馬鹿野郎。
「おいしかった、ごちそうさま。本当にありがとうね」
お店に入るときにはまだまだ明るかったのに、もう、空にはいくつかの星がまたたき始めていた。
「あのさ、」
並んで歩いてはいるけれど、二人の間には遠慮がちな隙間がある。
「また、誘っていいかな」
こんな態度は、らしくない。けれどアイオリアは、ためらうように隣を見下ろすしかできなかった。
「・・・うん。もちろんよ」
は快い返事をくれたけれど。
単純には喜べない。いつも、何かがひっかかる。
「送っていくよ」
「ううん、いいわ」
そして、一度として家まで送らせてくれたことがない。
かといって、全く拒んでいるのとも違う。その証拠に、は自分から手を差し出してくれるのだから。
「また、きっと誘ってね。アイオリア」
「ああ」
アイオリアも同じように手を出す。小さな両手を包み込むと、その冷たい感触に、愛しさが突き上げてくるのだった。
もっとしっかり握って、温めてあげられたら。
手だけではなく、の全身を、抱きしめることができたなら−。
昂ぶる気持ちは、の小さな「さよなら」の声で、一気にトーンダウンさせられる。
「またね、アイオリア」
こんなときはほんとうに寂しそうで。ただ、アイオリアをうぬぼれさせる種類の寂しさではないことが気になるのだ。
「さよなら、」
それでも、何も気付かないような顔で、手を振っている。
遠ざかってゆく背中を、見えなくなるまで目で追っている。
嫌われているわけではない。自信過剰とは違うけれど、それは確かだ。
何が一体ブレーキとなっているのか、いま一歩、踏み込んでくれない。
女性の扱いに慣れているとはお世辞にもいえないアイオリアのこと、告白をしたり、まして強引な手段に出たりするなんてとても出来ない。
かくして、もう数か月も平行線の二人だった。
(兄さんに、相談してみようかな)
空を仰ぐと、星の数がまた増えていた。
「お帰り、早かったね」
今日も断りなしに上がりこんでいる。
招待した覚えのない客を、は一べつし、不機嫌そうに顔をゆがめた。
ソファがわりのベッドへ腰かけている男の前を通り、コートをハンガーに吊るす。
「おいで。抱いてやるから」
そう言う男の顔は、さっき別れたばかりの彼によく似ている。手を差し出す動作などもそっくりだ。
いやになるくらいに。
「」
立ち上がって、抱き寄せる。強い力は必要ない。逃げたりしないこと、知っているから。
「・・・馬鹿・・・馬鹿野郎ッ・・・・」
震えてはいても、決して拒んではいない体を、手のひらに感じていた。
「私がアイオリアと会ってきたこと、知ってるくせに」
「ああ知ってるよ。あいつ、昨日から嬉しそうだった」
鳥がついばむようなキスを与える。
慈しみからというよりは、手すさびのような口づけと愛撫を受けて、は強く目をつぶった。
「それならどうして、ここに来るの。どうしてこんなことをするの・・・アイオロス」
どうして、だって?
落としこんでゆくための手を休めず、アイオロスは小さく笑う。
いつだって、この体は求めているじゃないか。
やめてくれと振りほどけば、もう来るなと叫びたてれば、その通りにするのに。
一度だって、そんなふうに拒否したことはないじゃないか。
意地悪をするつもりはないから、アイオロスは何も口には出さない。ただの身体をベッドへ押し付け、本格的なキスを始めた。
激しく貪らずとも、優しくゆるやかに導くだけで、すぐに湿ってくるだろう。
「馬鹿野郎・・・」
せめてものののしりは、少女らしい潔癖さからで、それでも素直に反応してしまうのは、女の性で。
アイオロスはその二つながらを包み込む。服を解き、素肌を抱きしめる。
「・・・っ・・・」
もう言葉にすらならない熱い声を、耳もとで聞いた。
感じてしまう。勝手に声が出て、勝手に体が動いてしまう。
好きじゃないのに。
アイオリアに声をかけられれば嬉しい。一緒にいると、本当に楽しい。
だけれど、友達より先に進むことに対して、恐怖にも似た抵抗を感じていた。
アイオリアに対する好意を表すなんて、まして恋人としてつき合うなんて、夢物語だ。
そうに決まっている・・・その実兄と、こんな関係にあるのだから。
アイオリアへ恋心を抱くずっと前から、アイオロスに奪われ続けているのだから。
アイオロスと知り合った当初は、朗らかで話をしやすいお兄さんだと好感を持っていた。それは恋とは呼べない、少女らしい憧れのようなものだった。
ある夏の日、太陽の下、二人きりになった。
手を握られても、顔に触られても、危機なんて感じなかった。
逞しい両腕につかまってしまっても。
人生で初めて、唇へのキスをされてすら・・・。
「・・・アイオロス・・・?」
眩しくて、手をかざす。太陽がまっすぐに目を刺すから、は自分がすっかり横たえられていることに気がついた。
不意に影ができる。光を遮ったのは、上に覆い被さってきた、アイオロスの顔。
短めの髪を、陽がふちどって、きらきらしている。はずっと、まともに目を開けられないままだった。
「じっとして。そのまま、目を閉じていればいいから」
表情もよく見て取れない。いつもの彼らしく、大らかに笑っていたかも知れない。
髪からこぼれる太陽の強さに、とうとう耐えられなくなり、すっかり目をつぶってしまう。
何もかもが、熱かった。
太陽も、背にした地面も、滞った大気も。
そしてアイオロスの腕や吐息も。
全てが混じり合い、鋭くを貫いた。
痛みと熱の中で、気を失いかけた、あの夏の日。
それ以来アイオロスは、気ままにをつかまえては思いを遂げた。
乱暴はしないけれど身勝手で、優しいけれど愛を囁くこともなく。
束縛はしない、何かを強要することもないけれど、結局のところ、都合よく利用しているだけなのだ。
何も知らなかった子供の体を、欲望を発散させる対象として。
忌まわしい。男の性もだが、何よりそれを受け入れてしまっている自分自身が。
「俺にも、してくれる?」
勝手に動いてしまうほど、慣らされた体が。
はひざまづいて、奉仕を始める。
自分が快感を得るのと同時に、彼を積極的に喜ばせるやり方も、教え込まれていた。
「上手になった、は」
ムッとする。他意のなさげなほめ調子だから、余計に。
他の人に心惹かれていること、知っているくせに。しかもそれが実の弟だということも。
なのに、これをやめない。やめてくれない。
(やめられないのは、の方だよ)
自身は気付いていない、いや、認めたくないのだろう。
心と体が、別の人間を求めているという事実を。
それなら、忘れてしまえばいい。
「」
忘れさせてやるから。
体を繋げて、ひとつになる。
「・・・っぁ」
極力声を抑えこもうとする努力も、長くは続かないだろう。
この体に、全て覚えこませた。全てを知ってもいる。どうすれば感じるのか、どこが弱いのか、そういったことも全部。
「・・あぁ・」
忘れてしまう。忘れさせられてしまう。
この人は、ずるいんだ。
ずるい人にこうされて、こんなに気持ちよくなってしまうのが、悔しい。
そうして、いつも溺れてしまう。最後には、何も考えられなくなる。
こちらに背を向けて、眠っているふりをしているに、アイオロスはあえて声をかけはしなかった。
毛布を肩まで引き上げてやり、静かに部屋を出ていった。
我慢ができなくなったのは、アイオリアだった。
次に食事に行った帰り、アイオリアはを抱きしめた。
お別れの挨拶のために差し出された手を強く握り、自分の方へ引き寄せて。
「アイオリア・・・」
弱い抵抗に、慌てて腕を離す。
まったくの衝動だなんて、言い訳にもならないから、アイオリアは率直に気持ちを伝えることを決めた。
「、きみを好きだ」
の眼、その深い色の瞳に、嬉しさの滲むのを見て取った。だがそれはすぐに押し込められ、代わりに困惑が残る。
「アイオリア、私」
「逃げないでくれ、もう」
再び腕を伸べてはこなかった。でもアイオリアの視線にとらえられ、動けない。
澄んだ瞳を見つめ上げていると、自分の罪深さにいたたまれなくなる。
あらいざらい言ってしまいたいのに、絶対にできないことを知っている。
自分のしている行為そのものよりも、それをアイオリアに言えないということが、よほどを苦しめているのだ。
やがて沈黙を破ったのは、アイオリアのはりつめた声だった。
「、俺じゃだめか? 君を守れないかな。何があっても、どんなことからも、守ってあげたいって、いつも思っていたんだ」
苦しそうにためらっている。何か影を抱えている。そんなを見ていて、恋心と同時に芽生えた想いだった。
「・・・アイオリア・・・、そんなにまで、こんな私のことを・・・」
「」
アイオリアはそれ以上の言葉をなくした。彼女の小さな体が、ぶつかるように飛び込んできたから。
は子供のようにしがみつき、アイオリアはそっと腕で支えてやった。
全身で互いを感じ、それだけで満たされる。
そしては、改めて知らされた。
本当に好きで、心から求めているのは、この人以外にいないのだと。
アイオリアの腕が緩まると、次に起こること・・・彼が何をしようとしているのか、は肌で分かってしまう。
なぜって、そっくりだ。キスまで持っていくタイミングや、力の加減や。
(違う・・・この人はアイオロスじゃない。この人は、アイオリアなんだから)
半ば必死に言い聞かせようとするけれど、が願うようにはうまくいかなかった。
耐え切れなくなったのは、唇に体温を感じた瞬間で、はアイオリアを力いっぱいはねのけていた。
勢いに押される形で、アイオリアはを解放する。
「・・・ごめん、なさい」
驚きと悲しみの入り混じった表情を、直視できない。
「本当にごめんなさい、アイオリア」
ぱっと身を返し、駆けた。
「」
追いかけてつかまえるのはたやすい。けれど、彼女の背中が全てを拒んでいる。
「どうして・・・」
そんなにも頑なに。
アイオリアは立ち尽くすことしかできなかった。
冬の冷たい風が、二人の間を吹き抜けていった。
「寒かったろう、ここにおいで」
帰ってきてしまった。帰ればこの人がいて、こういうことになってしまうって、分かっていながら。
「温めてあげるよ」
この人のぬくもりが欲しいわけじゃないのに。
それでも、優しい言葉と抱擁は魔法のように染み渡り、を動けなくしてしまう。
「アイオロス、教えてよ」
早くも荒くなった息の中で言葉を押し出す。忘れさせられないうちにと。
「私、どうすればいいの。あなたのことなんか好きじゃない。アイオリアのことが好きなの」
「なら簡単だ、アイオリアと付き合えばいい。あいつはいい奴だし・・・って弟のことこう言うのも変だけど、本当にいい奴だし、お前は絶対に幸せになれる」
そう言いながら、愛撫は止めない。ベッドの上で、徐々に溶かしてゆくように。
「俺は何も言わないよ。口を閉ざして、そしてを抱いてあげる。ずっと・・・アイオリアと付き合っても、結婚したとしても、ずっとさ」
「何言ってるの・・・そんなの、まともじゃない」
「だって、はもう俺じゃなきゃ満足できないんだ。そういう体になっちゃってるんだからさ・・・ホラ」
「−あ!」
いきなりねじこまれたことで、相手の思うままの反応をしてしまったことがまた口惜しい。
「イイだろ?」
「・・・よくないっ」
「よくないって顔? それが」
笑っているアイオロスにぐいぐい攻められて、我を失いかける。
「っ・・・ああー」
本当に、この人しかいないのかも知れない。
他の誰も、こんなに気持ちよくしてくれないかも知れない。
泡みたいに弾ける・・・思いも感情も、考えも全部。
「」
汗ばんだ肌が密着している。荒い息は二人分。
の焦点の合わない瞳を、アイオロスは覗き込んだ。
好いてはくれなくても、心が他の男のもとにあってさえ、このときだけはの全てが自分に向くから。
体の快楽なんかよりもそれが欲しくて、そしてただを喜ばせたくて。アイオロスは、これを続ける。
愚かだと、分かってはいながら。
(馬鹿野郎、か)
部屋の薄闇にほの白く浮かび上がる背中を見つめ、彼女がよく投げつけてくる言葉を繰り返す。
今日は本当に眠っているのだろう、その背中は無防備だった。
(本当にそうだな、俺は)
弟との交際を静かに見守ってやることが一番なのに・・・愛する人の幸せを願うなら。
(俺、全然いい奴になれないや)
アテナのために名誉も命も捧げることができても、英雄だと感謝され尊敬されても。
に言葉をかけてもらえるなら、馬鹿野郎、とそしるものであってすら、嬉しいくらいだなんて。
自嘲で笑って、いつものようにそっと去る。
ずっと腕に抱けたらいいと、夢に思って。
・あとがき・
なんか何もハッピーエンドになってないんですけど。
でも、ずっと書きたかったネタです。
実はアイザックの「名前」より先に考えていたもので、「名前」にいくらかネタを分けてしまったんですよね。でもやっぱり書きたくて、書いてしまった。
こういうの多いですよね、私のドリームの中には。
前回この二人のダブルキャラドリームで書いた「犬と猫」は本当に遊びだったんだけど、今回はちゃんと真面目なテーマで(自分としては)書いたものです。
分かりやすいけど「心と体」というものですね。
ちゃんにとってはどちらも大切で、失えないんです。アイオリア(心)もアイオロス(体)も。
それがために素直にアイオリアの胸に飛び込むことが出来ず、アイオロスはちゃんへの愛を表すことがない。
いやーん、ホントに誰も報われてないじゃないですか。
私は常にハッピーエンドを書きたいと思っているんだけど、これは例外になっちゃいましたね。
まぁ、アイオロスの言うことを聞いて、アイオリアと付き合いながらアイオロスとも関係を続けるというのが一番丸くおさまるのかもねー(いいのかそれで)。この兄弟が大好きです。だから今まで書いたドリームもたくさん。アイオロスなんてダブルキャラも含めると、一番多く書いたキャラなんじゃないかな。
今回はちょっと悪い役で、もしかして読んでくれた方の中にはイヤだったという方もいるかも。
私としては、いろんなのを書きたいです。
H16.2.26
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||