brand-new tomorrow
「、これ、前に貸すって言ってた本」
「ありがとう」
本を手渡すと、イオは腕時計を覗き、いそいそとベンチから立ち上がった。
「そろそろ昼休みが終わるから、戻らなきゃ。じゃあまたね」
あっさりと手を振り去っていこうとするイオを、はほとんど反射的に呼び止めていた。
「待ってイオ」
振り返ったその褐色の瞳、優しい表情も、『なに?』と問う声も。
なんて愛しくて、それだけに切ない・・・。
は、喉に何かが詰まった心地で、あの・・・と、ようやく声を出した。
「今度、食事に行かない? 素敵なお店を見つけたの」
笑顔を作るのも、うまく出来ているかどうか。
「いいよ」
彼は、こんなにもこだわりなく笑えるのに。
「もうすぐバイトの給料日だから、俺がおごるよ。じゃ、またメールするから」
急いで教室に戻る。その背中を見送って、は深くため息をついた。
は、この間まで、海皇ポセイドンに仕えていた。といっても、海闘士ではない。同じ女性でも、テティスは諜報活動などの実務で働いていたが、の仕事は掃除やら給仕やらの、いわゆる雑用だった。
ポセイドンが唱えていた地上粛清に心から賛同していたが、今思い返せば、あのときの思想は異常だったと言わざるを得ない。一種のマインドコントロールにかかった状態だったのかもしれない。
それでも、海底での生活は楽しかった。
テティスとも女同士の話で盛り上がったり仲良くやっていたし、海将軍たちにも可愛がられて暮らしていたものだ。
そんな日々のうち、自然と、心を寄せる相手が現れた。それが七将軍のひとり、スキュラのイオだった。
彼に『のことが好きだ』と言われたときのことは忘れない。あんなに嬉しかったことはなかった。
それ以来、少しの時間も惜しまず逢瀬を重ねた。いつか、毎日のように彼の部屋で夜を越えるようになっていた。
愛する気持ちと、愛されている実感の中で、本当に本当に、満たされた毎日だった。
聖闘士たちとの戦いで、イオが自ら柱の前に身を投げ出し、ともども撃ち抜かれて死んでしまうまでは−。
結局、海底神殿は崩壊し、も大好きな人を抱きしめたまま、運命を共にした。
その後・・・後から聞いたことによると、ハーデスとアテナとの聖戦がアテナの勝利で幕を閉じて・・・は、生き返ることが出来た。
海闘士たちも全員生き返ったということを知って、取り急ぎ恋人を探した。最初にバイアンに会うことが出来て、バイアンは今、イオと友達として付き合っていると聞いた。は探し人がすぐに見つかったことに大喜びしたものだが、しかし。
イオは、海底にいたときの記憶を、すっかり失っていた。
がイオと出会ったのも、海底での出来事だったから、彼はのことすらも忘れてしまっていたのだ。
は、愕然とした。泣いた。
なぜ、もっと早く出会えなかったのだろう。なぜ、イオだけが記憶をなくしてしまったのだろう。
運命というものをこれほど呪ったことはなかった。
バイアンは、そんなを励まし、イオに紹介してくれた。
『はじめまして』・・・そう言って、手を差し出した、イオ。
はじめまして−
は、その場で泣き崩れてしまいそうだった。
そんな経緯があり、今、どうにか友達という位置までこぎつけただった。
「あ、これ、おいしい」
「ホント」
食事をして、他愛もない会話をして。
そんな穏やかな関係が、にはもどかしくて仕方がない。
食べて、おしゃべりをしている、その口で、好きだよと言ってくれていたのに。
こんなテーブル越しではない、もっと間近で、熱っぽく、見つめてくれていたのに。
決して触れないその両腕で、強く強く抱きしめていてくれたのに。
一方的に持ち続けている記憶が、いっそ厭わしい。
キスすら出来ない、今の状況では・・・。
「、どうした?」
「・・・ううん、なんでもない・・・」
どうするのがベストかも分からなくて、混乱して戸惑っている。
は、心配そうなイオに、笑ってみせるしかなかった。
泣き笑いのように、見えたかも知れない。
「そうか、相変わらず、か」
「うん。あたしの顔、見てるうちに、記憶を取り戻してくれるんじゃないかなって思ってたけど、その気配もないし」
「・・・辛いよな」
バイアンは、自分も痛そうな顔をして、話を聞いてくれていた。
「・・・うん」
ため息が、手もとのコーヒーに落ちる。
「一度は死んだことを思えば、また会えたんだから良かったんだけど、やっぱり欲が出ちゃって。思い出して欲しい、前と同じように過ごしたい、って」
生き返らなければ良かった、いっそあのまま二人で冥界の住人になれば良かった・・・とは、思わない。それだけは、決して思ってはいけないことだった。
「の気持ちもよく分かる。けど、もしイオの記憶がこの先ずっと戻らなかったとしても、悲しむことはないさ」
バイアンは、を力付けるためだけの笑顔を、浮かべていた。
「これから、新しい記憶を作っていけばいいじゃないか、なっ」
「・・・うん」
その、気持ちが嬉しかった。
の後ろ姿を、バイアンはいつまでも見送っていた。
「にあれだけ想われて、幸せな奴め・・・。もしを泣かすようなことになったら、一発殴ってやる」
すっかり冷めてしまったコーヒーを、一口すする。
「・・・それにしても、つくづくソンな役回りだな、俺って」
椅子にもたれて、脚を組んだ。
数日後、携帯で呼び出されてアパートの外を見ると、イオがこちらを見上げて快活に手を振っていた。彼の腕の中で、茶色くて可愛い小犬が、キャン、と鳴いている。
は急いで部屋を出、階段を駆け下りた。
「イオ、どうしたの」
「ん、にこの子をあげようと思って」
差し出された小犬を、戸惑いながらも受け取る。やわらかくて、あたたかかった。
「可愛い」
頬ずりをすると、クゥーン、と甘えた声を出す。
イオはその様子に、にっこりとした。
「気に入ってくれたみたいだね。飼える?」
「うん。大家さんには絶対にヒミツでね」
ペット禁止のアパートだけれど、みんな結構黙って飼っていることをは知っていた。
「可愛いね〜。名前はキュラで決まり!」
「キュラ?」
「うん」
もちろん『スキュラ』からの命名だ。イオには分からないだろうけれど。
「・・・ところでさ、って・・・」
「何?」
キュラからイオに目を移すと、彼は何かを言いよどんで、困ったような顔をしている。
「どうしたの?」
尚も促すと、ようやく重い口を開いた。
「あの・・・って、バイアンと付き合っているの?」
「えっ何で!?」
素っ頓狂な声が出てしまった。寝耳に水とはまさにこのことだ。
「いや、この前、二人で仲良さそうにお茶飲んでたから」
見られていたのか。とんでもない誤解に、は首をぶんぶん左右に振る。
「違う違う!! あれは、たまたまなの。絶対、断じて、そんなことない!!」
バイアンが可哀想になるくらい、思い切り否定する。
その勢いにイオはけおされていたが、次には、良かった・・・とため息を吐いた。
「、ときどきすごく寂しそうだから。元気になって欲しくて、その犬をあげようと思ったんだ」
「そう、だったの・・・」
原因も彼なら、心配し、力付けてくれようとするのも、彼なのだった。
イオは前から動物が好きだった。こういった方法を選ぶのも、とても彼らしい。
両手の中の、小さな生き物を、いとしんで撫でる。ぬくもりは、イオの優しさだった。
「笑った顔が見たいんだ。のことを、好きだから」
それはとても穏やかで、外の空気に融けてゆきそうにさりげない告白だったから。
はあやうく、聞き流してしまうところだった。
キュラを撫でる手を止め、顔を上げる。真正面にあった彼の眼に、視線がぶつかった。
とても誠実な目をして、イオは、見つめていた。
照れることもなく、答えを求めることもなく。
その真摯な瞳に心を衝かれて、はただ、見上げていた。
同じだ。
海底で、愛を囁いてくれた、あのときと同じ−。
「・・・私も、好き」
今度は、きれいに笑える気がする。
「ずっと、前から」
南太平洋の柱を守るために命をかける、と、あのときイオははっきりと言っていた。
自分の恋人である以前に、どこまでも、スキュラの海将軍であろうとしていた。
当時はそんな彼を誇りに思っていた。その忠誠心が眩しかった。
彼が言葉を違えずに、命がけで柱を守ろうとして果てたときも、悲しさはもちろんあったけれど、その行為に感動を覚えていたものだ。
そして、彼と死ぬことを選んだ。
今思えば、それすら全部、海の泡のように儚く虚しいもののようだった。
もう、いいから。いっそ全部忘れたまま、思い出さないで。
新しく、始めればいい。
一緒に生きていきたいから。
唇に唇で触れて、腕をからめ、相手の体温を感じたそのときに、イオの記憶は急速にひもとかれた。
「・・・」
今までとは全く違う感慨でもって名を呼び、強く、強く引き寄せる。
「何てことだ。君のことを、すっかり忘れていたなんて」
「イオ・・・?」
薄闇を透かして、瞳を見つめる。
「まさか、思い出したの?」
「・・・うん・・・」
ふわり抱きしめた。包み込むように。
「に、辛い思いをさせたね。・・・ごめん」
声も切なく震えていた。
「いいのよ・・・もう、いいの・・・」
泣かないで。
二人で笑って、明日を迎えたいだけ。
「今度は、ポセイドンや柱のためじゃなくて、もっと楽しいことのために生きようよ」
「そうだね」
あのときの自分が、間違っていたわけじゃないけれど。
すっと手を伸ばして、に触れる。
確かめるように、触れてゆく。
そして、昔から変わらない、あの甘い笑みをくれた。
「の、ために」
もっとしっかり抱き合った。二度と離れることのないようにと。
「夜が明けるね」
二人の、新しい日々が、始まる。
・あとがき・
海闘士でのベストキャラがスキュラのイオ。彼のドリームは絶対書きたかった。これも、昔書いた未完の小説の断片からです。私ってば昔のネタを切り売りしてるわ・・・(笑)。
当時はソレントとオリキャラの女の子との話だったんだけど。
イオのドリームとしてアレンジしたら、こんな感じの話になっちゃった。
なんか全体に漂う切ない雰囲気が・・・ちょっとしっとり重いかな。
一度死んで生き返ったというプロセスと、記憶喪失という現実にはそうそうないネタが、そうさせるのかなぁ。
これはこれで決して悪くはないと思うけど。ちゃんとハッピーエンドだし。今度は、イオのスィートラブラブなドリームを書きたいです。
密かにバイアンもちゃんを好きなんだよね。でも、力の及ぶ限り協力してくれているところが、オトナです。偉いです。
バイアンは好きな人の幸せを願える人なんでしょうね。
バイアンは声が速水さんです。マジック総帥っす。もぉカッコいい。
リアルタイム時はそれほど好きなキャラではなかったけれど、最近好きですね。
いつかバイアンのドリームも・・・(きりがない)。イオのいいところは、やはり身を投げ出してまでも柱を守ろうとした一途で誠実なところだと思います。
アニメでは髪がピンクなところも可愛いですねvなんか、今までの中で一番現代っぽい話。イオ、学校に通っているし。バイトなんかしちゃって。
当初は動物病院で働いていることにしようと思ったんだけど、年齢的にまだ学生かなと思って。きっと動物関係のバイトしているんだと思う。ペットショップとか。
あと、イオの記憶が戻らないままにしようかと思ってたんだけど、やはりそれだとちょっと間抜けなので(笑)、いきなり思い出してもらうことにしました。
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