葉も、簡単に口に出来るのだろうと。
だけれど、それは間違いだったということに、初めては気付いた。
自分の気持ちをさらけ出すことは、誰にとってもそう簡単であるはずはない。どんな勇気でもって、その言葉をくれたろう。そして、どんな気持ちで返事を待っていてくれたろう。
それだけの気持ちに、今、応えなくてはいけないのだと。
コンプレックスに負けている場合じゃない。
自分も、勇気を出して。
「シオン様・・・ずっと、好きでした」
ただ一つの、偽らざる思いだけを。
シオンの喜びようは、それはもうすさまじいものだった。
抱き上げられて振り回され、は目を回す。次には手加減なしに抱きしめられ、骨が折れるかと思った。
そこには、長く生きてきた者の思慮深さなどかけらもない。
「嬉しいぞ、。こんなに嬉しいことは生まれて初めてだ」
「み、身に余るお言葉です・・・」
「さあ、では二人だけの世界に旅立とう」
グッタリして抵抗出来ないを抱きしめたまま、例の寝室へと足を踏み入れる。
「ふむ、全てトゲは抜いてある。さすがはアフロディーテだ」
つい先刻は、『お前に任せたのは間違いだった』などとこき下ろしていたはずのアフロディーテを絶賛しつつ、ベッドにを下ろす。白いレース付きカバーと枕とクッションの中に埋もれて、は手足をばたつかせた。
「シ、シオン様、あのっ、いきなりこんな関係になるのは、ちょっと早すぎるのでは・・・」
「何を言っておる。今まで待たされたのだ、今宵はの全てを見せてもらうぞ」
ほとんど強引に抵抗の気持ちをねじ伏せて、シオンはにキスをする。
「シオン様・・・」
うっとり目を閉じれば、バラの香りに包まれて、たちまち夢の中に・・・。
熱い腕に抱きしめられて、触れ合ううちに、は文字通り肌で知った。
自分はただの女で、愛する人はただの男なのだという事実を。
そこには、を躊躇わせる隔たりなど何もなく・・・今まであれほど気持ちの邪魔をしていたコンプレックスも、溶けてなくなってゆく。
「シオン様・・・大好き・・・」
自分から、言葉にして伝えることすら、こんなに自然に出来るから。
そしてシオンの、優しい瞳が、自分だけをとらえて。
極上の甘さで、愛を告げてくれる。
「愛しておるぞ、」
・あとがき・
「コンプレックス」こりゃかづなにとってはイタイお題でした。
だって私はコンプレックスの塊のような女ですから!(威張れない)
ま、コンプレックスといっても、某金髪坊やのようなマザコンや、某主役のようなシスコン、果ては最強兄弟それぞれが持つブラコンなど様々ありますが、ここでは一般的なインフェリオリティー・コンプレックス(劣等感)についてです。
私は昔から劣等感強くて、今でも強いけど、昔よりはわかってきたこともあります。
それは、周りの人たちみんながみんな、自信満々なわけじゃないってこと。
そう、二百年以上生きているようなシオンでも、完璧とはいかないし、全てにおいて自信があるってわけでもないでしょう。牡羊座ってのは単純で積極的で猪突猛進で短気というイメージがあります。戦闘能力ならピカ一という印象も。
でも、あんまりムウ様(なぜか様づけ)には当てはまらない感じなんだよね。
だから、シオンをそんなふうにしてみました。やってみたらあんまり違和感なくハマった感じかな。童虎とアフロディーテとムウと貴鬼もちゃんに片思いのようだったけど、みんな失恋になっちゃってゴメン。みんなに好意を持たれているってのは、ドリームとしては王道なんだろうけど、今回みたいなのだとお相手キャラ(シオン)以外は全員失恋になっちゃうってのが可哀想です。途中で「こりゃムウがちょっと可哀想だな・・・やめようかな」とも思ったのですが、そこまで書いてもったいないので書いてしまいました。
まぁ、ここでふられたキャラでも、他のドリームでは主役になったりするから、許してもらうということで。シオンと童虎っていいですよねー。ハーデス編DVDの最終話を見てホントそう思いました。
星矢が聖域にいるとき、日本人だからと差別的な言われ方をしていたから、中国人の童虎もそういうことがあったんじゃないかな、と思ったの。で、シオンは教皇になるくらいの人だから、そんなことは気にしなかったのではないかと。
それで二人は親友になったのかな、なんて妄想。ちゃんはおとなしくて内気なタイプのヒロインです。シオンに押せ押せムードで来られて、好きなんだけど戸惑ってしまう。
ムウ様の言う通り、もっとやり方あるような気がしますよ、シオン様。でも、結果オーライですね。
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